ベン・ハー(1959)のレビュー・感想・評価
全42件中、21~40件目を表示
【”憎しみより愛と赦しを” 神の下での一人の男の流転の人生を描く。】
-今作品は、初鑑賞である。(憐れみの眼で見ないで下さい・・)-
客電が落ち、音楽が流れ始めるが映像が出ない。ひたすら出ない。音楽は流れ続ける・・。
故障? 他の観客に聴きたいのだが、皆さん(と言っても4名のみ。)通路側に座っており、ど真ん中で見ている私はどうしようもない。
ひたすら、映像が出る事を”神に願う”事、8分位。
(後から入場時に渡された紙を観たら”開始後、6分半序曲が流れている間はスクリーンに映像が出ませんが、こちらは演出によるものとなります。”と書いてあった・・。)
漸く、メトロのライオンが画面に出て、ほっとする・・。(全くもう!)
さて、内容は多くの方が観ていると思われるので記憶に残った部分のみ記す。(3H42Mもあるんだよ!)
・冒頭、西暦26年とテロップに出る。あ、ベン・ハーと”神”はほぼ同じ年齢なのね、と分かる。
・ユダヤ貴族のベン・ハー(チャールトン・ヘストン:敬愛する伊丹十三のエッセイで(彼は、チャックとお友達だった・・)、チャールストン・ヘストンなどと平気で書くのはいやだねえという文があったなあ・・))は、ある事故により、朋友だった筈のローマ人軍司令官メッサラから舟を漕ぐ奴隷にされ、更に母と妹は囚われの身に。
・奴隷として歩かされている際、親切に水を飲ませてくれた人の後ろ姿。
(心の中で”松山ケンイチだ!”と叫ぶ。似ているのである・・。)
- 今作が秀逸なのはこのシーンを始め、”神”の顔が描かれない所である。”神”の表情を如何様にも想像できるから。(他の宗教上の理由もあるかもしれないが)鑑賞中に偏った宗教観に捕らわれる事が無かったのは事実である。ー
・インターミッションの後の、4頭立ての馬レースのスピード感溢れる、凄い迫力の映像。CGのない時代にどうやって撮ったのか?
他の場面もそうなのだが、出て来る人の数が凄い。特にコロシアム内のこの馬レースの迫力は今作の白眉のシーンの一つである。
・囚われの身となった母と妹が”業病”になった事が分かるシーン。”業病”とは聞きなれない言葉だが、母娘の仕種を見ているとハンソン病だろうと分かる。
その母娘に対し、ベン・ハーを想うエスターの献身的な姿(”業病”はわが国でも、近年まで触れると感染するとされていた病である・・)と、ベン・ハーを想うがゆえに付く哀しき嘘。
が、ベン・ハーに気付かれてしまい、二人の関係性に罅が入ってしまうシーンと、彼が岩陰に隠れながら母娘の姿を覗き見るシーンは観ていて辛かった。
・”神”がゴルゴダの丘に十字架を背負わされ歩かされるシーン。ベン・ハーが”神”に水を与えようとするシーン。
<”神”が処刑された時の言葉を聞いたベン・ハーが
”恨みは、洗い流されてしまった”
と呟くシーンと、その後に母娘に起きた奇蹟のシーンは忘れ難い。>
2019年に観ても新鮮
古い映画なので、なかなか観る機会がなかった。ふとしたきっかけで観たら、長い映画にもかかわらず引き込まれた。チャールトン・ヘストンの誠実さ、ハイヤ・ハラリートの眼の力、が印象的だった。馬車のシーンは今見ても迫力がある。
長すぎないか?
もうとにかく、これでもかって言うぐらいお金がかかっていて、場面場面でそれをまじまじと見せられるので迫力満点!実に見ごたえのある作品でした!!
でも、少し長すぎやしないか??
とも思いました・・・
キリストの話
サブタイトルにもあった「キリストの話」。劇中にはイエスともキリストとも名前が一度も出てこないし、後姿しか登場しない。炎天下、鎖で繋がれた奴隷ジュダのもとへ水を汲んでくれる男が登場し、ここで既に全てを予感させ、「生かしてくれたこと」や「復讐心」という心理的伏線を提供してくれる。
キリスト教の「奇跡」の扱いは大げさでもなく、無宗教の者でも納得がいく。戦車競技もさることながら、その後の母と妹の隠遁生活と「息子に会いたくない」という台詞に心打たれます。奴隷船の描写は、何度観ても『スパルタカス』と混同してしまう・・・41号、3年なんですよね。
映画ってこういうの
これぞ映画!という映画。
迫力があります。
ベン・ハーも昔ながらの「勇気ある正義感あふれる主人公」そのもの。
(今の主人公は無口で遠くからそっと全員を操作する根暗系?)
