劇場公開日 2020年6月27日

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「ポネット思い出話」ポネット つとみさんの映画レビュー(感想・評価)

3.0ポネット思い出話

2024年1月5日
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鑑賞方法:VOD

実は「ポネット」を観るのは2回目で、初めて観たのは公開当時だった。四半世紀以上前のことだが、ある意味思い出深い出来事だったので、今でもよく憶えている。
残念ながら「よく憶えている」のは映画の内容ではなく、自分と自分を「ポネット」に誘ってくれた大学生のことで、よく考えれば当たり前なのだが、当時の我々は「ポネット」を鑑賞し、映画の内容を咀嚼するには若過ぎたのだった。

当時の映画館は指定席などレアな存在で、大概は入場券を購入し、入場順に座席を選んで座るスタイルだった。
「ポネット」はいわゆる単館系の映画で、わざわざ東急文化村シネマまで出掛け、上映2時間前に到着したにも関わらず立見が確定していた。そう、当時は小さい映画館では立見も当たり前であった。
曲がりなりにもデートのつもりだったので、高いヒールで待ち時間プラス上映時間の4時間強を立ちっぱなしはあまりにもしんどい。結局その日は揉めに揉めた挙げ句、映画館も映画も変更。後日改めて「ポネット」リベンジでどうか?ということになった。

後日。公開終了直前になってしまった事もあり、更に早く4時間前に出掛けて、それでも着席はギリギリ。大喧嘩に発展する事態だけは避けられたが、そんなにみんな「ポネット」が観たかったのだろうか。正直言うと私自身はそこまで興味がなく、なんでここまで苦労して「ポネット」を観に来たのかもよくわからなかった。
実際、今回観直すまでポネットちゃんが「ママ、ママ」と泣いていたことくらいしか覚えていなかったし(大まかに言えばそれであってるのだが)、他ならぬ「ポネット」鑑賞に並々ならぬ決意を持って挑んでいた(ように思えた)同行者の感想も「ポネットちゃん、可哀想だったね」という小学生並みの一言であった。一日の25%費やしてそれかよ!

と、まぁそんなわけで2回目の鑑賞も別にそこまで観たかったわけじゃないのだが、もう大分イイ大人になってから観ると、ただポネットちゃんが可哀想な映画ではなく、10歳に満たない年頃の子供だけが持つ世界と大人の世界の境界に翻弄されるポネットと、彼女の父親の愛情を示す映画であった。

初めて観た時はチョロっとしか出て来ない父親の存在など、ほとんど意識してなかったように思う。
また、ポネットがママともう一度会いたいという気持ちで、必死に色々と努力していることもわかっていなかった。
何しろポネットがママと会うための努力、というのが神の子になるための試験だったり、ママが復活するための呪文だったりと、かなりイマジナリーな世界で行われるからだ。しかし、思い返してみれば、あれくらいの年頃の時、我々も現実世界とイマジナリーな世界を自由に行き来していたのではなかったか。

横断歩道の白い部分、花壇の縁、公園の飛び石、大きな木の上、滑り台の下やジャングルジムの天辺、そこかしこに天国や地獄や洞窟が見えていなかったか。鬼ごっこの最中に、自分が本当に鬼の子どもになってしまった気がして、不安に駆られて泣いたりしなかったか。
そんな年頃の少女に、「死」という概念は難しく、また「祈っていれば会えるわ」という言葉はメタファーでも慰めでもなく、直接的な助言にしかならない。

「ポネット」ではほとんど大人の出番がなく、子供たちだけのシーンで、子供たちだけが見える世界の話をしている。なのに視覚は完全に現実世界だ。
だから、現実に見えている景色の中にポネットやデルフィーヌやマチアスやアダたちが見ている世界を脳内再生出来ないと、彼女の気持ちを理解することなど無理なのである。
そして、子供たちの気持ちを無視して、大人の流儀で母親の死を慰めようとしても、ポネットには届かない。
そんな中で唯一ポネットの父親だけは、比喩や気休めではなく現実に起こった出来事の話をし、ポネットにとっての現実についても否定しなかった。
幼いポネットに対して、彼女の人格を認め真に向き合った父の愛を確認できたことは、「ポネット」に関する様々な出来事の中で一番良かったことかもしれない。

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つとみ