ファニーゲームのレビュー・感想・評価
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サクッと見れる
胸糞悪い映画
特に序盤が理不尽で見ていて辛かった。
人が良さそうな風貌なのに、自分が卵を割ってしまったのに催促するところとか。
不気味だったのは弟だが、怖いのは兄。
家族であんなに追い込まれるのは可哀想。
お父さんもいい人だったのに、、
子供が〇された時は悲しむかと思いきや、もはや虚無だった。
結構楽しめたいい映画!
人には勧めづらいけど、、
自分だったら?
U-NEXTでミッドサマー観たらおすすめで出てきたので鑑賞。
こんなすごい映画があったのね。
といっても特にアンテナ張ってるわけでもないけど好奇心擽る系はもう観てきたなーくらいに思ってたので嬉しい驚き。
自分的には非常に教訓的な内容だった。
まずは「善意方向に進むと思うな!」
最終的に殺されてしまった家族同様、鑑賞している私たちも「さすがにそこまではしないだろ?」と何故か何故か、思い込んでしまっている。そこをやられた!マジで悔しい。悔しみしかない。子どもって殺されていいんだっけ?(レオンでも小さい弟が殺された時衝撃だった)
なので現実にこれが自分に起きたと仮定して、家族を守るという意味で、最初の「卵」やり取りの不穏な雰囲気になってきた段階で何か出来なかったか?と。
ゴルフバッグあるやん。相打ち覚悟で2人のうち1人に先手とってダメージ与えておけば?キッチンから卵取って来る時、包丁持ってこれるやん?
少しの期待と希望なんか持ったせいで思い切りがなかったから一番大切なものを殺された。
相手が家から出て行ってくれない、その時点でもう殺そう。
と固く心に誓った。
そして、こいつらは最悪な人間というより自然災害に近い存在かなと。
自然災害は完全に無慈悲で無差別で無感情、言葉が通じず話し合い不可能、犬だろうと子どもだろうと選ばず殺す。
善も悪も情緒もなくただ地球に存在するもの。
映画の中ではそれが人間の姿をしているだけで、この夫婦の安易で用心しない考え方のせいで死ぬことになった。
日常の中にいると考えることもないけど、この世界で生き続けていく事はサバイバルであり、死は意外と身近に潜んでいることを思い出させてくれた。
一番怖いのは人間だ!
私はホラー映画が好きですが、あまり怖いと感じることはないのです。理由はモンスターもゾンビも幽霊もそれは現実でない作り物だから。でも、映画で描くもので一番怖いものは、人間の恐ろしさです。それは現実でも起こりうる世界なのですから。
本作は余りにも理不尽な暴力を描いているため、観終わった後の憂鬱度はかなりなものに…。鑑賞中はずーっと苦痛なのです。ではなぜ観てしまうんでしょうか。それが自分でも分からない…。そうなんです、すでにハネケ監督のマジックにかかってしまっているんです。
オープニングでは、仲むつましい家族が車で曲当てゲームをしながら別荘に向かい、ほのぼのシーンから始まります。が、一転FUNNY GAMESというタイトルが出て、荒々しいロックの曲に変わり、冒頭から作品の異常感が伝わってくる。いきなり嫌な予感満載です…。
別荘で、ヨットの準備や料理を作って楽しい時間をすごしているさなか、一家は一方的に理由の無き、"殺人ゲーム"の標的とされます。12時間後に一家が死んでいるか、生きているかという理不尽な賭け。
あまりにも身勝手で残虐極まりない犯人達には、憎しみと吐き気しか覚えません。犯人の憎たらしい顔、馬鹿げた発言、卑怯なやり口、全てにおいて嫌気を覚えさせられます。
さらに犯人達は映画を鑑賞ている我々があたかも共犯者のように、話しかけてきます。
「おい、お前もこのゲームを楽しんでいるんだろう?」
と言わんばかりに・・・。
犯人は逃げだします。生き残ったのは夫婦二人、動から静へしばらく夫婦の精一杯の生への執念が静かに静かに繰り広げられるのです。父ゲオルクの足の骨が折れていても妻と二人で協力して歩く姿、必死で濡れた電話を乾かそうとする姿、希望を持ち外に出て助けを探す姿、残されたもののいたいけな頑張りが涙ぐましくも表現されています。
でも、監督は意地悪極まりない。よりによって助けを求めた車の運転手が犯人達だなんて。ひどい、ひどすぎる…。転々と転がるゴルフボール。そこには、希望はなく絶望しかなかった。
「ゲーム再開!!!」
・・・もう、書くのも嫌になる光景がラストまで続きます。
そして、なに?あのビデオテープ巻き戻し???ありえなさ過ぎるよ…。。。
とにかく不快。
