8 1/2のレビュー・感想・評価
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己の欲望に背かずに
フェデリコ・フェリーニ監督のイタリア映画。
「創作に行き詰まった映画監督の苦悩…巨匠フェデリコ・フェリーニが現実と幻想を交えて描く自伝的名作」(「洋画専門チャンネル ザ・シネマ」からの引用)。
最初のシーンからすごい。リアリズムに徹した映画ばかり最近みていたが、こんなにも現実と幻想を交錯させ、現実を超越する映像表現が映画でできることを改めて気づかされる。
グイドも物語中で言っているが、映画は何でもありなのだ。もちろん肯定的な意味で。
グイドを取り巻く女たち。女たちは、彼の過去や欲望や母性の希求の表象である。それを物語の現実と幻想に同じ強度で登場させ、境界を融解させる。それは監督自身の現実が映画の幻想に反映され、またその幻想が現実にも作用していることを示しているようである。
ハーレムを幻想することは、現代のポリティカル・コレクトに反するように思える。しかしそれでも己の欲望に背かず描く姿勢は名作と呼ばれる所以であろう。
共感はできるが理解はできない
そもそも人の頭の中ほど難解なものはないと思う
といっても私は元来苦労はしてもあまり悩んでもここまで深く考えずにここまできてしまった
何か一つのことを突き詰めるまで考えたり出来ない
でもこの作品に共感はできます
まだ自分のことを嫌いだった頃かなりの楽しくて深酒をして1人の家へ帰宅した時のこと
大きな姿見の前にへたり込みふと鏡を覗き込んだとこがある
「お前、誰だ?」
自分の顔が鏡に映ってはいるのだがなぜかその時真剣にそう思ってしまったのだ
あの時の感覚は今でも恐ろしくなる
その時から呑んでも鏡を見ることを避けるようになったもしも繰り返していたら正気ではいられない
そこにはなんの意味もないのにだ
フェリーニの頭の中を映し出されても理解などできるはずもない
カオスが永遠に続き全てを解決することなど出来るはずもない
いっそのことまるっと全てを笑い飛ばせたなら
どうせなるようにしかならないのだから
私は悩む前に受け入れる選択を選んだ
考えるのはその後自分がどう動いたらいいのか、そこに力を注ごうと思う
きっとそれがこの作品の最後のシーンに繋がるのかもしれない
だとしたら少しは自信が持てると思う
初見から30年…ようやく理解ができました…。
新文芸坐さんにて特集上映「追悼アヌーク・エーメ 巨匠たちに愛された瞳」にてフェデリコ・フェリーニ監督『8 1/2』(1963)を鑑賞。
初見は今から30年以上昔の大学時代。
「イタリア・ネオレアリズモ映画、ヌーベルバーグを勉強してみよう!」と息巻いてみたが当日はさっぱり理解できず…長年もやもや…苦手な作品扱いをしておりました。
今回、主人公のグイド・アンセルミよりもずいぶん歳を食った年齢で再チャレンジ。
なるほど、なるほど。
これは黒澤明監督『夢』(1990)のような監督自身の頭のなかの意識や夢の話。
ラストの登場人物が総出で輪になって踊るシーンも夢だとわかるとすっきり理解できましたね。
「人生はお祭りだ。一緒に過ごそう。」最後のセリフはこの歳になって腹落ちですね。
アヌーク・エーメ、クラウディア・カルディナーレも魅力的でしたが、やはり名優マルチェロ・マストロヤンニの洒脱で艶がある佇まいは素敵ですね。
晩年の『今のままでいて』(1978)、『マカロニ』(1985)、『黒い瞳』(1987)、『みんな元気』(1990)が特にお気に入りですが、未パッケージ、未配信なのがとても残念です。