競馬のシーンは少しトラウマになったけど、減点はそのくらい。
(死者が出たかは今も不明で、そこが怖い)
妹が苦しんでいるところへ、強引に押し入って妹を抱きしめてあげる
とこは何か涙出そうになりました。
映画!というものが見たい人はオススメです。
あと、影の主人公もかなりイイ。。
大作
ユダヤ人 ベン・ハーの、ローマ人との間に起こるアクシデントによる数奇な人生を描く映画。そこにイエス・キリストの奇跡が絡んでいく。
当時の技術でここまで描写できるものかと思う大作。一見『救い』のないベン・ハーにもイエス・キリストの救いがあり、人の罪を背負って磔になられたイエス・キリストの救いが身にしみます。
凄いの一言!
昔、親父に無理矢理観せられた。
兎に角凄かった。迫力・アクションシーン・エキストラの数・時間の長さ・・・どれを取っても破格の映画だ。
特に有名な戦車の戦闘シーンはCGのない時代によくもあれだけのアクションが撮れたと思う。
「十戒」と供に映画史に残る大作!!
社運を賭けた超大作
大まかな粗筋はすでに知っている作品。だのに、なんでこんなに魅入られるのだろう。
どなたもおっしゃることだが、ガレー船のシーンも、レースのシーンも、あら捜しをすればいくらでもできると思うが、そこらへんのCG物より迫力満点。他のシーンも見ごたえある。
DVDについていたヘストン氏等の解説を伺うと、当時TVの台頭により斜陽となった映画界・映画会社。そんな衰退の危機に社運をかけて制作された映画。豪華絢爛・広大なセットも、実は使いまわしと聞いてうなってしまった。
そんな中で選ばれた題材。副題に『キリストの物語』とつくベストセラー。
とはいえ、世界中の、キリスト・ユダヤ教以外の人にも見てもらわなければ、赤字になる。だから、極力キリスト秘話(賛歌)は削ったそうだ。
ローマ(抑圧者)に痛めつけられても、誇りを・他者へのやさしさを失わなかった男が生きる希望を見出す物語。
1950年代。未だナチスの傷跡が濃く、反面赤狩りも始まっていた時代。ローマという古の悪役に、観客の怒りを投影させる。そこに不屈の男。その技量で抑圧側の総大将からも愛でられ、奴隷から跡取りへと出世を遂げる。だが、自身の栄華のみではなく、親族の・民族の悲運のために戦おう。とはいえ、いつまでも恨みを背負っていれば世界はまた戦争になる。そこに”赦し”。奇跡もキリストを信じたからではなく、ただ無実の者への哀れみを持っていたからだという設定(説法を聞きに行っていたエスターが奇跡を受けるのではなく、初めて出会った母と娘が奇跡を受ける)。抑圧者から受けた業病もきれいに洗い流され、”愛”の未来をというところで映画が終わる。
だからかな。キリスト教者ではない私も、ジュダや周りの人間に気持ちを寄せて、様々な感情を揺り動かされて見入ってしまう。
この原作の映画化は、すでに何本もある。だのに、この古い映画を越えるものができたという話はまだ聞いたことがない。他の映画は未見だが、観てがっかりしたらどうしようと思ってしまうほど、この作品の完成度は高い。
プロデューサーの急死等すんなり完成とはならなかった作品。
役者も、ヘストン氏がメッサラをとか、様々に変転したらしい。
監督は、族長を演じたグリフィス氏や皇帝を演じたレルフ氏を「さすが、シェイクスピアの国の役者だ」「舞台役者だ」と褒めていた。うん、多少舞台役者らしい大仰な立ち回りとかはあるけれど、品格が備わっている。ピラトを演じられたスリング氏の所作なんて、生まれもっての貴族ってこういう立ち姿なんじゃないかしらなんてうっとりしてしまう。そのくせ、親友の跡継ぎに対する思い入れと為政者としてのいやらしさを的確に表現して見せてくれる。
レースの観客はエキストラ。ゴールしたジュダの馬車を、コースに降りて追いかけてくるのは演出ではなく、自然発生的に起こったことだそうだ。さすが、イタリア人(笑)。
馬車(戦車)から落ちかけた場面は本当にあった偶然のミスだそうだ。そんなアクシデントさえ、没にせず、使いこなす演出(ちなみに、解説では「死人はでていない」を強調していた)。
ことこまかに、しつこく取り直した場面と、このような偶然をそのまま使うセンス。さすがだ。
このような解説を伺ってもう一度鑑賞しなおすと、単なる数奇な運命をたどった青年の物語としてではなく、エスターの、メッサラの、言動に新たな意味を付与してしまう。そして、最後の嵐とともに、心のオリが洗い流されるような清々しさで終わる。
一度は鑑賞してもらいたい古典だと思う。
しかし、この映画でのヘストン氏がレッドメイン氏に、
スリング氏がリックマン氏に見えてしまうのは私だけだろうか?
