「不運に次ぐ不運。そんな二人の行く先。チャップリン氏の生き様。」モダン・タイムス とみいじょんさんの映画レビュー(感想・評価)
不運に次ぐ不運。そんな二人の行く先。チャップリン氏の生き様。
チャップリン氏映画初鑑賞。
あらすじだけをみると、孤児が出てくる映画が多いが、ご自身の人生の反映か?
羊の群れ、人々の出勤風景。
社長が取り組むパズル。
ラインでの作業風景。
歯車に飲み込まれる主人公。
誇張された風刺を簡潔にテンポよく見せてくれる。
食事の自動化。生産性向上を目論んだ人間の機械化計画。
実際に、オートメーション化された工場が立ち並んだ頃、パフォーマンスを上げるための様々な実験ーどんな照明が良いかとかーが行われていた。
この映画を観れば、人間性の喪失を憂えることができるのに、その皮肉に笑いも出るのに、
実際の生活では、子どもたちが栄養素が凝縮されたカロリーメイト等を片手に、食事する間も惜しまされて、勉強しているとか、
画面による工員管理≒最近はやりの、仕事場にいながら、家にいるわが子をモニターする装置とか。
時間で管理されて、塾や習い事の掛け持ちとか。
この映画を笑えない状況が進んでいる。
そんな場で働き、おかしな行動をとるようになり、入院治療を受けることになった主人公。
治ったかと思ったら、あらぬ誤解で刑務所へ。
刑務所内では、ひょんなことから厚い待遇を受けることになるものの、
推薦状を得て職に就けば、さしたるOJTもなく、大ポカをやり、失職。
結局、生きるために罪を犯す。今も、刑務所等で問題になっている回転ドアのループ。
何とか職を得ても、事件に巻き込まれたり、デモが始まったり、理不尽な罪に追われたりして失職。
なんて人生ままならぬ。
支えあう少女も、今の言葉で言えば貧困女子。妹たちの食料を何とかして母の代わりに家事をするヤングケアラー。父も不慮の事故(と言えるのか?)で失う。しかも、安定した職を得たと思ったら、パンの窃盗罪で連行されそうになるのならともかく、私には理解不能な罪で追われる。
こちらもままならぬ人生。
そんな二人の日々が、ロマンティックに、コミカルに描かれる。
新婚夫婦をみて憧れた少女が、家を見つけてきて、キレイに整える。座ろうとすれば床が抜け、ドアを閉めれば梁が落ちてきてという家ではあるが。二人で、テーブルで食べる食事のおいしそうなこと。
デパート。外には食事もまともにできない子どもたちが溢れているが、ここには何でもある。女王のように、ロープをまとい、ふかふかのベッドで寝る少女。その前のボロ小屋の床で寝ている姿を観ているだけに、涙が出てくる。
少女は夢見ることを忘れず、叶えるための努力を怠らず、自分を助けてくれた主人公を大切に思い、最高の笑顔を向ける。
主人公は、とぼけた表情ながら、相手を大切に扱い、腐らず、淡々と自分のやるべきことを自分なりにはやろうとする(失敗続きではあるが)。
場当たり的と言えば、場当たり的ではあるが、前述のように、努力しても実らぬ日々。そんな中で、(盗みはするし、勝手に使うけれど、必要最小限)人をだまして陥れることなく、その時その時を最善のものにしようとする姿が愛おしく。
チャップリン氏のパフォーマンスに笑わされるが、全体的には、大きな歯車に巻き込まれ、自分の力では抜け出せないーーレストランでの一場面が端的にそれを表現していて秀逸ーー様が描かれている。そのやりきれなさ・口惜しさは『自転車泥棒』を彷彿とさせる。
だから、気持ちの良いカタルシスは得られない。
それでも、ラストの「スマイル」。孤児であったチャップリン氏の生き様が反映されているのか、そんな運命に押しつぶされない人間性に強く心打たれて、じんわりとする。
と、映画の筋だけを追うと、もやもやも相まって、評価はあまり高くない。
それでも、チャップリン氏のパフォーマンスにくぎ付けになる。
ローラースケート、ダンスと歌は圧巻。永久保存版。それ以外でも、工場中を逃げ回る場面でも、体の軽いこと、美しいこと。バレエの素養があるのだろうか。
パフォーマンスだけではない。
最初と、次のデフォルメされた工場内の美術・演出。
刑務所内での寸劇。
造船場での間のおかしさ。
パトカー内。
レストランでの演出。あの、フロアダンスの見事さ。
一つ一つが素晴らしい。語り継ぐべきシーン。
観る価値あり。
共感&コメントありがとうございます。
戦時中の言葉かと思いましたが、よく考えると現在も“浮浪児”存在してますね・・東ヨコとか。
アヒルを客に出すのに、あれだけ引っ張って・・面白いんですがちょっと飽きてしまいました。