最後の最後まで犯人達の頭の中が全く分からなかった。ひたすら不条理で救いのない映画。エンディングは本当に不快。巻き戻しのシーンで更に不快になった。トドメを刺されたのは伏線と思っていたヨットのナイフ。まさか全員殺されるとほ思わなかった。この映画がPG12というのはあり得ないだろう。この作品の製作が1997年で確かにこの頃は携帯は普及していなかったが、携帯があればだいぶ展開は変わっていただろう。しかし警察の電話番号が分からないというのはどういう事か?いくら何でもそれはないのでは?二度と観たくないが印象に残る作品ではある。
観客が映画に期待するものとは何か
みているとき隣に座っていた家族から「これ、胸糞映画で有名なやつだよ」と言われ、ビクビクしながら鑑賞する。
しかし、み終わって胸糞悪さは残らなかった。
映画が扱ってきた(扱い続けている)暴力や痛みを、弔うような映画だと感じた。
特に印象的だったシーンはふたつ。
女性が辱めを受けるシーンは、映画で本当によくあるが、この映画のカットこそまさに凌辱だった。
決まってよくある女性の裸は、画面にそれを映した時点で、彼女の苦しみではなく観客の官能と化す。
本映画では、まさにその期待をあえて煽り、観客に服を脱ぐ女体を想起させるが、そのようには描かない。
わが子が殺された部屋で放心する夫婦のシーン。
夫婦の顔のアップや涙など映さない。
カメラはずっと奥に引いて、喪失に茫然とする夫婦を延々と映す。
この夫婦にとってわが子を失うことは、エモーショナルな出来事でも、乗り越えるようなことでも無いのだと。
映画という構造に、観客が期待すること、求めること。
それに則ることで、暴力も凌辱も苦しみも、単なる刺激や官能に下る。
観客に「過激なものが見たいのでしょう?」「極限下の人情に感動したいのでしょう?」「命からがら救われるような、都合のいい奇跡を見たいのでしょう?」「あなたが映画へ持つ期待は何か?」と問うてくる。
映画を通じて人の痛みを描くとはどのようなことなのか、非常に丁寧に扱われた作品。
感想メモ
おもしろかった。
際立って大きい暴力描写はないが、それが逆に劇的でなくリアルに感じられる。
子供が死んだ後の時間の流れだったり、青年がこちらに話しかけてきたりする演出もリアルを体感させられる。
子供
いやあ子供が亡くなってからはもう緊張感がするすると抜けていきましたね。これ以上のグロテスクや底はないというか。
不快は不快なんですが監督の挑発がちょっと幼稚で、人が人に抱く不信感の渦や何年か経って気付くような高度な皮肉の類ではなく露悪なんすよね。でもリモコン巻き戻しは可笑しかったです、あんなブラックジョークで観客をおちょくるのはサービス精神が強くてカッコつけてなくていいなと思いました。
色んな意図は理解できるものの・・・
この監督は相当に一般的な思考回路と異なる部分を持っているが、
この作品ではその性質がいかんなく発揮されている。
理不尽な現実に蹂躙され何の救いもなく殺されていく、ただそれだけの内容が淡々と描かれている。現代映画のご都合主義的な部分へのアンチテーゼ(現実は甘くない)としての意味合いもあるのかもしれないが、如何せんテンポが悪すぎて(それがリアリティを増すこの映画の良い要素でもあるのだろうが)正直なところ見ていてだれてしまった。
観客(視聴者)に語りかける場面や被害者達の反撃をリモコンで巻き戻すなどのギミックはちょっと面白いが、この監督の性質をある程度理解していてこの作品の説明などを見て「とことんまでに観客(視聴者)の心を拷問して不快にさせる映画」として作ったのだと分かる人以外には全くおすすめできない。
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自宅にて鑑賞。オーストリア製、M.ハネケ脚本・監督。クライム・サスペンスとでも呼ぶべきか……但し救いは無い。暴力は不快と云う監督の意図から怒りを憶えると策に嵌った事になる。観る側への挑発か、或いは物語の破壊か、A.フリッシュ演じる“パウル”をカメラに向かってウインクさせたり虚構を強調するシーンやセリフがある。ただ同じ様な意味で登場するリモコンのシークエンスは、大好きなM.ブルックスの『スペースボール('87)』で既出。長回しや遠景等、実験的な描写もあるが話のネタとして鑑賞する程度だと思う。50/100点。
・裸やゴアシーンを意図して外していたり、伏線じみた冒頭のヨット内でのナイフが呆気無く取り上げられたりと、この辺りに監督の計算が見え隠れする。“アナ”を演じるS.ロターは本番前に監督から、約20分近く泣くように指示されていたらしい。更に犯人側に許しを乞うシーンは、28回も撮り直しをしたと云う。本作の十年後にハリウッド版リメイクをM.ハネケ自身が、N.ワッツ、T.ロス等を使い撮ったらしいが、観るかドウかは微妙。