スリング氏とリックマン氏はともかく、
ヘストン氏とレッドメイン氏ではムキムキ度が違うというのに…。
歴史 戦車 赦し
お前も被害者だ
4時間近い超大作。
しかし全く退屈しないストーリー。起伏に富んでおり、先が読めず、感動できる歴史物語。
特に有名なレースシーン、海上での戦闘は迫力抜群。CGではないリアルな描写であり、俳優が実際に汗を流した映像から目が離せなくなる。
キリストの半生もしばしばストーリーと絡み、歴史的に学べるところも多い。最後の奇跡は、正直必要無いと思うが…。
ありふれたテーマではあるものの、復讐ではなく赦すこと。キリスト教で説かれている事と思うが、それがこの映画の核だ。敵も最初から敵なわけではない。周囲の環境がそうさせるのであり、憎むべきは社会だと。
2017年版が日本で上映しないのは残念。
凄すぎる・・・
本当にこれが1959年に作られた映画なのか!?
前回観た、新しいベン・ハーが滑稽に感じる程素晴らしい!
CGどころか、まだ映像技術も発達してない時代に、何故これ程のスケールの大きな映画が出来たのか!?
と、すると、現代の技術とは何なのか!
ただのうわべだけの迫力を出す小細工にしか思えない・・・
この映画には魂がある!
現代の映画関係者は、この映画を観てもう一度、映画と言うものの素晴らしさ、真髄を思い出して欲しい。
戦車レースのシーンだけでも名作
小学校の時に学校から見に行き、70ミリの巨大スクリーンに圧倒された。
チャールトン・ヘストンとスティーブン・ボイドが忘れられない俳優となった。
4時間弱という長尺を、よくぞ見ることが出来たものだと思う。
「死病」という字幕はこれまでに変えられてきたと思う。
CGのない時代、よくぞこれだけの映画を作ったものだと感心してしまう。
ミクロス・ローザの音楽はサントラ盤を買ったと思う。
何回見ても面白く、興奮する。
私は無神論者です。世の中を混乱や争いに導いている神を多く見ているよ...
私は無神論者です。世の中を混乱や争いに導いている神を多く見ているような気がするから。
この歴史的大作、結局はイエス様万歳とだけ捉えられてしまうのかとしたら…それは少し残念な気持ちです。
映画の楽しみ方は人それぞれなので、もちろん批判をするつもりはありません。が、この作品の素晴らしさはもっと他にもたくさんあると思えるので。
圧倒的スケール、その荘厳さ、華麗さ。今から60年ほども昔によくもまあこんな作品が…それこそが神がかりです。
人生で一度は見るべき名作です。
現在公開中のリメイク版、さあこれを超えられるのか?
●集中力続かず。
長い。なんだろ。可もなく不可もなく。
帝政ローマとユダヤ人。
裏切りとどん底と。
そしてそこから這い上がる。
最後は救世主、キリストとダブる。
この時代にあれだけの壮大なセットとは圧巻だし、
歴史的な背景を理解してると、も少しグッとくるのだろうけれど。
圧巻のサーキットとユダヤの視点
ガレー船の艦隊決戦や船底での奴隷の漕ぎ手たち。そして何よりも、四頭立て戦車の壮絶な映像が圧巻。一部にはめ込み合成を用いているものの、本物の戦車をいくつもサーキット上を走らせている。一台、また一台と落伍し、落車した乗り手には恐ろしい危険が待っている。現在のような特殊効果やCGの無い時代によく映像化する気になったと思う。その意志と技術力は素晴らしい。
このサーキットのシークエンスが、「スターウォーズ エピソードⅠ」のポッドレースの元ネタであることは明らか。ジ(ェ)ダイの活躍するジダイ劇を撮ったジョージ・ルーカスが、西洋人にとってのポピュラーな時代劇であるローマ時代の作品を観ていない訳がない。
そもそも、共和国議会議長パルパティーンが巧みな計略によって銀河第一帝国初代皇帝となるスターウォーズの筋書きは、カエサルの養子ではあっても無名だった青年オクタヴィアヌスが、ローマ帝国初代皇帝アウグストゥスとなる歴史をなぞっているのだから。
キリストの誕生と処刑というプロローグとエピローグを持つこの作品は、もちろん東欧系ユダヤ人が支配するハリウッドの大作である。彼らの市場におけるマジョリティーであるキリスト教徒に対するサービスとしてのこの伏線は、主人公もその一人であるユダヤ教徒の冷めた視点から描かれている。
キリストの容貌と声は観客には分からないし、その「ありがたい」という話の具体的な内容にも触れられることはない。映画に出てくるキリストがやったことは、砂漠を護送中の囚人に水を差し出す慈悲の行為と、死に際に嵐を巻き起こして伝染病を消滅させるという奇蹟だけなのだ。
ここでは、極めてカリスマ性の強いユダヤ教のラビとしてキリストは描かれおり、処刑の理由すらもはっきりとは語られない。こうして、なんだかよく分からない人キリストや彼の信奉者がユダヤ人/教徒であったことをしっかりと示している。
このようにキリストと神の関係への言及を注意深く避けている繊細さを持ちながら、アラブという概念への言及は迂闊に思える。紀元1世紀の物語でありながら、「アラブ」人がユダヤ人と共にローマ帝国による支配への抵抗を叫ぶシーンに唖然とした。地理的・歴史的考証を一切欠いた、極めて大雑把なオリエンタリズムの視点が露出した瞬間に思えた。
"魅せる"スペクタクル大作!
