劇場公開日 1950年3月7日

「緑色の髪の意味」緑色の髪の少年 あき240さんの映画レビュー(感想・評価)

4.0緑色の髪の意味

2018年10月2日
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緑色とは平和思想のメタファだ
自らが戦争孤児であることを認めた時、少年は髪が緑色に変わってしまう
本作製作は1949年、旧ソ連が初の核実験に成功した年なのだ
つまり人類は核兵器を応酬する戦争に初めて直面して恐怖した年
その前年は第一次中東戦争が勃発し、翌年の1950年には朝鮮戦争が起こる、いつ核戦争にエスカレートするかもしれない、そんな時代背景なのだ
森の中で出合う戦争孤児達の幻が列挙する五か国は国連安保理の常任理事国だ
商店で井戸端会議をする3人の婦人の意見は、当時の世間一般の戦争に備えるべきとの風潮を現している
少年の平和思想を大人達は否定し子供達まで、病気ではないのか?そんな考え方が拡大するのではないのか?と恐れ、緑色の髪を切ろうとするのだ
牛乳屋の親父は経済界、水道局員は政府の寓意だ
そして結局、彼の保護者たる老年の叔父も理解をしつつも髪を切らせる
髪を切ることは反思想を捨てろと言う意味だ
味方は、進歩的であるシンボルとしての若く美しい女性教師だけなのだ

結論として、切った髪はまた緑色で生えると少年に言わせている
つまり、それはなんらおかしい思想でもない
恥じることなく平和思想、反戦運動を広めていくべきだと高らかに歌い終わる
90マイルあるけれど、すぐ行けると楽しく歌うのだ

いい話だ、良くまとまって、寓意と少年の良い演技、監督の演出の上手さで政治の生臭さを感じさせず最後まで楽しく観せてくれる
当時の世の中に一石を投じた意義は高く評価すべきだ

しかし21世紀の今日から見ればどうか
なんと単純な、おとぎ話だと皮肉な視線を向けてしまうのだ
なぜなら、平和運動、反戦思想は当時の東側の国に乗っ取られ逆手に取って操られ、自国の軍拡に対抗する動きを潰す道具に使われてしまったのだ
その汚い手口を我々は散々見てしらけてしまっているからだ

現代から見れば、緑色の髪の少年もその犠牲者だったのかも知れない

あき240