・鑑賞日:2011年11月23日(水・勤労感謝の日)
すごかった
すごかった。なんでもない日常の舞台でなんでもない見掛けの人だけで、こけおどし一切なく圧倒的な恐怖や心底嫌な感じを描くのがすごい。USAを見ていて話を知っているはずなのにはらはらした。ただ子供が死んじゃうのは悲しすぎるのでやめて欲しかった。一寸先は闇であることを実感させる。
暴力を皮肉った映画
虚は現実である。この映画はフィクションだが、現実だ。
都合よく電話をかけることができたり、見逃してもらえたり、犯人を銃で撃ち殺せたり、そんな都合のいいことは現実にはない。ただ理不尽な暴力をふるわれて殺されるということもある。
暴力を娯楽として見せている人、見ている人を批判した映画なのかなぁ、と解釈しました。
じわじわとくる怖さ。
カメラのアングルだったり、静の時間であったり見せ方がうまく後半はひきこまれました。
女優さんのやつれ具合、演技もすごい。
見て後悔する映画によく名前が挙がっていますが、後悔しませんでした。
観る者への挑戦状
観たくない映画としてずっと避けていましたが、ハネケ作品が残す所「ファニーゲーム」と「ファニーゲームUSA」のみになり、時がきたのでやっと観ました。
物語は湖畔の別荘へ休暇に向かう家族が車の中でクラッシックを聞いて曲名を当てるゲームから始まります。そこに突然のメタル音楽とタイトルバック!序盤からただならぬ空気が漂います。別荘って何か不吉な場所。
別荘に到着すると、真っ白な服と手袋をした不気味な青年2人が訪れます。「卵を下さい」という青年。臆面もない青年とのイライラするやりとりは、次第に危ない方向へ。その後の展開は人が嫌悪するありとあらゆる行為を「殺人ゲーム」という形にしてまざまざとみせつけます。
「青年達の病的な厚かましさ」
「聞かされると不快になる話をする」
「揚げ足をとり責任転嫁する」
「選択出来ないことを選択させる」
「身内に屈辱的な命令をさせる」
「子供やペットを痛ぶる」
「期待を失望に変える」
「残酷なゲームを楽しむ」
特に私がきつかったのは、「希望を与えるがそれを絶望に変えることを繰り返す」ことでした。やっと逃げれたのに、捕まる。しかも2回も(母と息子各々ですが)。残酷です。
ハネケは言う。
「ハリウッド映画は暴力を快楽の道具に使っている」と。この発言からも分かる様にハネケは観る者に向けて「暴力の本質」といった挑戦状を叩きつけています。快楽の道具になるほど生温いものではないと。
まるで「こういうの観たいんでしょう」と言いたげに、突然観る者に向かって語りかける青年。「最後まで助かる見込みはないからね」と言わんばかりにテープを巻き戻す。
そして、ラスト。
青年はまたもや、観る者に語りかけます。
『虚構は今観てる映画。虚構は現実と同じくらい現実だ。』
ハネケが暴力に真摯に向き合って作った作品。そこには軽々しい快楽性は微塵もありません。暴力は虚構ではなく現実。だからこそ、観る側にもそれ相応の覚悟が必要になります。
ハネケ監督、いやはや参りました。
疲れた〜。
聞いた話と違うよ…
ミヒャエル・ハケネ監督の映画の中で初めて観た作品。
見るきっかけとなったのはこの監督のことが好きな友人から勧められて。
「卵を借りに行く話」としか聞いていなかったので、「?、はぁ…卵ねぇ…?」という心構えで観たら大惨事だった。
当分白い服の男にビビっていた。
なんでもブルジョワが嫌いで、酷い目に合わせたくなる、観客にポップコーンを食わせたくないなどと公言する捻くれっぷりが好印象だ。
冒頭にクラシック当てゲームをしたり、別荘に行ったり、ゴルフをしたり、ミヒャエル監督が嫌いなブルジョワであることを物語っている。
その割りに他の作品「ピアニスト」「アムール」でもクラシック音楽を織り交ぜてくる辺り、監督自身もクラシック音楽が好きなのではないかとも思う。
この映画の中で一番好きなシーンは、弟が奥さんに撃たれた直後巻き戻したシーンだ。
それはタブーだろう、やっちゃいけないだろう。ということを平気でやってのける。
また、そこまで撮らなくても良いのでは?
という所を執拗に撮る所に監督のこだわりや執念を感じて、監督の人間らしさが作品から伝わってくる所が好きだ。
(夫息子が殺され妻が呆然としている長い沈黙のシーン等)
この兄弟はこの「卵を借りに行く」ことをずっと続けて行くというエンディングはありきたりだが、もしかしたらそのうち自分の所にまでくるかも…という恐怖を感じてすごくぞっとする。
良くあるホラーよりもずっと日常的で怖いと感じた。
とても良い作品だった。
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