夜の大捜査線のレビュー・感想・評価
全22件中、1~20件目を表示
キャスト陣の演技が絶妙 ✨
1960年代のアメリカ。
ミシシッピー州の小さな町で他殺死体が発見され、駅の待合室で始発を待っていたフィラデルフィア市警の黒人青年刑事ヴァージル( シドニー・ポワチエ )が逮捕されるが … 。
ヴァージルと関わっていく中で、自身の考え方を変えていく警察署長ビルを演じたロッド・スタイガーの演技が絶妙 ✨
アカデミー賞主演男優賞受賞も納得の名演。
どこかユーモラスで味のあるキャスト陣の演技に、ラスト迄引き込まれた。
NHK-BSを録画にて鑑賞 (字幕)
この作品も「ジーザス・クライスト・スーパースター」と並ぶノーマン・ジュイソン監督の名作の一つでは…
ノーマン・ジュイソン監督の
「ジーザス・クライスト・スーパースター」
は私の生涯ベストテンの中の一作なので、
彼は特別な存在だが、この作品がTVで放映
されたことを機に何度目かの再鑑賞。
キネマ旬報では、
「アルジェの戦い」が第1位、
アントニオーニの「欲望」が第2位、
ジンネマンの「わが命つきるとも」が第4位
の年の第8位に選出された
アカデミー作品賞受賞作。
主役二人の対立軸で作品テーマを
見事に映し出した作品は多々あるが、
この作品もその内の一つと思う。
舞台となる暑くけだるさの残る
ミシシッピ州の田舎町にやって来た
シドニー・ポワチエ演じる
大都市のエリート警官の戸惑いには、
“白人対黒人”の問題は当然のことながら、
・平等対差別
・富裕対貧困
・正見対偏見
などに加え、
最新の捜査と旧式の捜査方法という点では
“中央対地方”の問題なども醸し出された。
そんな中、特にロッドスタイガーは、
廃退的な地方都市で警察署長を勤め、
白人至上主義の世界に
ドップリと浸かりながらも、
黒人刑事との出逢いから、
時には元のしがらみに戻りつつも、
終いには、人間は肌の色では無く、
その人物の能力で判断すべきと
思考出来る人間に昇華する名演技は、
アカデミー男優賞受賞が証明するまでもなく
見事な演技ではないだろうか。
この点については、ネットの情報により、
この警察署長役は原作では巡回警察官並みの
準主役級だったとのことを初めて知り、
同じくアカデミー脚色賞を受賞した脚本家
の筆力が、この作品を名作たらしむべく
多大な貢献をしていたように思われた。
ただ一点、短時間しか滞在していない
エリート警官が、
巡回警察官と露出女性との関係や、
巡回再現の時に彼が別のコースを運転して
いるとどのようにして分かったのかが
説明されていないように思ったのだが、
この点について、原作ではどう
著されているのかが気になった。
しかし、演出・脚本の高度な技術と
二人の俳優の名演技によって
名作の域に達した作品と言えるのでは
ないだろうか。
※2025/3/17 追記
映画で分からなかったことがあったので、
原作本を読んでみた。
巡回警察官が道を変えたのを
どうして分かったのかは、
通る道によって車の汚れが異なるという
一応理屈として書かれてはいるが、
映画の中での
犯人と妊娠女性の父親との銃撃戦は無く、
犯人特定のこともエリート警官の推理として
書かれてはいることも含め、
元々サスペンスとしての要素の弱い小説
のように感じた。
驚いたのは、映画全編にまたがる
原作からの大改変。
映画の舞台も
エリート警官の勤務地の設定も、
殺されるのが工場誘致の事業家ではなく
音楽の指揮者であることや、
市の有力者が人種差別主義者ではなく
逆に黒人への理解者であること等々、
設定の違いには驚くばかり。
そして、映画以上に
市全体に漂う黒人差別社会の描写の中、
エリート警官への理解を急速に進めるのが
巡回警察官で、映画よりも
小説での彼の位置付けは大きかった。
