私は死にたくない
劇場公開日:1959年3月20日
解説
刑に処されるまで無罪を主張した女性死刑囚バーバラ・グレアムの手記を、種々のレポートや記録などを照合して映画化した作品。エドワード・S・モンゴメリーの報道記事も重要な資料として使われている。監督するのは「深く静かに潜航せよ」のロバート・ワイズ。脚本をネルソン・ギィディングとドン・M・マンキーウィッツが担当している。撮影監督は「黒い蠍」のライオネル・リンドン。音楽はジョニー・マンデル、ゲリー・マリガン他6人のコンボがジャズを演奏し、みずから出演もしている。出演するのは「明日泣く」のスーザン・ヘイワード、サイモン・オークランド、ヴァージニア・ヴィンセント、セオドア・バイケル等。製作ウォルター・ウェンジャー。
1958年製作/120分/アメリカ
原題または英題:I want to Live!
配給:松竹=ユナイト
劇場公開日:1959年3月20日
ストーリー
ジャズが、バーバラ・グレアム(スーザン・ヘイワード)の生活の一部を占めていた。この金髪美人は男を男と思わなかった。すでに、売春・浮浪・偽証の罪を重ねていた。にもかかわらず、彼女はよき妻であり、よき母であった。-1952年3月9日、カルフォルニア州バーバンクで、老寡婦が惨殺され、5月3日にリンウッドアパートで札つきの前科者・エメットとジャックが捕ったとき、一緒にいたバーバラも共犯のうたがいで捕ったのである。彼女には取り調べられるいわれがなかった。なぜなら、事件の夜に夫のヘンリーの麻薬を止めさせようとして、激しい口論をし、夫はそのまま飛びだしたのだから。警察はウソ発見器にかけようとした。彼女が拒否すると、尋問は打ちきられ、彼女の有罪が仮定された。カルフォルニアの諸新聞は、最初から黒として扱っていた。白になるには、夫を見つけ出さねばならぬ。が、弁護費用は余りにも少なかった。囚人のうちの1人の女が、彼女にアリバイをつくることをすすめた。この申し出に、彼女はついにすがった。サムという男が面会に来、事件の夜、あるモーテルに2人が泊っていたことにするといった。「ほんとうはやったんだろう」サムはしつこくきき、彼女がそれを認めねば、偽証罪になるから、助力しないといった。仕方なく、彼女はやったといった。--公判が開かれたとき、このアリバイがバクロされた。サムは警官だったのだ。あのときの会話はかくしマイクで録音されてい、検事側の有力な証拠となった。その上、ようやく見つかった夫はその夜の記憶がないと証言した。麻薬のせいである。さらに、犯人を被害者の家へ運んだトルーという男はバーバラが殺しているのを見たと証言した。第1審の判決は3人にガスによる死刑を宣告した。サンフランシスコ・エクザミナー紙の記者、モンゴメリーはずっとこの事件を担当して次第に彼女の無罪を確信し始めた。その本当の人柄を知るにつけても。彼女自身も、絶望の中から立ち上り新しい弁護士マシューズと心理学者パールバーグを信頼し、子供のためにも生きたいと思い始めた。発見器にも進んでかかった。彼女の心理反応は暴力嫌悪を示していた。モンゴメリーらの努力にもかかわらず、再審を望む訴えは却下された。心理学者も病死し、望みは絶たれた。死刑はサン・クェンティンのガス・チェンバーで行なわれた。その前夜、モンゴメリーはエメットが事実を話し、バーバラを救うだろうと、1晩中待機していた。2度、刑執行は延期された。3度目、バーバラはエメットとジャックに先立って死んで行った。「私はやらなかった」これが彼女の最後の言葉である。
スタッフ・キャスト
- 監督
- ロバート・ワイズ
- 脚本
- ネルソン・ギディング
- ドン・M・マンキーウィッツ
- 原案新聞記事
- Edward S. Montgomery
- 原案手紙
- バーバラ・グレアム
- 製作
- ウォルター・ウェンジャー
- 撮影
- ライオネル・リンドン
- 音楽
- ジョニー・マンデル
- 編集
- ウィリアム・ホーンベック
- ジャズ演奏
- ジェリー・マリガン
- シェリー・マン
- Red Mitchell
- アート・ファーマー
- Frank Rosolino
- Pete Jolly
- Bub Shank
受賞歴
第31回 アカデミー賞(1959年)
受賞
女優賞 | スーザン・ヘイワード |
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ノミネート
監督賞 | ロバート・ワイズ |
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脚色賞 | ネルソン・ギディング ドン・M・マンキーウィッツ |
撮影賞(白黒) | ライオネル・リンドン |
編集賞 | ウィリアム・ホーンベック |
音響賞 |