ペパーミント・キャンディーのレビュー・感想・評価
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納得いかない
映画「メメント」が面白かったので、そのレビューで同じようにストーリーをさかのぼっていく映画を紹介している人がいて、その中の1本。この映画をずっと見たいと思っていた。
で、見た感想は。やはりストーリーの展開は面白いと思った。オープニングとラストがクロスオーバーするところは特に感動的とも言えるくらい。全体を通して伏線を回収していくところも。
でも、主人公の人生、ターニングポイントがいくつかあった中で、結局彼自身が選択したわけで、誰からも強制されたわけでない(兵役を除けば)。刑事の仕事なんて、なんで選んだの??って感じ。一番の間違いはスニムを選ばなかったことだろう。なぜ彼女を選ばなかったのか。最大の謎。
苦しい
・タイトルのペパーミントキャンディだけが、主人公にとって唯一の良い思い出の象徴で、とても寂しくなった。それが、韓国ではどういう位置付けの物なのかわからないけれど、多分、安価な駄菓子とかそういう感じな気がする。それが、最初に悲しみの象徴にかわり、どうなるのかなと思ったら、幸せの予感の象徴へと戻った。とはいえ、そういうのがあるだけ羨ましくなった。
・タイムリープのような事なのか、そうではないのか、そう見なくていいのか、少しわからなかったけれど、とにかく、運命というか人生ってこういう事だよなって気持ちになった。良い人生を目指して、どう転ぶがわからないっていうのか、、、。
・主人公のキムの変わってから戻るまでっていう普通とは違う反対の変化が、何か新鮮だった。
・キムは結局、誰かを殺したのだろうか、そして、新たに始まったと思われるラストから人生は美しいと実感できる人生を歩んでいるのだろうかと想像を掻き立てられる。
・若い時の判断というのか、それが悉く悪い方へ展開していっているような展開で確かに、若い時の漠然としたものって全然外れているから共感しかない。若い時にこの人が最高の人だろうと結婚するも浮気してるシーンと若い時に恋してるシーンとか、色々なシーンがリアルで複雑な気持ちになる。色々、見落としてる気がするけど、そういう話が多かった気がした。
見事な逆転
物語はヨンホという男が陸橋を走る電車に身を投げるところから始まり、過去に向かって少しずつ後退していく。これがクリストファー・ノーラン『メメント』より1年前の作品だというから驚きだ。
物語序盤、つまりヨンホの人生の末期において、彼の性格はとても歪んでいる。憔悴している。苛立っている。すべてを失っている。そしてそれらの集大成として自殺がある。なぜヨンホはこのようになってしまったのだろうか?というプロセスへの疑問がこの映画のサスペンスとなって「過去」という名の未来を切り開いていく。
物語が列車のアレゴリーとともに過去へと進んでいくにつれ、ヨンホの性格は少しずつ精彩を取り戻していく。しかしどの時代区分においても彼の性格を歪ませる原因となるようなできごとが彼を襲う。その大抵が、彼本人の力ではどうしようもないようなスケールのものばかりだ。裏切り、仕事、兵役。
またそういったものに憔悴させられすぎたあまり、彼は取りこぼさずに済んだかもしれないものまで取りこぼしてしまう。些細な悪意から初恋相手のスニムとの関係に終止符を打ってしまったシーンなどはこちらまでやるせのない気持ちになる。
総じて見れば彼の性格は徐々に回復の一途を辿っているにもかかわらず、物語には常に暗澹たるトーンが漂っている。囚われた鳥がケージから飛び立とうとしたまさにその瞬間、振りかざされた網に捕らえられてしまうかのような歯痒い絶望感。
このように我々は時代を遡行するごとにヨンホの性格を歪ませてしまった原因を一粒一粒拾い集めていくこととなるのだが、これはヨンホの精神状態の推移とまるきり逆行している。ラストカットの清純たる彼の若い姿を見つめながら、我々はそのギャップにひたすら途方に暮れるしかない。
とはいえ最も印象深いのは、終盤で川べりの景色を眺めながらヨンホが放ったセリフだ。「この景色は前にどこかで見たことがある」。
この川べりの景色とは言わずもがな、映画の冒頭でヨンホが投身自殺を図ったあの陸橋と同じ場所だ。若きヨンホはそこで不可解な既視感に襲われる。彼がこのような感慨に至った理由は何だろうか?