最低の行動から最高の映画を作ってしまう
妄想と映画内現実がシームレスに繋がったり繋がらなかったり。
冒頭の渋滞から主人公が飛んで落ちて、で了解です特に意味を求めませんモードで観ていきましたが、とにかく密度と情報量の濃いカットしかないので10時間くらいの映画見終えたくらいの感覚でした。
夢や老いや欲望をグロテスクにしかしポップに特濃の画作りで連続して見続ける幸福感はたまらなかったです。
未見の映画でこんな凄いものがまだまだあるんだってとても嬉しくなりました。
とにかく凄すぎて2度と観たくないな、と何故か現時点では思っていますが。
正気の沙汰ではない
これは夢か現か幻か…。非常に不思議な映画。逃げても逃げても待ち受けるのは悪夢である。
めちゃくちゃいろんなことが起こるけど実は何も起きていない!(笑)主人公である映画監督の脳内パニックを描いたような、カオスな世界。現実と夢?妄想?の世界を行ったり来たり。観ているこっちもこの場面はどっちだ?どこだ?なんなんだ!わけがわからなくなります。
ただのカオスの垂れ流しなら飽きてしまうでしょうが、妙にテンションが高かったり登場人物達が愛嬌があったり、観てて楽しく引き込まれます。ハーレムのシーンなんかはほぼコメディ。
情報過多で観る側に整理させる暇すら与えてくれない。しかし、「あ、これはあんまり考え過ぎちゃダメなヤツだ」と気づいたら後はもうただただ気持ち良く観れます。しかし、後半になるにつれ徐々に不穏な空気が流れ、精神の限界を感じさせるような展開に。ある意味ホラーでもあります。
地に足がつかないような浮遊感と孤独、不安。安部公房の世界観が好きな人はハマると思います。
人生はお祭りだ
フェデリコ・フェリーニの自伝的作品、ずいぶん久しぶりの鑑賞です。
自身の置かれた映画業界の中で、思いつく限りを映像化したよう。
とにかく登場人物が多く豪華絢爛。
全体的に業界への皮肉と喜びに溢れているようでした。
女性の眉メイクが大胆で豊富、他にもファッションや建造物に小物なども、見ているだけで楽しいです。
しかし終始監督の苦労が耐えないのがすごい伝わってきますね。
他にも細かいエピソードが皆楽しくて、観ていてワクワクするんですね。
すごい広がってしまった風呂敷ですが、「人生はお祭りだ」の一言で全部纏まってしまうのがすごい。
フェリーニの心象風景のような悲喜劇、とても楽しい作品でした。
フェリーニ監督の華麗なる私小説‼️
この作品を初めて観た高校生の頃は、正直よく分からなかった。ストーリーらしいストーリーがなくエピソードを並べたような構成、そしてフェリーニ監督らしい豪華絢爛な映像‼️よく分からないけどこれはすごい芸術作品なんだろう、絶対そうなんだと信じ込んでいた‼️その後1〜2年に1回くらい観直すうちに、大分この作品の全体像が掴めてきたような気がします‼️この作品はなかなか新作に手をつけることができず、苦悩する映画監督の姿を描いた作品‼️プロデューサーにせっつかれ、批評家にケチをつけられ、ゴシップ記者に追い掛け回され、女優のわがままに悩まされ、しかも妻に愛人の存在がバレてしまった主人公の、まるで漫画のような現実に、子供時代の回想やハーレムの幻想、それに悪夢が一緒くたに放りこまれている‼️自分の進むべき方向性がわからない人、方向性がわかってもやり方がわからない人、自分をもっと表現したいと思っている全ての人にとってのバイブルですよね、この作品は‼️映画製作の中止で開放感から踊りだす主人公‼️シチュエーションは違っても気持ちわかります‼️理想と現実のギャップに幻想の世界へ逃避してしまう主人公‼️その気持ち理解できます‼️無数の車の