しかし、そんな中でも、映画のラストで
警察署長がエリート警官の鞄を持って見送る
理解を深めたエンディングシーンだけは
原作をしっかりと踏襲したものだった。
夜の大捜査線 を何十年ぶりに見直した
本作につき、黒人への偏見が根強い60年代当時の南部を舞台に、北部の都会から来た黒人の殺人課刑事と、田舎の白人警察署長(殺人事件を扱ったことがない)の対立の物語…、と解説しているのが多く見られるように思います。何十年も前に本作を見た時は、私もそのように見たし、そういう記憶として残っています。
しかし、今回改めて見てみると、白人警官役のロッド・スタイガーは、最初から公平な態度で黒人警官に接しているのが見て取れるし、また、署内の無能で、偏見にも無邪気な複数の署員を束ねるなどして、それなりに有能です。一癖二癖ありそうな市長の無茶振りもこなすほどに世渡りを知ってもいます。街の顔役を黒人警官が殴り返した場面に立ち会いながら、顔役側に味方することなく、公平な態度を通しています。加えて、黒人警官に「お前も感情的になるのだな…」(うる覚え…)とつぶやくシーンは、白人警官が冷静な観察者であることを示していて、彼が偏見のある無能者でないことは明らかです。大体、物語の最初から黒人警官の専門能力を評価して頼りにしているし、危険や周囲の偏見から黒人警官を守ってやっています。一見、黒人警官に強く対立しているように見えるのも、周囲の強い偏見がいかんともし難いことから、黒人警官の身上を気遣ったためとも考えられます。むしろ、この白人警官にとって、この街で生きてゆくことは楽なことではなさそうにも見えます。
要するに、白人警官は、周囲の偏見はともかく、黒人警官と対立しているようには見えませんでした。本作を対立から和解の物語などと説いている映画解説は間違いでしかありません。
あと、シドニー▪️ポワチエと並んで立つシーンは、背の高いポワチエのスーツ姿のカッコ良さが際立つ一方、背が低く着こなしがイマイチで足回りも無様なスタイガーのカッコ悪さ(の演出)が、なんとも味わい深いです。
クインシー・ジョーンズ作曲、レイ・チャールズ歌も懐かしいです。細かいことには目くじら立てず、大満足の傑作です。
主人公が黒人である意味とは
【黒人蔑視の根強いミシシッピの田舎町の暑い夜に起こった殺人。今作は、偶々居合わせた黒人殺人課刑事と、田舎町の冴えない白人警察署長との相克する人間関係の変遷を殺人事件捜査と共に描いた逸品である。】
■作品全体に漂う、アメリカ南部のミシシッピの田舎町の気怠い雰囲気。その町の夜に発見された、町に工場を建設しようとしていた男の死体。
偶々居合わせたが故に、最初は殺人犯と間違われる黒人殺人課刑事のヴァージル・ティッブス(シドニー・ポワチエ)。
黒人蔑視思想の強い、小さな町の小さな警察署長ビル・ギレスピー(ロッド・スタイガー)が、黒人のヴァージル・ティッブスに捜査を委ねる時の、何とも言えない複雑な顔。
彼の自尊心が許さないが、黒人殺人課刑事に捜査を委ねざるを得ない葛藤。
そして、事件の真相がヴァージル・ティッブスの鋭い推理により明らかになる過程の見事なストーリー展開に、引き込まれる。
<今作は、偶々居合わせた黒人殺人課刑事と、田舎町の冴えない警察署長との相克する人間関係の変遷を殺人事件捜査と共に描いた逸品である。
ヴァージル・ティッブスが漸く町を離れるために、列車に乗る時に見送りに来た警察署長ロッド・スタイガー演じるビル・ギレスピーが、初めて彼に笑顔を向けて”元気でな。”と告げ背を向け去る姿と、その後姿を笑顔で見るシドニー・ポワチエ演じるヴァージル・ティッブスの表情が、激渋な余韻を残す作品でもある。>
ノーマンジェイソン監督
夜の熱気の中で‼️