身勝手な憶測とは承知の上だが、私はこれを現在と過去の位相転換であるように思う。
この物語は、現在のヨンホが走馬灯的に辿った追憶の軌跡だということができる。つまりそこで開陳される彼の過去というのは、あくまで現在の彼が思い浮かべる幻影に過ぎない。しかし過去の最後の一コマである若き日のヨンホは、一度も訪れたことのないはずの川べりで既視感に襲われる。あまつさえ意味深な涙さえ流す。まるで来たる未来における自分の死を予感したかのように。
回想される客体でしかなかった過去が、回想する主体である未来(つまり現在)を思い浮かべている、という逆転現象。いつの間にか物語の主導権が現在から過去へと移譲されている。
これによって出口のないこの物語の暗雲に一縷の光が差し込む。「救いようのない末路を辿る現在のヨンホ」が「過去のヨンホがなんとなく感じた幻肢痛」へと後退したことで、現在のヨンホのほうが非現実の存在となるのだ。そして記憶の中の、つまり過去のヨンホが現実の存在となる。平たく言えば「夢オチ」というやつだが、ここまで見せかたが上手いと肩透かしの感は微塵もない。よしんば夢オチだとして何が悪い?これは虚構なのだ。
見始めたときこそ「現在→過去という進行形式に必然性はあるのか?」と訝しげな私だったが、これでは否が応でも平伏せざるを得ない。韓国社会のリアルを抉り出す社会派映画であると同時に、物語位相を自由自在にコントロールする巧みなトリック映画でもあるといえるだろう。
よかった
過去にだんだんさかのぼっていく構成。みんな楽しそうな河原でのバーベキューに主人公が一人だけ全く違う空気で存在していたのが面白い。ビニールハウスで生活している人を初めて見た。いざとなったらそういうのもありではないか。
優しい手
過去に遡ってそこに劇的なものがある訳ではなく、たださりげない温かさだけである。この辺りがイチャンドンらしく感じる。優しさを置く場所を見失った男が、公権をかざして未成年相手にその握り拳でマウントして、鏡に向かってポーズする劣化具合。滑稽であるが自我が遠のく名シーン。従軍時の事件は光州事件設定とは知らなかった。尋問のシーンといい最近の韓国映画にも通づる。しかしあのビンタは役者稼業といえども辛かろう。
あの日
国家権力の手先として、少女を殺してしまったあの日。あの日に帰れば、まともに人生をやり直せる。光州事件で権力の犠牲になったのは、銃を向けられた側だけではなく銃を向けたヨンホ達もです。これは、日本人でもアメリカ人でも戦争に行った人なら必ずPTSD、自暴自棄になった構図と同じです。つまり、圧政も戦争も権力以外の人間には必ず強い傷が残るのです。
盧武鉉や文在寅がこの民主化側で闘っていたことも凄いことですよね。やはり、時代は必ず変わる。盧武鉉がイ・チャンドンを文化観光部長官にしたから、世界で勝負できる気骨ある映画が沢山出てきているのだと今更ながら思いました。パラサイトもそうでしょう。映画をはじめとする様々な文化が素晴らしいのは、今を生きている人も故人の影響を受けて次世代に受け継がれるところなんですよね。
屈託
光州事件の出来事が運命を変えてしまったのですが、彼は怒りをエネルギーに変えて仕事に向き合い、かつ自分が幸せになってはいけないという人生の解釈のまま、破滅的な行動に走った…。
と、こう書くとえらい簡単な話にみえてしまうが、まあそんなに難しい話ではない。一歩も人生進んでないので話が転がってないのが本題なのだから当然。とはいえ復員兵を描いたマスターのホアキン思い出しましたが、なぜあれは色気があったのか、単なる役者の違いなのかなあとしばらく思ってました。
人は良くも悪くも社会の中で変わっていく。
逆再生の構成、おもしろかった。エピソードだけ見ると、たとえば1999年のピクニックから、まず20年前のピクニックにとんで、そこから順を追って現代に戻る、という流れでも成立するかもしれないけど、それだとまったく、印象が違ったはず。逆再生だからこそ、切ない。
