ボーイズ'ン・ザ・フッドのレビュー・感想・評価
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将来を考えて生きていく。
1984年、ロサンジェルスのサウスセントラルのクレンシャーウ( Crenshaw)地域の話である。そして、7年後、クレンシャーウ高校に通っている近所の仲間同士のそれぞれがどう判断し行動するかによって、自分の道が決まってくるという現実的な体験が描かれている。残念だが、高校での様子がまるっきり描かれていないので、平日も週末も勉強しないで過ごしているのかもよくわからない。高校の図書館でSATテストを受けている様子とトレーJason "Tre" Styles III のガールフレンド、 Brandi Nia Long が机に向かって勉強しているシーンだけだったと思う。
トレー(Jason "Tre" Styles III ーCuba Gooding Jr.)と兄弟、ドウボーイ( Darrin "Doughboy" Baker ーIce Cube )とリッキー(Ricky Baker ーMorris Chestnut)の三人が中心人物だ。トレーは親が離婚していて、ダリーンとリッキーは母子家庭で成長していく。トレーの父親はLaurence Fishburne は黒人社会の中で賢く生きてきた人のように思える。だから、彼のアドバイスはトレーの迷いの決断力となる。
コソドロに入った男の頭を撃ち抜くことはまたそれが、他の兄弟を殺すことになる父親は言う。トレーはこの言葉を理解していないがこのような父親の言葉が必ず心に残っていく。
海辺でのシーンが一番好きだ.ここで、どう生きていくか父親が教えている。父親が 『リーダー?それとも人の後についていく人になる?』そして、三つのルールを確認させる。1)人の目を見て話す。そうすれば、尊敬される2)質問するのにおそれをなすな。なんでもきけ。3)盗みは必要ではない。
尊敬し返さない奴は尊敬するな。新しくセックスについても、『誰でも子供は作れるが、本当の男は子供を育てる』とトレーは子供の時、教えられる。それから自分の経験談を話す。17歳で子供、トレーができ、泥棒仲間に入れと言われたが、『子供ができるから』と拒否。『I wanted to be somebody you could look up to だからベトナム戦争に行ったけど、息子よ、軍に入るな』と。黒人は軍に入っても、何にもになれない。居場所がないよと。
三人は高校生になる。父親は高校生になった息子とリッキーをコンプトンのあるエリアに連れていく。ビリボードの意味を話す。ここはまるで、キリストが説教を始めると人が周りから集まってくるシーンと同じようだ。そこで、『Cash for your home』と書いてあるビルボードの意味を説明する。それが、ジェントリフィケーション Gentrification だと。
貧しい地域の人々が住んでいる家を現金で買って、その一帯の黒人が住んでいる地域を一掃して、土地の価値をあげる。そして、他の金のある人に(黒人以外)に売る。父親はこの場所を黒人の住む場所にしておく必要があると。
私もジェントリフィケーション Gentrificationをこの目で見た経験がある。何年も前だが、市が同和地区の家々を買い占め、そこをプールや競技場にした。同和地区の人々はどこに引っ越したんだろう。その同和地区と新しくなった地区の光景がまだ目に残っている。
父親の話の後、ある爺さんが家の価値を落としているのはここにいるギャングどもだと。麻薬を売ったりしてるから。父親は『どうやって麻薬がこの地域に入ってくるのかと。どうやって銃がここに?テレビでこの問題をとりあげていても、黒人地区では問題はないが、アイオア州の白人だけの土地に行けば問題になる。銃や酒屋は黒人の地域の隅々にある。でも、ビバリーヒルズにはない。なぜだかわかるか?黒人同士をお互いに殺させるためさ。黒人同士を殺し合いさせて、人類を消滅させるためさと。』まあ.........こんなようなことを父は話す。
最後のシーンはそれぞれの道が決まってくる。ドウボーイはトレーがギャング仲間に入らないかを理解する。そして、アメリカのメディアが
国内の黒人の争いを報道しないのか疑問を抱いている? これはトレーの父親がビルボードの下で話たことと結びつく。トレーの父親の家に泥棒が入った時も、一時間もかかって警察がやっとくる始末だからね。
エピローグのテキストではリッキーは翌日埋葬され、ドウボーイは二週間後の殺される。トレーはジョージアのモアハウス大学にMorehouse college, ガールフレンドのブランディもモアハウス大学の近くのスペルマン大学Spelman collegeに通うことに。
存在の軽さ
お父さんはカッコよかった。
成長した息子は…え?という感じ。
似てない親子。
二人組の警官が何度か出てきたが、黒人警官の方が厳しいのはなぜか。
ああいう場所では警察も守ってくれないわけか。
リッキーを殺した3人、そして3人を皆殺しにしたダウボーイ。
そのダウボーイもまた…。
この街ではニュースにもならないと言っていたが、本当に人の存在の軽さには驚く。
ダウボーイの母親はひどいな。
反知性の恐ろしさ
この映画の見所は主人公の父親の言動に集約されている。彼の主張は一貫して「責任を持って行動するべき」という事である。「責任を持って行動する事」とは即ち「自分自身で考えて決断し、風潮に流されずに行動する」という事の言い換えである。
「仲間と共にギャング襲撃に向かう際、一人車を降りる」「セックスの直前に結婚の話をする」など、湧き上がる衝動に打ち勝って、このような冷静な行動をとる事が出来るのは磨かれた知性の賜物だろう。
冒頭の〝STOP〟という標識も象徴的である。知性を得る事で、皆が流れるまま同じ方向へ向かう時も立ち止まって考える事が出来る、というメタファーか。
知識人として女性蔑視に立ち向かう母親の姿も然り、主題が一貫しており、強いメッセージ性が感じ取れる。
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