わが命つきるとものレビュー・感想・評価
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英国教会成立にまつわる歴史作品
〜ヘンリー八世は、アン・ブーリンを正妻とするため、カトリックでは禁じられているが、現在の正妻との離婚を望み、有徳の法学者であるトーマス・モアにローマ法皇へのとりなしを依頼する。敬虔なカトリック教徒であるモアはそれを拒み、そのために王に忠実なクロムウェルらの謀略によって追い詰められていく。その生き方は最期まで高潔で、国王、自分の命よりも神への信義を選んだのだった。〜
ユートピアという言葉を造った人は、とても真面目なキリスト教徒だったということが分かり、勉強になった。
他に思ったこと:
前法務官の顔力がすごいと思ったらオーソン・ウェルズだった。
モアの家族は黒っぽい地味な色合いの装いだが、対照的に王や諸侯はホルバインの絵画から抜け出てきたような、色とりどりの豪華な衣裳で見応えがあった。とりわけヘンリー八世が金ピカしていたので時代考証的に少し気になった。
頑固一徹の主人公に遠藤周作のキリスト感が思い出されたが…
フレッド・ジンネマン、「地上より永遠に」に続いて2度目の
アカデミー賞作品賞・監督賞W受賞作品だ。
ヘンリー8世にまつわる映画、
この作品の数年後に
「1000日のアン」という作品もあったが、
若い方々にとっては「ブーリン家の姉妹」の
方が馴染みがあるかも知れない。
私にも若い頃があって、
「1000日…」「ブーリン…」とは視点の異なる
この「わが命つきるとも」を観て、
自己犠牲の精神をもって権力者を諫める
トマス・モアの生き様に
共感したことを思い出す。
今回は、トマス・モアは生きて国王を諫める
道はなかったのかの観点で再鑑賞した。
しかし、彼は
融通の利かないの頑固者のように描かれる。
序盤の枢機卿の
「お堅い道徳心を捨てれば、
立派な政治家になれる」との台詞は
現代にも続く政治の世界への皮肉りだが、
モアが信念を捨てることはなかった。
追い込まれたモアは“沈黙”で
国王の再婚に抵抗したが、受け容れられず
断頭台の露と消える。
遠藤周作の「沈黙」が思い出される。
踏み絵に足を、己の心さえ裏切らなければ
ここは耐えて
再び国王を正すチャンスを待てば、と。
ラストのモノローグで
彼を死に追いやった面々の
悲惨な死が語られるが、
実は、ヴァネッサ・レッドグレイヴ扮する
再婚相手のアンもいずれ斬首されることを
他の映画等から我々は知っており、
歴史的にこの映画で描かれる
ヘンリー8世に関しての悲劇は、
単なる序章に過ぎなかったように思える。
この作品、「地上より永遠に」に比べると、
少し作風が硬い印象だったが、
レッドグレイヴがジェーン・フォンダと
共演した、ジンネマン作品としては
キネマ旬報最上位にランクイれた「ジュリア」の作風はどうだっただろうか。
次回予定の「ジュリア」再鑑賞が
益々楽しみになった。
モアの 思想家としての意味
処刑癖のある ヘンリー8世の下で働くのも、生きるのも 大変だったろう
トマス・モアは法律家としての存在感だけでなく、思想家としての偉大さもある
すねに傷持つ王の屈折や 思想的に負けるクロムウェルの嫉妬と憎しみと王への追従
(でも、あんなに尽くしたのに 惨殺される!)
この辺の 人間関係の複雑さを よく描いている脚本である
ジンネマン監督は それを 上手く掬いとって映像化した
モアの思想家としての意味(現在だけでなく、後世に及ぼす影響力)を 考えると、
意見を変える事など 考えられない
当然の帰結である
スコフィールドが 運命をも見据えたようなモアを演じている
リチャード・リッチの狭量さを ジョン・ハートが、
アンの艶やかさと存在感を レッドグレイブが、
上手く演じていると思う
ヘンリー8世の ロバート・ショウも!
肉屋出身のウルジー枢機卿を 演じる、
オーソン・ウェルズの肉体表現(膨張)にも、驚く
個性的な俳優達の「群像劇」としても、楽しめる映画になった
リッチの 後世の評価は
「無節操な出世主義者」であり
この映画により 「イギリス史上最悪の人物賞」(BBC)を受賞している
(他にも いる)
神との契約
「王の僕の前に、神の僕である」
トーマス・モアの主張は、一神教を擁しない日本人にとっては、融通のきかない頑固者としてしか目に映らないかもしれない。
しかし、彼は敬虔な信者という立場からというよりも、イングランドの行く末を案じる一人の政治家としての立場から、王への拒絶を強めたのだと思う。
国王が教会に圧力をかけて再婚を認めさせるということは、カソリックの教義をねじ曲げるということと同じことであり、それは宗教で統制している国民の道徳心や倫理観を揺さぶることにもつながる。
もちろん私は、それほどまでして守らねばならぬほど宗教が大切だとは思えないし、国主が禁忌を破ったからといって、自分の倫理観が崩壊するほどの衝撃を受けたりはしない。
それは生きている時代と国と人種が違うから言えることであって、この時代に身を呈して権力におもねらず死を選んだトーマス・モアの覚悟は、やはり凄いことだと思う。
それよりもあの手この手で彼を凋落させた取り巻きどもの執念に呆れる。モアは政界を下野して平民に退いているのだから、本来であれば放っておけばいいものを、王ヘンリーの執着と嫉妬がそれを許さない。
逆説的に、モアがいかに高潔だったかが伺える。
ヘンリーは一番信頼できる人物を、みずから殺してしまったと言えますね。
王の僕というより神の僕として離婚は認めない
総合55点 ( ストーリー:55点|キャスト:60点|演出:60点|ビジュアル:70点|音楽:30点 )
社会はその時々に合わせて価値観が変わるし、何が大事なことなのかも変わっていく。だけど結局主人公のトーマス・モアは、当時の宗教の教義と道徳観に忠実でそれに固執したから立派だったということなのか。
でもそれは悪く言えば私にはただの融通のきかないかちかちの保守派なだけな人物にも映った。もしカソリックという宗教が未来永劫絶対的なものならばそれでいいのだろうが、離婚など絶対に認めないというその教義がそれほど大切というのがそもそも共感できない。そして彼が何故それほどにまで王よりも国家よりもまずカソリックに忠義を示し続けるのかも伝わってこない。ただ終始彼は離婚に反対するだけ。
そんな彼が政争に巻き込まれて陥れられるのは不条理かもしれないが、そんなのよくある話だし彼の融通のきかなさを考えれば仕方がないんじゃないか。やたらと自分の立場を示す演説をかます描き方も悪いのか、そのような主人公に魅力を感じなかった。命を懸けて貫く信念が何か、それはどこからきているのかというものがこの作品には乏しい。とにかく無条件に宗教こそが大事と言う人には理解しやすいのかもしれないが、私には向いていない。
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