山の焚火のレビュー・感想・評価
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『薄気味悪い』と言えば、『何を言っている』と思うでしょ。でも。
単純に見て、障害者に対する差別に見える。しかも男目線な解釈。
この映画のどこが芸術って言えるのか?
『姉が聾唖』で、『弟が健常者』と考えれば、姉の障害の弱みに漬け込み、無理矢理に健常者の弟が姉を犯す。と言った行為のはずである。つまり、逆にする事によって、弟の行為を少しでも正当化し、人道的なエロスを含ませてしまっている。残念である。
さて、だからこそ、
この映画を純愛で人道的な愛の物語などと見てはならないのだ。やはり、畜生以下の行為として弟の行為に嫌悪感を抱き、稀代の悪として描かれるカラマーゾフのスメルジャコフの話と同じと見るべきなのである。そこまで、読めれば良い映画なのだろうが、前述の通り、見るものにはそこまで理解させる様に描いていない。
人物設定が初頭に申したように逆で、人道的な目で、どうしても見てしまう。
あのドストエフスキーだって、『血も涙もない家族』の中から『スメルジャコフ』を生んでいる。
完全犯罪が似合わない設定だし、母親の死に懸念を持つべきなのだ。
私の見解が正しければ、傑作なのだが。
昨日の夢に出てきた。
白黒映画にして、音を完全に消したサイレント映画にすれば大傑作だったかもしれない。
四方を山に囲まれた閉鎖的な国家で永世中立の国に対するアイロニーがあるか?!
1986年4月26日にチェルノブイリの事故が起こるが、あの後の地響きはそれの予兆なのか?と感じた。また、この段階で事故は起こっていない。しかし、最終処分所でもめていたようである。さて。
兎に角、この映画は純愛映画なんかじゃない。民族のナショナリズムがヒシヒシと感じる。
山の生活
むかしのじぶんにとって山の焚火はパゾリーニのアポロンの地獄を見るのと同じだった。禁忌を描写しちゃっているぞという扇情的な触れ込みが若いわたしのあたまの中ですごい絵にふくらんでいた。
しかし思えば若い頃エロを期待して見たものがエロだったことはなかった。(とうぜんといえばとうぜんだが)名画であつかわれる性は題材にすぎない。とはいえ今見るのとは違う新鮮さがあった。
端的に言うと閉鎖的空間によって引き起こされた近親姦を描いている。が、改めて見ると山の生活記録だった。
幼いころアニメのハイジを見た世代はハイジが住んでいる魅力的なログハウスや寝起きしている丸窓から高原が見渡せる山地生活にあこがれを持ったのではなかろうか。
山の焚火もおそらくハイジのようなものだ。ただし耳の聞こえない息子「坊や」が一家の生活にとほうもない混沌をもたらす。だが、それも含めて全体として孤立した山岳生活を描いている。
つまりハイジとてその後をリアルに大人向けに描いたとしたらペーターがハイジを犯ってしまうのかもしれない。
山の焚火も近親姦に重点を据えているわけではなく、山岳生活とはそのように僅かな人と人が孤立して生きている──と言っているのだった。
親は坊やが本来もっている男性に無頓着すぎた。耳が聞こえず精神的にも子供であることで坊やの素地にある性に油断していた。が立派な男の体をして対象が姉しかいない。それが起こることは必至だった。
とある批評家が学校へ行かないマーケティングをしている子供に、いずれ彼はできちゃった婚をして売り込みが終焉するでしょう──と予測していた。まったくだ。することのない若い男は性へ奔り最も手近な者をはらます。
キムギドクの春夏秋冬~で残酷な幼年期を終えた僧の青年期の描写は岩場で女とやっているところからはじまる。
あまねく人間のプリミティブな欲求なのだった。
もちろん姉ベッリにもそれは言える。姉弟がやったことは神をも畏れぬタブーだがベッリはあんがいタフだ。姉弟で仲睦まじくやっていきそうな鷹揚さも見せる。
そもそも相姦の描写はなく焦点でもなかった。
ムーラー監督のwikiには──
『~ギリシア悲劇的アクセントをもつ山岳住民の近親相姦を描いた『山の焚火』で真のインパクトを生み出し、~』
──と書いてあるがギリシャ悲劇作家のパゾリーニは性が中心テーマだが、フレディムーラーは山のドキュメンタリー作家である。
父が散弾の誤射で死に、それを見た母が発作で死ぬのはむしろ滑稽で唐突だった。母が一寸目を覚ますのが映っていてなんか適当さもあった。
山の焚火の触れ込みにはこれらが衝撃の結末だと謳ってあったがわたしはメルヘンに落としているように感じた。
この映画は権威主義者が性的なところに着眼した見解をしてそれが主流になってしまっているが、ユニークな山の生活を描いた記録映画と見るべきだろう。(と思う。)
死化粧された両親をいつでも拝顔できるようにするラストはなんとなく笑える。ユーモラスな(と言っていい)映画だった。
(現代の萌文化には妹に憧憬する兄という構図がよく出てくるが、兄妹間もしくは姉弟間における暗い欲心を描いたそれらのアニメやライトノベルは、近親姦に至らずともそれが仄めかされることで、山の焚火よりもはるかに不健全だ。そんな現代では尚更この話を衝撃と言ってしまうのは無理がある。──という話。)
スイスの山奥での神話のようなお話
なんの予備知識もなく鑑賞。もともと別のを見る予定が時間の都合でこちらを鑑賞したものです。
山奥の自給自足の生活が想像以上に過酷で、さらに4人家族の閉鎖的で単調な生活が繰り返されるので途中意識が遠退きつつも〜。
まだ子どもたちが幼いころはよかった、しかし、思春期を迎えた姉弟は、果たしてお互いを異性と意識しだすのである。おそらく両親も、娘はともかく息子の心身の成長には、気を揉んでいる様子が伝わってくる。
なるべくしてなったとも言える姉の妊娠、突然の両親の死と、それを弔う姉弟の時が静かに流れていく様子、言葉は要らない、実におとぎ話のように感じました。
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