黒人への人種偏見が強い南部の田舎町を舞台に、殺人事件の捜査にあたる黒人刑事と白人の警察署長の葛藤と友情を、人種差別を絡めて描いています‼️うんざりするほど暑苦しい南部の夏の夜の雰囲気描写の中、いがみあったり、おまけに差別のための数々の妨害にあったりする‼️主人公に扮するシドニー・ポワチエが渋くてカッコいい‼️私的には歴代黒人俳優ナンバーワン‼️クインシー・ジョーンズが作曲したレイ・チャールズの主題歌も作品の暑苦しいムードにピタリとハマってて素敵なんですよねぇ‼️そしてラスト‼️駅で刑事を見送る警察署長‼️警察署長の「元気でな」に笑顔を見せる刑事‼️なんてこともないシーンなんですけど、ミョーに心に残ってます‼️
テーマ付 静的刑事ドラマ
『イン・ザ・ヒート・オブ・ザ・ナイト』レイ・チャールズ♥
1964年公民権法制定(ジム・クロウ法廃止)
1965年マルコムX暗殺
1967年この映画が公開
1968年 1月30日 テト攻勢
1968年 3月16日 ソンミ村虐殺
1968年4月キング牧師暗殺
1968年10月ブラックパワーサリュート
メキシコオリンピック
1975年 ベトナム戦争終結敗戦
以上 アメリカの歴史を振り返れば、この映画が何であったかは理解出来ると思う。
また、何故、ジム・クロウ法が廃止されたかも理解出来る。ベトナム戦争と大いに関係する。
さて、映画の中のセリフに『お前は白人と同じ考え方するね』と署長がバージルに話す。バージルは農場主を殴り返す。その行動に対する署長の見解だ。
さて、この場面がなぜ必要であったか。この頃は、主にマルコムXが率いるイスラム系社会主義を目指す集団と、キング牧師の無抵抗主義の集団が、黒人の中で分裂していた時。
暴力に対して暴力を使うバージルを、二分する黒人の考え方になぞって、暴力を使って解決しようとするマルコムXの集団に対して、発した言葉の様に解釈できる。さて、
この署長の考えは間違っていない。充分に共感できる。だがしかし、翌年にそのキング牧師さえも暗殺されてしまう。
我が親父の好きな映画だった。僕は先に見た親父に、ネタバレされて見たので、サスペンス性は無かった。また、ポワチエに対しても偏見を持っていたので『水戸黄門』を見ているように感じた。
さて、戦前戦中の
アメリカの南部11州は民主党指示。北部が共和党である。リンカーンは共和党。ベトナム戦争やキューバ危機は民主党。公民権法法制定は民主党。
さて、アメリカの二大政党制って何?
あのトラ♥プさんも元は民主党?!
また、戦前戦中って南北戦争の事。
2012年12月第三回午前十時の映画祭にて
『夜の熱気の中で』は未読。
事件の捜査を進めていくうちに、二人の関係性が少しづつ変わっていくのが見どころ。
レッテルは貼られた途端に思考停止に陥る罠になる。個々に自分で考え自分で判断し自分で選択し続けることが重要だなと思った。
レイチャールズの歌も良い
50年以上前の映画ではあるが見応えはあった。
黒人への偏見はすごく人間と見なしていないひどさ。優秀な警官であっても素直に認めない。
優秀さが随所に出だすとそれを信じない.黒人だからだ。
今は「こんな時代もあったねと」中島みゆきの「時代」がぴったりくると思いきや未だにアメリカでは白人の警官が過度に反応して黒人を撃ち殺したり殴り殺したりする事件が出てくる。
50年前に既にこの映画は黒人も優秀な奴がいると言ってる映画なのに、人間は皆平等と言ってるのにだ。
シドニー・ポアチエの存在感無しには見れないがロッド・スタイガーも憎たらしいけれど最後は良かった。
それにしても警察署長は誤認逮捕も甚だしい。よく署長が続いたものだ。
有色人種差別の真っ只中だよ(追加)