中から主人公がふわっと中に浮かび空に飛び立つ‼️地上からロープが伸びて、その先で主人公が空中を舞っているシーン‼️太った乞食女サラギーナの踊り‼️ブドウ酒風呂に入れられた少年時代の回想なのに主人公はマストロヤンニで、帽子にタオルで包まれた姿で鞭をふるう‼️特にラストのロケット内で踊るシーンなんかは、豪華絢爛さに歓喜が加わり哀愁を帯びてくる印象的なシーン‼️しかも一つ一つのシーンがフェリーニ監督のサーカスへのこだわりからか、見世物小屋の芝居のような演出‼️そして美しすぎるモノクロ映像‼️フェリーニ監督の想像力やアイディアの豊かさに脱帽ですね‼️フェリーニ監督は否定されてますが、まるで自伝のような私小説のような内容‼️非の打ち所のない芸術作品でありながら、醜悪で自己耽溺的なコメディでもある私小説なんてホントスゴい‼️
自分の感じた心象風景を喜劇映画がした作品。
内容は、監督フェデリコ・フェリーニの映画創作の閉塞感から来た混乱に向き合う現代演劇に於ける人間の孤独を独自の心象風景を映像化したエンターテイメント作品。印象的な台詞『混乱こそ自分。人生は祭だ!』最後の大団円の場面での台詞。広げた大風呂敷をどうやって畳むのかと思っていたら、この台詞にカタルシスを感じました。印象的な場面では、オープニングの現代的な渋滞の車の中での圧倒的な閉塞感〜自由になった時に、監督としての創作活動の閉塞感へ、そして最後大団円の後の自身の起点となったサーカス🎪を一人寂しく去るエンディングは、映画監督としての業の深さと寂寥感の様な余韻が何とも監督らしく面白かったです。印象的な表現では、ハーレムからの転落と出演者全員集合の圧倒的なフィナーレが凄すぎました。個人的は『貴方の仕事は解答の無い問題を解く事』『君は自由だが選ぶ術を知れ、あまり時間がないから急げ』との台詞回しが良かったです。創作活動の混乱と自己満足が虚構を作る苦悩として描かれて好きです。個人的な監督の創作という作業を表現しているので、抽象的過ぎて分かりづらく困ったという人もいますが、自分としては、監督の心の中を覗き見る行為の中に混乱と苦悩と恥辱感と恍惚感の中に自分の経験を重ねたりする事が出来る素晴らしい映画だと感じました。最近見た映画『君たちはどう生きるか・宮﨑駿』が老年の自叙伝だとすれば、フェデリコ・フェリーニの中年の危機を表す自叙伝の的なものが感じられる作品でした。
男は40歳を過ぎると否応なしに惑う生き物になるものなのだ・・・
イタリア映画のクソリアリズムには閉口したりもしたけれどフェリーニは別だった。ホントに伝えたい事を伝えるには物語がいちばんいいのだ。しかもファンタジーが最適なのだ。惑う映画監督。優しすぎる心根が全ての人間関係をぶち壊す元凶。そんなことは分かりすぎるほどに分かっている。女房も愛人もプロデューサーもシナリオライターも仕事に関係する人間すべてが彼の優しに対して理解を示そうとはせず、彼の実績にしがみつき彼を苛立たせる。しばらく放っておいてやんなよ!と叫びたいくらいに関わりを持とうとする。実にばかばかしいのはこんな人間関係で映画作りも構成されているわけだ。どんな仕事であってもみんな同じ構図であることは間違いないようだ。
妄想が妄想を駆逐し始め、幼少時代の忌まわしい出来事に慄き自らの命を絶ってしまうことだって十二分にあり得たわけだ。しかし、彼は生き延びる。
ラストシーンがそれを象徴していた。いつものパターンではあるけれど、あの屈託のない陽気さはイタリアの太陽の輝く光のせいなのだろう。
フェリーニ8作目の作品で果たして彼は映画をつくることの楽しさを吹っ切ることができたのであろうか?
