ホテル・ニューハンプシャーのレビュー・感想・評価
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Keep passing the open windows
憧れのナスターシャ・キンスキーとジョディ・フォスターを同じ映画で見られるというだけで期待しながら見た映画。ただしょっぱなから悲劇は訪れる。生あるものはその後も人生を続けていくわけだが、生きていけば辛いことがたくさん訪れる。容赦なく。
日本語では「開いた窓は見過ごすこと」となっているが原文は「Keep passing the open windows」。見過ごし続けること。人生のちょっとしたタイミングで何度も現れる「開いた窓」にゆめゆめ気の迷いでふらふらと近づいてしまわないようにと読み取れる。
さっさと通り過ぎてしまわないと窓の深淵を見たら囚われる、映画ではそんな雰囲気を繊細にきちんと描かれていたと思う。映画の中の人生は映画の中で終わる。見終えた後、自分の人生に向き合う、そういう映画だと思う。
映画を見た後で何十年も覚えているセリフというものに出会えるのは素晴らしいし、このセリフの意味をじっくり考えられた時代が懐かしくもある。
自分は普通の人間の着ぐるみをかぶって生きているのだ!と変な暗示をかけていた。これは熊のスージーを見習って傷つかないように生きてたんだと思う。
小粒版『ガープの世界』
あっちこっちに散逸した物語の筋が途方もなく大きな愛によって不思議と大団円へ導かれるという構造はジョン・アーヴィングに特有のものであり、したがってここを再現できるかどうかがアーヴィング映像化作品としての価値を大きく左右するわけだが、本作はけっこううまいことやっていたと思う。
ただ、アーヴィングの映像化作品は本作の数年前にジョージ・ロイ・ヒルが監督した『ガープの世界』が構成的にも技法的にも大傑作であったため、それと比べてしまうと幾分か地味な印象。というか構成や技法もかなり強く『ガープ』が意識されている気がする。
死んだはずの家族が談笑し合うカットの裏面で「それでも僕たちは生きていかなくちゃいけない」と言って物語を締め括ったのはかなり好きだった。希望と絶望の表裏一体性を戯画的に描き出すスタイルはアーヴィング文学の一つの特徴であり、ここのカットはそれをうまく映像の形式に落とし込めていたと思う。
そういえば相米慎二『お引越し』のエンディングも、全ての時空が混じり合った亜空間で主人公が映画内で交流のあった知人や友人や家族と再び交流するというものだったけど、もしかしたらこれが元ネタなのかもしれない。あったかもしれない世界を夢や想像の中に描き出すことで現実の自分が少しでも前向きに生きていくことができるなら、それは決して悪いことじゃないと思う。
前衛?さっぱりわからない
アメリカ人家族の強い絆がどんな荒波をも乗り越える逞しい人生ドラマ
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