モモ(1987)のレビュー・感想・評価
全4件を表示
時間貯蓄銀行とはシュール
古来、お伽噺に人生訓を込めるのは親たち世代からの遺言のようなもの、さて現代のお伽噺には何を込めるのだろう・・。モモはあくせくせず、ゆとりある生き方についての物語です。
ミヒャエル・エンデのお伽噺なので兎に角シュール、人々がゆとりを失ってしまうのは「時間貯蓄銀行」の亡霊たちが時間を騙し取るせいという設定も分かるようでわからない。
確かに「時は金なり」のたとえ通り貴重なものであることは分かるが銀行が悪役で登場するのも現代的で意味深ですね。
救世主が恵まれない孤児の女の子という設定は児童向けだからでしょうか、「裸の王様」ではありませんが汚れを知らない子供らには真実が見えるとでもしたいのでしょう。そしてあなた方は汚い大人たちに騙されないよう悪と戦ってくださいねという作者の願いなのでしょう。
自分たちが不幸なのは誰かに搾取されているからかもしれないと言うのは大衆迎合性においても手っ取り早い落としどころですし、解決を自身でなく救世主に頼るところも受け入れやすいのかもしれません。ただ、この世界観は第一次大戦で疲弊したドイツ国民がヒットラーの妄言、扇動に載ってしまったのと通じる国民性の根深さを感じて怖いものがあります。
ミヒャエル・エンデ自身もパイプを手放せない愛煙家、紫煙が悪の象徴というは自虐的、奥さんも日本人ですし大の日本贔屓、時間の国への案内役が亀さんというのも浦島太郎をひっかけたのでしょうかね。
時間は大切
時間を奪って生きている灰色の男たち。カメのカシオペア。時の番人。ファンタジックに描かれているが、せせこましく生きる大人達への風刺でもある。特に床屋に現れたスキンヘッドの灰色は秒単位で人生の時間を計算する様子。ただ生きているだけのような扱いをされ、物欲を刺激される。友達を持って楽しく生きるだけじゃいけないのか・・・
ギターを弾くジジがもっとロマンチックであればよかった。
長い道は一歩一歩、急ぐ時ほどゆっくり
陽気な歌や何でもない暮らし、馴れ合いの軽いいさかい、楽しく遊ぶ子ども──どこにでもあるささやかな町。そこへ養護院から逃げ出してきた少女モモは明るく友達思い。モモも町の皆を、町の皆もモモをすっかり好きになる。
ところがある日、不思議な灰色の服の男達が町の各所に現れ町の人々に「時間を節約しろ」と吹き込んでゆく。モモは皆の余裕をなくさせる時間泥棒の存在を知り、時間を司るマイスターホラの元へ行く……
傑作ファンタジー!大人にも響くメッセージ性に溢れています。
女の子が主人公ですが、孤立無援で灰色の男達と闘わなければならない状況など、冒険的スリルもあり面白いです。
亀を追って時を司る部屋へ行くのは時間に追われるウサギを追う不思議の国のアリスへのオマージュかな?
舞台装置やキャラクターの色彩が美しく、視覚的にも楽しめます。敵は葉巻を吸い顔色の悪い灰色服の男達、時間に追われる人々や都会もモノトーン、趣味の悪いド派手な服の美女はモモの友人を誘惑する、真っ白だけど美しいセットの逆さまの道、金色の時計に溢れたマイスターホラの部屋、など。
一番切なかったのは灰色の男達によって夢であるスターになれたがためにモモを助ける余裕をなくしてしまったニノの「一番怖いのは夢が叶うことだ」という台詞。
夢を見ること、空想することの楽しさを序盤子ども達の遊びで見せているからこその「夢に縛られてしまう」怖さが分かります。
ファンタジーは設定が適当だと一気に陳腐になりますが、この映画の「灰色服の男」「葉巻」「時間の花」の設定は上手く、一貫しています。時間の花が溶けて花吹雪となり、ハッピーエンドを迎える幸せなラストの視覚効果としても素敵です。
面白く優しい近現代の寓話。
原作の本も読もうと思えました。
全4件を表示