只々、素敵
人とファッションと建造物が美しい。モノクロでも美しい、モノクロだからなのか。想像を掻き立てられるのか。女好きのマザコン坊やのスランプストーリーは一向に先に進まない。現実なのか夢なのか、頭がモヤモヤしてくるけど。
最後の手を繋いでフォークダンスみたいなシーン好き。
「難解な映画は作るな」とプロデューサーは言った。「じゃあ、難解だけど観客が満足するような映画、作ったる」と監督は思った”という感じでフェリーニが撮った映画…かな?
①正直に言って途中何度か眠たくなりました(一度は殆んど失神寸前まで行った)。でも我慢して付き合えば最後に素晴らしい映画的体験が待っています。②『道』や『アマルコンド』『ジンジャーとブレッド』等に比べると遥かに難解です。でも『テナント』のような物理的な難解さではなく、一人の映画監督の内面を映像化したことによる難解さ。③自伝的作品と言われているようですけど、自伝なのかな?それより創作に行き詰まった監督が悩んだ挙げ句新しい創作のインスピレーションを掴むまでの心の旅を映像化した作品のように思う。
④2022.10.10、「午前10時からの映画祭」ではじめて映画館で鑑賞。でも映画館でも寝不足で『8 1/2』を観てはいけません。後半何度か失神し“あの”ラストシーンを見逃してしまった。で、来週リベンジ鑑賞!
監督の感性が冴える他者には真似のできない映画
現実であろう場所
幻想であろう場所
現実かそれとも夢か
その全てが漂う。
優柔不断でお気楽な主人公は
今やるべきことを振り返らず
過去に逃げ、未来を想像する。
妻、愛人、女たち、砂浜、神様、仕事、仲間、
そんなものが彼の頭の中をぐるぐると回り
「最低」と言われ「素敵」と褒められる。
結局「あぁ、これでいいんだ」と丸く収まる。
そのシーンで終りを迎える。
ニノ・ロータの楽曲が好い。
もし死ぬ前に「ひとつ」
見たい映画を選べと聞かれたら
間違いなくこれだろうな。
※
私の頭の中のハーレム
早稲田松竹で今年初の劇場鑑賞。
休みの日の昼の回でほぼ満席でしたが客席の民度は高めで混乱もなく。
呎がかなり長い(トイレ行きたくて気が散る)ことを除けば好きな映画だった。
とにかく画がきれい。ロケーションやら衣装やらカメラワークやら、とにかくフェティッシュが満載。白黒だけど色のコントロールが完璧。車はシトロエンDSぽいのが出てくる(最高にかっこいい未来カー)。
音楽はニーノ・ロータだけど、ワグナーのワルキューレとか、聞き覚えのある曲の印象が強い。
予算があるんだないんだか、優雅なんだか破れかぶれなんだかわからない、貧乏だけど妙に貴族的な感じがイタリアっぽい。江戸っ子気質というか。。
当時の観客にはさそじかしインパクト大だっただろうな(でももし自分が当時の観客だったらこれをちゃんと好きだと言えただろうか。。)
トップシーンからしてもう強烈。車の中で窒息しかけるマストロヤンニを周囲の誰一人として助けない。ノーリアクションなだけで人の顔ってこんなに怖いんだな。。
画面が白黒というのも手伝って、終始悪夢の中にいるような浮遊感が漂う。
一方で、現実と幻想(現実逃避)がシームレスにつながる感じは妙に舞台劇っぽくもある。
そして、こんな内容なのに意外なほど理解しやすい。
相貌失認の気があるので、初めは説明が少ない中で誰がどの役だ?って思ったけど、最終的には問題なく飲み込めた。どうやらイヤリングをしないのが本命の女と見た。
ハーレムシーンは色んな前提を抜きにしても、いちばんハッとさせられた。自分の女を一堂に集めた光源氏同様、男の夢はいつの時代も同じなのか。。
これは映画関係者の(悪)夢のような作品だと思う。自分の脳内、あるいはセラピーの過程がそのまま一本の映画になる。