厳しい人種差別が根強く残る1960年代のアメリカ南部を舞台に』と解説にあるが、人種差別が根強く残るという言い方はやめてほしい。キング牧師が殺され、その数日後、ジョンソン大統領が公民権法を議会で通した(1964年)としても、南北差があり有色人差別の中、人種差別が根強く残るという言い方は疑問だ。特にこの映画の舞台となる、南部のミシシッピ州のスパルタという田舎町。
そこでメンフィス行きの電車の乗り換えを待つミスターティッブスは事情聴取なしで殺人の疑いをかけられる。黒人だということだけで。
冗談がおおおくて、大笑い!! 言葉のやりとりだけでなく、 今じゃ使えない言葉や、人々の差別偏見の態度にも見せ場がたくさんある映画。しかし、1966年撮影だと聞く。どこで撮影したかとかシドニーポアティエは南部の綿プランテーションに行ったのか?どこに泊まったのかなど、芸能ニュースでロケ場所を探すともっと、実感が沸くと思う。
それらより、好きなシーンを振り返ってみる。
スパルタの場末の食堂で、黒人に飲み物を出さないと給仕(ラルフ)はミスターティッブスにはっきりいう。細かくてつまらないシーンかもしれないがよくみていると(言いたくないが)、スパルタでのんびり構えた田舎で働く白人(全部ではない)の心の動きと北の大都市フィラデルフィアからで週に162.39ドル稼ぐという殺人課のトップ警部との温度差がよくわかる。映画『グリーンブック』(1962年の現状)でもご存知のように、北部では白人、有色人種は一緒に食事ができるが、ミシシッピー州にあるこの食堂では、ジムクロ-法で、給仕、ラルフ、が拒否する。二人の警部は現状を知っているから、ミスターティッブスに、何か欲しいなら持ってくると。しかし、ミスターティッブスは中に入るという。ミスターティッブス(シドニーポアティエ)は差別を恐れずプロ意識の高い一流の警部だが、それ以上に、黒人というだけで尊敬されず黒人としてか受け入れられない狭い世界にいる。これじゃあ、事件の解決にも時間を要するだろう。
ここで夫を殺された婦人、コーバートさんだけが、誰が夫を殺したかを知りたいから、この中で誰がこの事件を解決できるかを知っている。。一番プロの仕事を任せられる人を知ってる。ミスターティッブスが彼女をいたわって座らせるシーンでもよくわかる。一切抵抗や軽蔑の態度を取らない婦人。夫も公平な雇用の場を考えていたから殺されたのであって。この夫婦は同じ姿勢だと思う。素晴らしい似た者夫婦だ。 (教養がある人の役。)
もう一人は利き手が違うことが無実の証拠に高級スーツに身を固めているミスターティッブスから味方だよと言われた男、ハービー。『なんで白人の洋服を着ているのか』と不思議そうに聞いたが、刑事手帳を見せるとミスターティッブスをすぐ信じた。そしてミスターティッブスを黒人じゃなく刑事としてみて、協力的な態度を示して獄中で捜査に協力した。(教養がない人の役)
この映画の圧巻はそれそれ違うだろうが、ミスターティッブスが主犯エディコットを殴り返すところかもしれない。それより、私はミスターティッブスが殺人をあつかったことがないスパルタ警察所長ビル・ゲレスビーの自宅を訪問した時の会話の方が重くて、好きだ。所長は一人暮らしで、結婚もせず、子供もいない一人暮らしの設定で、人を自宅に招待したこともない。はっきりいて、誰も来ないし、親密になった相手もいないと。これを『自分の秘密を話す』よとミスターティッブスに心の中を見せる。しかし、ここでミスターティッブスは『所長より孤独じゃないよ』と言った途端、所長は『利口ぶるなよ、黒人よ(Black Boy軽蔑差別用語), 同情はいらないよ』と。明らかに、黒人から同情をもらうなんて自分は落ちぶれちゃいないよ、何様だ!!というような意味だと思う。トップの黒人の刑事、実力があって賢いのは良くわかるけど、ビル・ゲレスビーは人間として同じ位置にたって、同じ寂しい気持ちを共有できないんだね。。。比較として考えるがら、差別意識が頭を持ち上げる。。。所長の心の差別意識は無くなっていないんだね。。。最後に、ミスターティッブスを電車に乗せるシーンだが、所長はミスターティッブスのカバンを持ち、『ありがとう』とミスターティッブスに初めていう。そして、気をつけてねと。。。。。。。この映画の先、南部の田舎で所長の差別意識が変わり、どう彼の将来に影響するか想像する。