当時の歴史的背景を把握しておかないと楽しめないのは確かです(その点、高校の世界史が役に立ちました)が、この『ベン・ハー』は、一つのスペクタクル・エンターテイメントとしての完成度が非常に高い"傑作"だと思います。考えられるでしょうか?豪華セットの数々、大大大人数のエキストラなど、合わせて1,500万ドルという巨額な製作費を一作に投じるなんて!今ではCGですよ…監督は、『ローマの休日』で知られるウィリアム・ワイラー。主演はチャールトン・へストン。
これだけだと、ただお金にものを言わせて作った無駄に長い史劇だと思われても仕方ないでしょう。なぜ、"傑作"なのか。その理由は壮大なストーリー(脚本)にあります。主人公ジュダ・ベン・ハーの数奇な人生、すなわち愛する家族を失う悲しみ、旧友とのすれ違い、裏切り、追放先での様々な出会い…挙げたらキリがありません。"見せる"だけでなく、"魅せる"演出の数々が、本作を歴史に残る"傑作"にしたのです。
馴染み深き名作
わざわざ説明する必要もナシ。
ハリウッド史劇スペクタクルの代名詞の一つで、アカデミー賞最多11部門受賞作。
旧友の裏切りで奴隷となった男の復讐を描いた、「グラディエーター」の原点。
個人的にこの作品には愛着ある理由が二つある。
まず一つは、中学生時代に授業で見た事があるから。
中学生の頃なんてまだ大して洋画など見ておらず、それこそゴジラやドラえもんやドラゴンボールの映画を楽しんでいた。
そんな時に「ベン・ハー」だなんて今思うと敷居が高いような気もするが、これがなかなか抵抗なく見れた。
軍艦同士がぶつかり、船底で奴隷たちが血まみれになるシーンなんてドキリとしたし、本作最大の見せ場、闘技場での戦車競争シーンはハラハラドキドキ。この戦車競争シーンは今見ても全く褪せる事無く、「七人の侍」の雨の中のクライマックス合戦シーン同様、二度と真似出来ない名シーン。
なので、今でもハリウッド往年の名作と言うと本作が真っ先に思い浮かぶ。
以来何度か見ているが、今回実に久々に鑑賞。10年振りくらい?以上?
改めて感じたのは、こんなに宗教色が濃かったかなと。ベン・ハーの波乱万丈の人生と共にキリストの生涯も並行して描かれ、常に信仰心がある。
別にそれが悪いという訳でもなく、実は愛着ある理由の二つ目である。
昔通っていた幼稚園に教会があり、キリストの物語を習っていた事がある。
ここで断っておきたいのは、だからといって自分はクリスチャンなどではなく、単に馴染みがあるという理由だけである。馬小屋で生まれ、磔にされた後に復活したのを物語の一つとして面白く聞いていた。
さて、この宗教色の濃さは人によって好き嫌いが分かれる所だが、これが本作最大のテーマ。
憎悪や復讐などの淀んだ心が清められる。
信じる者は救われる。
奇跡。
赦し。
慈愛。
ベン・ハーが砂漠で喉を涸らしてた時、キリストが水を与えるシーンは個人的に最も好きなシーン。
3時間半の長尺で語るに相応しい一大巨編。
名作はいつ見ても見応えある。
一度でいいから劇場大スクリーンで見てみたい!
スペクタクル映画のはしりかなあ
3度以上見た気がする。以前から実写でのセットが壮大なことまた戦闘馬車の競争シーンが話題であったような気がする。同じチャールトン・へストンの主演のキリスト教映画では十戒の方がよりダイナミックな感じがあり個人的に好きである。
全42件中、21~40件目を表示