エピソードが変わるごとに主人公のことを好きになったり嫌いになったりした。「この人最低だな」と思うけど、次の瞬間には温かさを感じたり…。善人とか悪人とか単純には決められない。人は良くも悪くも、人との出会いや、社会情勢、突然巻き込まれる事件やトラブル、そういういろんなものに翻弄されて、影響を受けて変わっていく。人生の奥深さを感じさせられた。
どうにも中途半端な。
巻き戻しの手法は好き。雨を一緒に眺めた女のエピソードとか意味もなく沁みたし、前田のアッちゃん的ヒロインも好み。だけれど。
主人公が弱すぎ、だらしなさすぎ、情け無さすぎ、キレすぎ、ヒス起こしすぎ。というか人格変遷が都合良すぎな割に魅力が無くて辛かった。
日本映画に昔よくあった、人気作家の長編大作を女優さんの裸で集客する類の作品と同じ匂いがして、勘弁してよ、でした。1ミリは泣けた。
世相、現代史に突っかかる事なく、サラリとストーリーに取り入れているところは好感持てました。
Decade×2
約20年前に日韓合作によって制作された作品である。一人の男の数奇な運命をまるで走馬燈の逆回しのように、過去に過去に遡っていく逆時系列的構成である。とはいえ映像を逆回ししてるのではなくて、重要な時期を7つのエピソードに区切り、そのエピソードのきっかけを、その前に遡るという具合に、どんどん理由が明らかになるという流れで惹き込まれる作りである。
勿論、時代背景や抗えない立場みたいなものが側面として影響していることは否めないが、本人の気質を含めての運命に翻弄されてしまった情けない男の顛末なのだが、そんな男の最後の願望である、『帰りたい』という願いは果たして叶ったのか、ラストシーンの男の涙は何も語らずエンディングを迎える。それぞれのエピソードを繋ぐブリッジカットを線路を走行する逆回しにより、まるでタイムマシーンに乗っているような、哀しさ切なさを帯びながら、次のエピソードはどんな辛い過去を見せつけられるのだろうかと憂鬱になりながらも、しかしその男の過去を直視しなければという使命感みたいなものも又一緒に沸々と湧き出る。多分それは、この男の罪と罰の原因を追及したいという、自分に置き換えた代替的対象として観ているのであろう。今の自分は何でこうなってしまったのか、どこで間違ってしまったのか、そのヒントを欲する意味合いで占められていた。勿論、その答えは出ないのだが・・・
当たり前だが、主人公と同じ凶行を経験したことはないし、それによってあれだけの逆ベクトルに振れた人生でもない。しかし疑似ではあるが小さい罪を重ね、そしてその細かい罰を受け、償い購いながら、いつまでも消えない手の臭いに苛まれ続けて朽ちていく人生であることは決して作品のように逃げることが出来ない。そう思う人達へのレクイエム的テーマなのかと思うが、どうか・・・。
彼に何があったかを電車が時間を遡って見せてくれる話。
バーニングは村上春樹が苦手なので結局行きませんでしたが、オアシスが名作だと聞いていて、ペパーミントキャンディーとともにデジタルリマスター公開とのことで見てきました。オアシスも見ようと思っています。
全く予備知識なしで見始めたのですが、なんと主人公1999年のピクニックで線路から動かず自殺!というところから始まるんですね。
その衝撃のエピソードから順に遡り、1979年の同じ場所、同じメンバーでのピクニックエピソードまで7つのエピソードがあります。
キム・ヨンホさんが主人公で、彼が自殺するわけです。
過去を遡りながら、あぁだからああなったのねという答え合せができる構成です。
エピソードとエピソードをつなぐ映像が、電車が走る映像の逆再生なので、風景の車や人が逆走している様がシュールです。そして電車の逆再生映像の音楽がなんとも言えない音楽で、映画の雰囲気を良くも悪くも方向づけない意味のわからない音楽でした。はっきり言ってしまえばこの音楽はダサいと思いました。
キム・ヨンホさんの20年を順に追うと、
夜学の仲間とピクニックにきてユン・スニムさんといい感じに、みんなで歌を歌って(この歌を死ぬ前に一人で絶叫みたいに歌います)、写真がしたいと語り、スニムさんからペパーミントキャンディーをもらい、20年後に死に場所にする鉄橋を、河原に寝転びながら眺めて、涙を浮かべます。
その眼は悲しみではなく、希望をたたえているように見えました。
