山の焚火のレビュー・感想・評価
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山が隠す
あの山は、人間の罪も、価値観や道徳心も全部、まるでちっぽけなもののように包み込んで、そして何事もなかったようにそびえる。
あの火は、生者を静かに暖め、死者をも照らす。
父親は、山小屋を目指して上に上に逃れようとする弟に、下を嫌い上で生きていくことを決めた自分自身を見たのではないか。
母親は、弟を追い、愛情を注ごうとする姉に、父親と山で生活することを決めた自分自身を見たのではないか。
だから、母親は、姉の妊娠を認め、喜んだのではないか。
たとえ、相手が弟であっても。
たとえ、神の御心に背いても。
きっと、山は包み込んでくれるはずだから。
家族以外には心を開こうとしない父親。
父親に付き従う母親。
教養が備わり、愛情が深い姉。
聾唖の障碍に加え、行動が衝動的で予想がつかない弟。
会話が圧倒的に少なく、時折り響くビーンとなる音が、聾唖の弟を表しているのではないかと感じる。
そして、山の家族の微妙なバランスが、姉の聾唖の弟に注がれる愛情で崩れる……が、
山の奥でひっそり暮らそうが、聾唖だろうが人はいずれ性に目覚める。
神の御心に背こうが、人にはその衝動が訪れる。
僕達は、これを簡単に否定できるだろうか。
近親相姦が背景として語られる小説に出会うことがある。
村上春樹さんの作品にもある。
僕達は、いつの間にか、LGBTQが当たり前で、多様性を前提に色々な事を考えるようになっているが、こうした作品に出会うと、本当は自分たちの分かりやすいところだけで、僕達は知ったかぶりをしていて、この映画のモチーフになったような家族がいても、見知らぬふりをして、多様性のカテゴリーから除外して、生活してるのではないかと思うことがある。
僕は、近親相姦を肯定はしない。
でも、こうした人がいたとしても、これを容易に否定も出来ないと思う。
「ある船頭の話」を思い出した。
近代化以前の日本にも、人には知られないように隠されてしまった物語はきっとあったのだと思う。
この山奥で、電気もないような場所で暮らす家族の物語のように。
※ ところで、アニメでは、それほど描かれることはなかったが、ハイジのお爺さんは、里の人間達と相当な軋轢があって、山で暮らすことにした老人だったはずだ。
そんな老人の元にハイジがやってきて、老人は徐々に心を開いていく。
スイスには、こんな山奥で文明から距離を置いて暮らす人は結構いるのだろうか。
坊や大きくならないで
1985年のスイスの巨匠の作品。
原題は Alpine Fire
3000メートル級の山奥で自給自足で暮らすスイスの家族を描く。
親子4人家族と同じく山で暮らす祖父母の6人だけの登場人物。親子4人は10年前ぐらいの回想シーンではそっくり別の4人が使われていた。
少年は聾唖で、性格は頑固で凝り性で癇癪もち。癇癪もちはかなり偏奇的な性格の父親からの遺伝としばしば表現されていた。コミュニケーションは身振り手振り。姉さんが字を教え、手話を交え、家族のなかでは一番主人公と密接な時間を過ごす。母親は明るい性格ではなく、神経症的。母親と姉は主人公をいつまでたっても「坊や、坊や」と呼ぶ。そのたびに気持ちがゾワゾワしてしまった。優しい弟思いの姉さんが精神的にも母親役の何割かを担っている印象があった。家族のなかでは一番まともで、勉強もできて、町で教師になる夢があったらしい。家族の関係は悪くはない。だけども、少年に町で適切な教育を受けさせる機会を逸した後悔を母親は何度か洩らす。父親は頑固で、「バカにされて、金も取られて、戻されるだけだ」という。男のプライドが邪魔させているのだと思う。閉鎖的状況をより閉鎖的にしている要因だが、誰も強くは責められない。母親は夫に追従するタイプ。
娘は健康的で素朴で美しい。
少年は思春期に入り、姉に興味を示し始める。
やはり、閉鎖社会に暮らす姉弟は根本的に幼く、危うかった。
肝心の山の焚き火のシーンはまずまず予想できたものだったが、やはり衝撃的だった。
焚き火の焰、羽毛布団の白、天空の闇が幻想的だった。体を温めあううちに境を越えてしまったんだと誰もが疑うことのないシーンだった。
両親の亡骸を安置した雪降り積む庭に二人の顔が見えるように少年が家のガラス窓を外して設置するシーンでは、少年の無垢な心が非常に痛々しかった。
白のシーツや炭で黒く染めたシーツを干して、祖父母に忌中を報せるシーンは、その後に延々と続く悲劇を想像させるエンディングで、非常に重かった。
30年ぶり、懐かしくも新しい出会い
コロナで迷いながら、どうしても再会したくて渋谷を目ざした
ユーロスペースが移転したことすら風の便りだったので、見知らぬ空間が既にやや名画座めいていることに年月を思った
服と瞳の青色にすぐに泣きたくなった
食器の乳白、岩々の灰色、布やブリキや木々の質感、
農機の赤、草、灯り、霧や靄、肌と肉
雨風のみの静けさの中、時計の音だけはいつもある
言葉なく交わされる眼差し、表情、合図
何より自分を知っている夫婦の、決意と戸惑い
あの暮らしを選んだような、選ばざるを得ないような
そして終わりを告げようとしている、親子の時代
ハタチごろに感じた「癇癪持ち一家」への親さは、
それからやはり実感となって今に至る
今回は「怒りん坊」となっていた
恐らくどこにでもいつの世も、我々の仲間がいるのだな
「初めに言葉ありき」、母の聖母への祈りは、
言葉以前のある意味原始な命の営みの前に、少し虚しく響いて聴こえる
神話的でありながら、命の根源や真理を見る思い
歳を重ねてまた出会えて本当に幸せだった
昔のシネシャンテのプログラムも大事にしていたが、
今回のトリロジーのプログラムも質感や構成が素晴らしく、購入
ゆっくり読みながら、休校の子供たちの元へ帰ります
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