ブロンクス物語 愛につつまれた街のレビュー・感想・評価
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公民権法が成立した後でも、黒人差別は熾烈を極めたことが分かる
黒人による公民権運動が盛んだった1960年代アメリカが舞台の映画。1964年に公民権法が成立し、黒人の諸権利が保障された後でも、彼らに対する差別は熾烈を極めた。それが主人公カロジェロの友達による黒人の凄惨なリンチシーンによって分かる。しかしカロジェロ(おそらく友達も)もイタリア系という、アメリカ移民の中では差別を受けてきた側の人間だ。彼らが暴力という手段によって、黒人に対する人種的な優位を示そうとするのが悲しい。それが暴力の連鎖を呼び、人種間の溝をさらに大きくする。白人と有色人種との恋愛ですら、当時は難しかったのだろう。
デ・ニーロ演じる勤勉なカロジェロの父親の人物像も魅力的だが、マフィアのボスのソニーも魅力的だった。面倒見が良く、悪友と縁を切るように忠告するなど、単なる悪人ではなく、豊富な人生経験を積んだ一人の大人としての面を描けていたのが、ストーリーに深みをもたらしていた。
ムラ社会
「ブロンクス」を舞台にした少年から青年になるヒューマンドラマ
・強大な悪と弱いが正義である父の対比と悲しさ
・日常のすぐそばにある闇(悪)の存在に対するハラハラ感
・黒人と白人、タブー恋愛
・黒人と白人の対立
・友人との緊張関係
ロバート・デニーロのノスタルジックストーリー? ソニーが、悪人なの...
デニーロ初監督作
マフィアと子供
映画は脚本兼ソニー役のチャズ・パルミンテリの回想なのだろう、彼の父もバスの運転手だったと言うから主人公のカロジェロは彼自身のことと思われる。おなじイタリア系のデニーロはマンハッタン生まれだがブロンクスのリトルイタリーには友達がいたようだ、子供時代のことには特別の思い入れがあったのだろう、初監督、製作、出演、バスの大型免許まで取得と入れ込んでいる。ただチャズ・パルミンテリの配役縛りの条件が無ければゴッドファーザーⅡで名を成したデニーロとしてはソニー役の方をやりたかったのではないだろうか。
昔のブロンクスといえば街にはアル中、ヤク中がたむろし放火、殺人は日常茶飯事、荒廃の無法地帯と言われていたが黒人のいたサウスブロンクスに比べればイタリア系が多く住んでいた北部は少しは治安が良かったのだろうか、たぶん思い入れもあって映画化では手加減しているのだろう。
若いカロジェロが悪の道に染まっても仕方のない環境だったが実直勤勉な父の生き様やマフィアのソニーですらカロジェロを親身に可愛がり悪い仲間から救ってくれることで道を外さずに済んだということなのだろう。実話とすれば陰の父と慕うソニーへのチャズ・パルミンテリのレクイエムとも思える映画でした。
ただ、デニーロに似ている青年としてスカウトされたカロジェロ役のリロ・ブランカートは2005年に強盗未遂事件で服役と道を外してしまったのは残念だ。初恋のひとが黒人の美少女というのはデニーロの私生活をひっかけているのだろうか。邦題がおかしいのはいつものことだが副題の”愛につつまれた街”は美化しすぎだしロマンスを連想させるミスリード狙いなのか、陳腐でしょう。
表と裏の父親。子供に対する気持ちは結局同じ‼️
珠玉のドゥワップ・ソングに包まれて
ドゥワップは50年代から60年代の初め頃
つまり劇中の少年時代の流行歌
ソウルやロックは60年代後半の青年期の流行歌
それらが効果的に使われていて、当時の雰囲気を伝えて来ます
NYでも特に柄の悪いブロンクスの物語
デ・ニーロの自伝的映画ではあるが、そのまま自伝ワンスアポンアタイムインアメリカ的な味わいで余韻が強く残ります
3つのテーマが重層的に進行して、とても濃い内容で見応えがありました
親子の絆
デ・ニーロは父親役で出演して、立派な親とはこうだというのを見せてくれます
人生の先生
地元ギャングの親分に子供時から可愛がれて弟分になり父とは違う人生を学ぶ
人種の対立と融和
この時代、全米各地で黒人暴動が起こり首都ワシントンでは黒人民権運動の大行進があったことを頭に入れてみるとまた味わいも変わります
映画監督は初作品で、テクニックとか小細工とは大したことは無し
素人でもこうした方が良いのにもったいないと思う部分も正直あります
かといって見辛い訳では全くなく、楽しく集中して観れる作品にまとまっています
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