さて、ピクニック後のヨンホさんは、軍隊に入ります。スニムさんと文通をしていたらしく、スニムさんが手紙に入れるペパーミントキャンディーを飯盒に溜めていた様子です。ヨンホさんは軍隊にはあまり馴染めている感じがありません。そんな折なんらかの事件が起きて出動するのですが、ヨンホさんは流れ弾に当たって足を怪我します。もともとびびっていた上に怪我にも気付かずなくらい混乱していたヨンホさんは、誤って女子高生を射殺してしまいます。
ちなみにスニムさんが面会に来ましたが会えませんでした。
除隊後のヨンホさんは警官になりました。のちに妻となる少女に懐かれます。仕事でやりたくないのに拷問をしなくてはいけません。スニムさんが会いにきますが、多分わざと嫌われるように振る舞い(後の妻の尻を触るという痴漢行為をスニムさんに見せるという外道行為)、スニムさんは涙をこぼします。カメラをスニムさんはプレゼントしますが、ヨンホさんは駅で突き返します。その夜後の妻の店で暴れた後で、後の妻を抱きます(なんでこの娘はこの男に身を捧げたのかわたしには理解不能)。
妻が妊娠中のヨンホさんは、すっかり拷問にも慣れており、ガンガン拷問してます。張り込み捜査でスニムさんの地元へ赴き、その町の飲み屋の店員娘と一夜の交わりを持ちます。店員娘はスニムさんの代わりになるといい、ヨンホさんはスニムさんの名を呼んで涙をこぼします。
事業を起こしたヨンホさんはイケイケです。妻の浮気を暴いて妻と間男をボコボコにします。自分も部下と絶賛浮気中です。浮気相手と食事してたら以前警察で拷問した青年と会います。青年の日記に書かれていた言葉を青年に囁きます(人生は美しい、だったかな?)。妻とはあまりうまくいっていなくて、自宅に人を招いているのにヨンホさんはペットの犬を邪険にしたり、妻のお祈りにイラついたりしてます。
事業が傾いたヨンホさんは畑の掘っ建て小屋みたいなところで生活してます。犬嫌いなのに元妻のアパートにいって犬に会いたかったとかいいます。元妻にはめちゃ邪険にされます。元共同経営者を撃ちますが、フロントガラスに阻まれます。帰宅するとスニムさんの夫が訪ねてきて、スニムさんが死にそうなので会いにきてくれといいます。ペパーミントキャンディーをお土産に携えて病院へいくと、スニムさんの意識はもうありません。ヨンホさんは泣きながら謝ります。スニムさんは意識がありませんが、目尻から涙が落ちました。
20年前の仲間でピクニックをするからおいでよ!という投稿が、ラジオでながれていました。
懐かしい面々でのピクニックに、異様な雰囲気のヨンホさんが乱入してきます。虚ろな目のヨンホさんは、歌を歌い(20年前と同じ歌)、よろよろとひとの輪を離れ、鉄橋の上で電車に跳ねられようとします。過去に戻りたいと叫びながら。
これを逆から見てますので、わたしはヨンホさんが男尊女卑で横暴なクソヤローだと思っていました。が、不運も重なったんだなぁ、河原で寝転ぶひとの良さげな青年が、落ちぶれた中年になってしまったんだなぁと、珍しく同情しました。
ヨンホさんの妻は、最初から最後まで好きにはなれませんでしたが。
女子高生を射殺してしまった時の事件や、青年を拷問しまくっていた時期の事件など、全然知らないんですが(勉強します)、韓国の現代史を背景にしている見応えのある作品でした。
1988年にソウルオリンピックがあり、それは覚えています。その前年?に政変系の事件があったなんて全然知りませんでした。1987か86年の政変系の事件の映画は他にもありますし、機会があれば見ようと思います。
万人ウケはしません。結構見ながら頭を使います。途中退室された観客がいました。
まともな人間こそが背負わされる心の傷
以前から、この映画のタイトルを知っていた。韓国映画史に残る名作だと。それが日本で公開されると聞いて、迷わず観に行った。
現代の感覚からすると、時間を遡っていくことで、オープニングの出来事の背景がわかってくるといった演出もそれ程珍しい作りではない。ただ、観終わった後に、心に何かがずっしりと残るのは、韓国現代史の負の部分が一人の男の人生に大きく影を落としている重さと、その男性を演じる俳優の迫真の演技のためだろう。
