「香港がワンダーランドだった頃」霊幻道士 モアイさんの映画レビュー(感想・評価)
香港がワンダーランドだった頃
その昔、我々に度肝を抜く映像体験をさせてくれたのは香港映画でした。
ハリウッド製アクション映画が火薬量と爆発させるものの規模を競う方向性であったのに対し、それとは全く別機軸による奇抜なアイディアと鍛え上げた肉体により、文字通り『見たことのない映像』を我々に提供してくれたのです。
今ではそのお株をすっかりインド映画に奪われてしまった感がありますが、以前「コイサンマン、キョンシーアフリカへ行く」(90年)を見て、ある種の郷愁に誘われて今回この映画を鑑賞しました。
今作「霊幻道士」(85年)はキョンシーブームの火付け役を担った作品であり、後追いのヒットシリーズ「幽幻道士(キョンシーズ)」(86年~)と並んで当時の子供たちの一般教養となった映画です。
キョンシーは中国の伝承にある生きた屍であり、生き血を求めて夜を徘徊する東の吸血ゾンビであったわけですが、西のゾンビが2000年代以降のリバイバルブームによりサメと並んでサブカル映画の定番となったのに比べると、キョンシーは今のところリバイバルブームの気配すらありません。(2010年代末にこの霊幻道士の新シリーズが制作されましたがその反響はほぼ皆無でした。)
キョンシーに限らず現在では何故これ程 香港(中国)映画が日本人から縁遠くなってしまったのかは分かりませんが、改めて本作を見るとキョンシーが当時の子供たちにあれ程浸透した理由がよく分かります。
・両の手を前に突き出し、足首だけでピョンピョン移動する独特のスタイル。
・お札を額に付けることで行動を制することができる。
・基本的に目は見えないので人の吐息を嗅覚で感知して襲い掛かってくる。
(つまり息を止めればキョンシーを回避できる!)
というようにモノマネやゴッコ遊びに適した設定がモリモリです。
(ただ基本的にこれらの設定の扱いはガバガバなのでシリーズ作を追うごと矛盾を感じる事が多々あります。)
そして本作は基本的にホラーコメディーなのですが、ブルース・リーやジャッキー・チェン等のヒットにより日本でも完全に定着したカンフー映画の要素も含んでおり、というよりカンフー映画にホラー要素を盛り込んだのが本作であるため、平均的に快活な子供なら当たり前に持っている己が肉体の可能性への探求心と、怖いもの見たさの好奇心と、ムッツリスケベな性への関心と、とにかく腹の底から笑いたいという欲求をコレでもか!と満たしてくれる映画なのです。
本作でキョンシー対策の専門家である「道士」を演じるラム・チェンインはブルース・リーにその実力を認められた折り紙付きであり、本作の製作を勤めたサモ・ハン・キンポーのスタントチームにも参加している人物です。
本作では弟子役のチン・シュウホウとの見事なコンビネーションでキョンシーとの激闘を演じており、時に敵味方が入り乱れ、時に三つ巴の様相を呈するという一連の目まぐるしいアクションシーンを、実に流麗に魅せてくれます。
また本作にはキョンシー以外に、道士の弟子:チン・シュウホウに憑りつく女幽霊が出てくるのですが、その女幽霊が夜道を走るチン・シュウホウの自転車の荷台に宙からそっと舞い降りるシーンが実に幻想的でいいのです。
もちろんこの宙を舞うシーンは香港アクションの十八番であるワイヤーアクションによるものなのですが、普段なら迫力のあるアクションシーンの演出のために使われるワイヤーアクションをこの様に幻想的な演出にも用いられる柔軟で豊かな発想が見られるのも本作の魅力の一つだと思うのです。
映画はキョンシーとの最終決戦が決着するとロクなエピローグもなく唐突に終わり、今見ると少し驚くのですが、作り手側が見せたいものと、受け手側が見たいものはちゃんと見られたという満足感がありますので、この終わり方で何も問題ないのです。
私はシリーズの4作目まで見ていますが、正直、本作が映画としては一番出来が良いと思います。
以後のシリーズ作はアイディアが良くても物語的に消化不良な感があったり、コメディ要素がいくらなんでも冗長でクドかったりとなかなかツライ出来という印象を受けました。ただ、アクションを見るだけならいずれも一定の水準は満たしていると思いますので、その一点に注目するのなら十分に楽しめると思います。
この先、香港(中国…)映画が再び存在感を示す日が来るのかは分かりませんが、かつては確かに魅力的な作品を量産していた事実を思い出す(又は知る)切欠として本作を見てみるのもいいのではないでしょうか?