劇場公開日 2025年8月15日

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「世界の映画作家達に愛された、幻の一級サスペンス」ミュート・ウィットネス 緋里阿 純さんの映画レビュー(感想・評価)

4.0 世界の映画作家達に愛された、幻の一級サスペンス

2025年8月29日
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鑑賞方法:映画館

興奮

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驚く

【イントロダクション】
声を出す事の出来ないハンディキャップを持つ女性が、スナッフフィルムの撮影現場を目撃してしまい、戦慄の一夜に巻き込まれる姿を描いたサスペンス・スリラー。
1995年のカンヌ国際映画祭やトロント国際映画祭に出品され、『ホステル』(2005)、『グリーン・インフェルノ』(2013)の鬼才イーライ・ロス監督をはじめ、世界中の映画作家や批評家に愛されるも長らく日の目を見る事のなかった幻の一作が、デジタルリマスターで蘇る。
監督・脚本は、本作が長編デビュー作となったイギリスの映画監督アンソニー・ウォラー。

【ストーリー】
特殊メイクアップアーティストとして働くアメリカ人女性のビリー(マリナ・スディナ)は、姉のカレン(フェイ・リプリー)とその彼氏で映画監督のアンディ(エヴァン・リチャーズ)らと共に、映画撮影の為にモスクワのスタジオを訪れていた。

撮影が滞る中、スタジオの閉館時間を迎えてしまい、ビリーらはその日の撮影を切り上げざるを得なくなる。しかし、忘れ物を取りにスタジオに戻ったビリーは、施錠され閉じ込められてしまう。何とか外への連絡を試みる中、ビリーは館内に人の気配を察知してスタジオ内を彷徨う。

ビリーがスタジオ内を彷徨っていると、映画の撮影スタッフでカメラマンのリョーシャ(セルゲイ・カルレンコフ)と照明係のアルカディ(イゴール・ヴォルコフ)が、密かにポルノ映画を撮影している現場に遭遇する。気まずい雰囲気の中、声を出せないハンディキャップを抱えているビリーは撮影が終わるのを待つしかない。しかし、突如アルカディが女優を暴行し、隠していたナイフで滅多刺しにする。彼らが撮影していたのはポルノ映画ではなく、裏社会で流通しているスナッフフィルムだったのだ。あまりの光景にその場を立ち去ろうとするビリーだったが、女優の手荷物やコートが掛けられていたコート掛けを倒してしまう。

物音を不審に思ったリョーシャは、アルカディと共に館内を逃げ回るビリーを捜索する。やがて、ロシアの裏社会で「死神」と呼ばれる黒幕(アレック・ギネス)の指示により、ビリーの悪夢のような一夜が幕を開ける。

【感想】
映画作家や批評家から絶賛されながらも、日本では一部ミニシアターでの公開後、90年代というレンタルビデオ店全盛期において飽和状態にあったB級ホラー作品群に埋もれる形でビデオリリースされてしまったという不遇の名作。

予告編の雰囲気と魅力的なあらすじに興味を惹かれ、わざわざ新宿へと足を運んで鑑賞してきたが、その価値は十分にあった。

低予算ながらも(それでも、当初の製作予定費の倍額掛かってしまったらしい)、鏡や影の使い方が印象的で、随所に冴え渡った巧みな演出が光る。ポルノ女優が殺害される瞬間やビリーの鬼気迫る瞬間等、登場人物の目元のアップで事態の深刻さを演出するのも印象的。
ビリーがリョーシャに追われてスタジオの非常口に走る際の、まるで緊迫感と絶望感で彼女の視界が歪むかのような、背景の廊下が歪んでゆくカメラワークも素晴らしい。

また、脚本の出来もデビュー作とは思えない完成度を誇っており、二転三転するストーリーに最後まで目が離せない。パンフレットのインタビューによると、脚本完成から作品の公開までは10年近くの月日が経過しており、紆余曲折あったようだが、本作が無事に完成してくれて良かったと心から思う。言葉が話せないだけでなく、他の登場人物達も言語の壁により意思疎通が困難になる場面があるというのは、リアリティともどかしさが両立しており良かった。

ただし、常に観客の予想を上回ろうとするあまり、脚本として疑問が浮かぶシーンもある。特に、ラストで死神が組織の流通経路のデータが入ったディスクを回収しなかったのは、例え車ごと爆破して証拠隠滅を図る為にせよ、脚本の為の都合として感じられてしまった。せっかく直前でビリーの職業を活かした血糊と発火装置による偽装死を描いたのだから、ディスクも即席で用意した小道具の偽物とすり替えておいても良かったのではないだろうか。その上で、死神の乗る車の車内で部下が「戻ってディスクの中身を確認しましょう」と提案するが、死神は「必要ない。恐らく偽物とすり替えられているだろう」と一蹴する。しかし、死神は冷静な姿勢を崩さないまま「心配ない。何も残りはしない」と告げ、ラストへの伏線を張っておく。そして、危機迫った表情の刺客の様子に気付いたビリーと、その意図を汲みとったアンディが「車から出ろ!」と間一髪の所でラーセンの救出に成功し、ラーセンは持っていたディスクを翳して笑みを浮かべて見せるという締め括りの方が、「どんな場面においても、最後は常に主人公が敵を上回ってみせた」という演出として活きたと思うのだ。

主演のマリナ・スディナがとにかく魅力的。美しさの中に可愛らしさも併せ持つ彼女が、言葉が喋れないというハンディキャップを抱える中での必死の逃亡劇や窮地において、機転を効かせて事態を脱したり反撃したりと、単なる被害者に留まらない果敢な姿勢で様々な表情を見せてくれる。監督によると、脚本段階ではビリーには台詞があった様子だが、より困難な状況を演出する為に、撮影時に「話せない」という設定に変更されたそう。その英断ぶりに拍手。

スナッフ・ビデオの撮影・販売と、それを流通させる裏組織、組織と通じている一部の警察官の汚職ぶりは、ソ連崩壊後ロシアとなってまだ間もない、混乱渦巻く一国の黎明期の社会情勢が垣間見えるようだった。実際、監督によるとモスクワでの撮影は障害だらけだったらしく、ロシア最大の映画スタジオすら廃墟同然だったという。本作はある意味で、貴重な歴史資料の一面も持ち合わせているのかもしれない。

【総評】
公開から30年が経過した作品ながら、主演のマリナ・スディナの魅力含め、今なお通用する最後まで目が離せない一級のサスペンス。国内盤のDVDが廃盤となり入手困難な以上、是非ともBlu-ray化による再販を期待したい。

緋里阿 純