私の個人的な記憶だが、この映画を観て思い出したことがある。
私の義母が彼女の父親について語ったこと。彼女の父は、動物も殺せないとても心の優しい男性だったが、戦時中に軍隊で満州に連れて行かれ、山羊を殺す訓練の時に、どうしても山羊を殺すことができなかった。そのために、上官から雪の中で百叩きの刑にされ、半殺しの目に遭った。そのような記憶から、戦争が終わって日本に戻って来てからもアルコール中毒になってしまい、死ぬまで夢を見てはうなされる後年だったという。もしかしたら、山羊の話は彼が軍隊で経験したことの一部分に過ぎず、本当はもっと辛い、人に話せないようなこともあったのかも知れない。
この映画の主人公が遭遇した光州事件での出来事や、戦争といった場面では、普通の感性や優しさを持った人間は、心に深い傷を負ってしまい、そこから解放された後も何もなかったように元の生活に戻ることはできないということなのだろう。
若い頃に観た、ロバート・デ・ニーロの「タクシードライバー」を思い出させられた。
非常に重い
映画は、79年の朴正熙暗殺から始まる軍事政権から、97年の通貨危機後の韓国経済が落ち込んだ99年までを、一本のレールで繋ぎ、時間をさかのぼる形で描かれています。
ピクニックは79年4月なので、10月朴正熙暗殺から始まる暗黒時代の少し前ということになります。
終盤、ピクニックの場所に、前に来たことがあるというヨンホに対し、「夢で来たのよ。良い夢ならいいけど。」とスニムによって、これから始まる韓国の暗黒時代が逆説的に予言されます。
そしてそれを悟ったかのようにヨンホは涙を流し映画は終わります。
『ペパーミントキャンディ』のように韓国の現代史を総括して描かれた作品には『国際市場で逢いましょう』などがあったり、また、1980年代を描いた作品として『タクシー運転手』や『1987』などがありますが、これらの作品は映画としてエンターテイメント化されていると思います。
それに対し、『ペパーミントキャンディ』は、時代の記憶がまだ生々しい時期に制作された映画だからか、救いがなく非常に重い作りになっています。
すごい映画でしたが、観るのに体力がいる映画でした。
国家によるイノセンスの強奪
この映画は、20年前の職場の仲間で集まったピクニックの場面からスタートする。これが1999年。
ここに現れた本作の主人公キム・ヨンホは、そこの場で鉄道に飛び込み自殺を図る。
そのとき、彼が「あの日に戻りたい」と叫ぶと場面は数日前まで戻る。本作は、そこから逆回しに時を進め、20年前の同じ場所のピクニックの場面までを辿る。
彼の人生はどこかでねじ曲がってしまった。
本当に愛し合った女性とは結ばれず、意に沿わぬ結婚を選び、結果、浮気をし、家庭を壊してしまう。仕事においては本来、好まないはずの警察の仕事を選び、若者を拷問し、辞め、会社を起こすが上手くいかない。
それは徴兵されていた間の特殊作戦で、同胞の高校生の女の子を誤って殺してしまった、ということから得た心の傷による。
映画の序盤では、この心の傷は明らかではない。しかし、彼には目に見える傷がある。片足が不自由なのがそれで、この足の傷もまた、同じ作戦中に受けたものだった。
つまり、可視化できない心の傷を、足が不自由であることをもって表現していて、実に巧みな脚本だと思った。
このように、彼が心に傷を負ったきっかけは、軍という国家の行動によるものである。
つまり、彼自身が為した選択によってではなく、韓国という国が辿った道によって、彼の人生は決定的にねじ曲げられてしまったのだ。
だから、最後のシークエンス、20年前のピクニックの場面では涙が止まらない。
このときのキム・ヨンホは、名もなき花を愛し、その花を愛する人に贈る青年だったのに。
国家によるイノセンス(純粋さ)の強奪。
戦争や全体主義が個人の生活を破壊する暴力性を、その悲劇性を、本作は、主人公の人生を巻き戻しながら、一歩一歩追い詰めるように描いていく。
凄まじい重さの傑作である。
物語の冒頭には1999年の、人生に絶望しきった40代の主人公が登場...