追加: 1966年にどうこの映画を撮影したか気になっていた。ハリウッドレポーター(4/5/2017)というウェブサイトに監督のこの映画の回顧録があるのを見つけたから意訳する。
シドニーは早い段階から、どこで撮影するかと聞いていたと。監督は綿摘みの畑のシーンはすでに用意していると。 シドニーはメイソン・ディクソン線の南に行くつもりはないと。監督は理由を聞いたらシドニーはジョージア州でハリーベラフォンテと一緒に、車が追いかけられ、脅迫され嫌な経験をしたと。約束を破りたくなかったので、ロケ地を探し始めたと。そして、テネシー州ダイアーズバーグに場所を見つけたと。綿のプランテーションがあり、エンディコット[ラリーゲイツ]が住んでいる牧場も。そしてシドニーに許可を取ったと。シドニーは理解してくれた。監督はスタッフと一緒にシドニーを守ると約束した。ホリデーインはアフリカ系アメリカ人を受け入れた唯一のホテルだったので、そこに皆で滞在したと。
1966年に撮影していたので、状況は、キング牧師がはセルマで行進をしたばかりだったと。
その後、アイダホ州で監督の子供も、たまたまボビーケネディの子供も足を骨折し、この映画の話をする機会があったと。ボビーは『これは非常に重要な映画かもしれません、ノーマン。政治、芸術、そして人生そのものにおいて、タイミングがすべてです。」と。映画が公開された後、ニューヨーク映画批評家協会賞、ロバート・ケネディが賞をくれたと。
やっと理解した当時の撮影の苦労。
この時代でもこれだけの黒人差別があった事に哀しさを覚えた。シドニー...
この時代でもこれだけの黒人差別があった事に哀しさを覚えた。シドニーポワチエは静かな怒りを見事に演じているしロッドスタイガーも味がある。科学捜査ドラマを見過ぎているせいか素朴な推理がかえって新鮮で面白かった。原題は素敵だったのに邦題「夜の大走査線」は映画内容とはあまりにかけ離れて陳腐なのが残念。
IN THE HEAT OF THE NIGHT
"夜の大捜査線" シリーズ第1作。
第40回アカデミー賞作品賞受賞作。
Blu-rayで鑑賞(字幕)。
公民権運動華やかなりし頃。黒人差別色濃い田舎町で起きた殺人事件を巡り、黒人警官(シドニー・ポワチエ)と白人署長(ロッド・スタイガー)の対立と和解を描いたサスペンス。
当時の世相を考えると画期的な作品だと思いました。キャストもスタッフも自主的に参加したと云うから、その熱意に敬服です。「イン・ザ・ヒート・オブ・ザ・ナイト」も最高!
バージル・ティッブス刑事の優秀さに感化され、署長の態度は軟化していきました。滅多に殺人事件の起こらない土地だけに地元警察のノウハウ不足は否めず、バージルの捜査能力に頼らざるを得ない状況になるのがいい。お互いを必要とする関係へ変化していく様が丁寧に描かれていました。
それでも町全体を包む差別意識は濃度濃いめ。バージルに理不尽な妨害が加えられ、黒人と云うだけでチンピラに襲撃される。緊迫した空気の中、不屈の精神で真実に迫るバージルの姿に勇気づけられました。どんな困難にも立ち向かう行為の尊さよ。公民権運動を進める当時の黒人たちの姿に重なりました。
※修正(2023/10/29)
ブラックプロイテーションの呼び水
愚かな南部の白人
全22件中、1~20件目を表示