物語の冒頭には1999年の、人生に絶望しきった40代の主人公が登場する。
「俺はなぜこうなったんだ、俺はもどりたい!」
「俺の人生を台無しにしたやつを、誰か1人道連れにしてやりたい。でもその1人を選ぶのが難しい。」
そんな発言のあと、1995年、1987年、1984年、1980年…とどんどん年代をさかのぼって彼の人生が描かれてていく。
おそらくそこがミソなのだろうけど、なかなか「俺の人生を台無しにした」人物はあらわれない。
それどころか、さかのぼってもさかのぼってもどこか主人公には卑屈さや投げやりさが感じられて、共感するのが難しい。
最後の最後に、彼に先々までつづく傷を負わせた瞬間が出てくるが…。
先に「バーニング」を鑑賞してからこちらを観たけれど、いずれも時代の空気感を重んじているのだなと思った。登場人物の個人の罪や、孤独というよりも、もっと逃れがたい、今の時代が生んだ罪やさみしさというか。
重い後味が残ったけど、先々も思い出しそうな映画だと思う。
韓国の影の歴史
重い!面白かったのですが、しんどい映画でした。あと長い。
オープニングで、40歳くらいの、人生にドン詰まった主人公・ソンホがオープニングで列車に向かって投身自殺をカマします。そこでソンホが「あの日に帰りたいッッ!」と荒井由美ばりの魂の叫びをあげると、時間がグルグルと後戻りしていきます。ガチの後戻りか、走馬灯かは観手の解釈に委ねられると思います。
そんな感じて、劇中の現代1999年から、94年、87年、84年、80年…と時が遡ってゆき、それぞれの時代のエピソードが語られます。
ソンホは仕事も結婚も失敗し、希望なく死を選んでしまいます。なぜ彼が追い詰められたのか。時間が巻き戻ることにより、その理由が少しずつ明かされ…ないのが、本作のユニークなところで、正直退屈なところでした。
だって、ずっとソンホは人生投げやりなんですもの。心から愛する人を選ばずに明らかに投げやりに結婚したり、明らかに合わない警察の仕事をしたり。そして毎日明らかに苛立っている。いくら遡っても幸福度ゼロです。
ソンホの秘密が明らかになるのは80年。終盤です。ソンホは光州事件に兵士として参戦していました。ここで体験したぬぐいきれない悲劇が彼の人生を変えてしまった。この体験によって、彼は終生罪悪感に苛まれることになったのでしょう。
『タクシー運転手』を鑑賞し、80年に韓国で光州事件という、内戦のような事態が起きていたことを知りました。兵士が市民を鎮圧するのは、事件というよりもシビルウォーですよね。
韓国が抱えたトラウマは、ソンホにも消せないトラウマを与えてしまったのです。
ソンホが遡った歴史は、韓国が近代化していった歴史だと思います。街並みがどんどん近代的になっていく姿も描かれていたように見えましたし。しかし、ソンホはその陰に追いやられていた傷を忘れずにずっと抱えていました。その意味では、ソンホは韓国の影の象徴のように感じました。
本作は終盤にグッと面白くなります。言い換えれば、終盤までは退屈でした。鑑賞後、本作が2時間ちょいの長さと知って驚愕。体感的には3時間のディアハンター越えでしたよ!
ソル・ギョングの若返りメイクは凄すぎる
『メメント』以前、とは言っても1年前、にもこんな時間の逆行映画があったんだな。エピソードの間には列車の風景。しかも逆回しによる映像。NHKとの共同制作ということもあるせいか?鏡を多用して左右逆になるシーンも多い。
まずは3日前、小さな事業の社長であるキム・ヨンホはなけなしの金をはたいて拳銃を買い、自分を陥れた誰か1人を殺そうとしていた。別れた妻、共同経営者、そしてサラ金業者など、しかし、誰でも良いのになかなかそのターゲットを選べなかった。そして危篤状態にあった初恋の相手であるスニムを見舞う。
1994年は会社設立当時。1987年は刑事時代。1984年は新米刑事の頃。光州事件のあった1980年では兵役時代の頃、ここでは誤って女子高生を撃ち殺してしまうエピソードがショッキング。全体的な繋がりと言えば、初恋の相手ユン・スニムに関してのみ。
そして1979年。1999年と同じくピクニックのシーン。徴兵される前、工場での仲間たちとだ。そして「ここは見覚えがある」と、まるでタイムパラドクスを扱ったような台詞。鉄橋を見つめ涙を流すなんてのは、将来、自分の悲惨な姿を予知できたのであろうか?軍隊時代とこのシーンのおかげで、どうして1984年に訪れてきたスニムに冷たい態度を取ったのかがわかってくる。ただ、女子高生を殺してしまったというトラウマは2回目を鑑賞しないとわからないと思う。
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