デビットリンチ味が濃い。「マルホ」の時間シャッフル構造をすごく想起した。あとはエヴァTVの最終回を思い出して、今にもみんなが拍手しはじめるんではとヒヤヒヤした。
どんな監督も一度は夢見るだろう自伝的な作品だろうけど、カトリックだからか?非常にきまじめさを感じたり、クールなのにすごい土着的なものに縛られている感じがする。
映画の語りや構造はテクニカルだけど基本的な心根は無垢っていうギャップは、ニューシネマパラダイスを思い出した。
あとはすごいお風呂映画。なにしろ舞台が温泉だし。水=死や誕生、洗礼を連想もするけど、まず単純にあのハイソな湯治場がめちゃくちゃ映える。
あとはあの巨大な農家っぽい家。あんな構造の家、初めて見た。あれは実在の場所なんだろうか。私が見たことのあるドイツや南仏、ゴッドファーザーのシチリアとかとも全然違う不思議な作り。
家の中に屋根付きの中庭みたいな炊事場があって、階段で上がるとアパートみたいに個室になってる。壁や階段は土みたいな素材で、今見ると逆にモダン。セットかも知れないけど、モデルがあるならイタリアの前近代やばいな。
陳腐だが普遍的な内容、その映像
主人公である映画人の叙事詩なのだが、モノクロ、時代背景がわからない為、とても幻想的、抽象的な印象を受ける。
幻想的、或いは抽象的なシーンのあとセリフ展開が始まり、また次のチャプターでは幻想的、抽象的なシーンが入りストーリーが入るという作りで、物語を掴みにくい。また物語自体は中年の叙事詩であり、特段感じるものはない。
では何が良いか?
それはその幻想的、抽象的な映像とセリフ展開の作りそのものと、出てくる映像がとても素晴らしい事。
話題の冒頭のシーンのあと、広場で人が集まってるシーンは意味がわからないままである。老人の視点は虚ろ、誰もこちらを気にしない、そのシーンはとても美しく、天国というものはこのような雰囲気であればと思った。
この映像が1900年代前半に作られてる事を含めると素晴らしい芸術作品。
すっきりせず2回目鑑賞で追記
イタリア映画の典型的な能天気×シリアス、人生は楽しもう、大団円に、というもの。
内容は女、仕事を軸に展開し、ハーレム、パトロン、カトリックという在りがちなテーマで陳腐、しかしながら、結局人間なんてそれしかない、それを幻想的な映像で展開している。
幻想の導入、与太話というシークエンスが当時は新鮮だった。
では、それまでかというと、妻にも、クラウディアにも中途半端、結局何がしたいんだとう絶望からふいに軽くなる、力が出るときは確かに「それでも踊ろうよ?」という感覚があり、それを表現したのは見事。
これだからゲージュツ映画は
つまらん。
午前10時の映画祭のラインナップに入らなかったら絶対観ない一本。
巨匠フェリーニのブランドで名作だと思い込んで我慢して
映画通気取りで観ている人はいないのかなー?
単細胞の私の脳みそには内容が全く入って来なかった。
延々と意味不明の映像と全く繋がらない台詞。
カメラワークも今風じゃないので物凄い違和感。
何から何まで理解不能のゲージュツ作品。
カーチェイス、銃撃戦、殺人鬼、宇宙船、大災害、スーパーヒーローの
エンタメ映画の方が面白いに決まっている。
やっぱり欧州古典映画は無理でした。
やっぱり、フェリー二は凄い。
私が映画のベスト5に挙げている映画だ。スクリーン画面で観るのは初めて。テレビ画面で見るより、スクリーンはいい。
この映画を難解だと評する人は多い。小説で例えるとジョイスの「ユリシーズ」みたいな作品だからだ。支離滅裂と言われても仕方がないなと思う。
芸術作品を創作している人だとわかり易いかもしれない。但し、成功している人だけだ。世界的名声を得たフェリーニが、自身の体験をぶち込んだ作品だ。でも、よく見るとところどころ、マストロヤンニが真実と思われるセリフを語り、繋げてみるとこの作品が理解しやすいと考える。
しかし、公開時、この映画は有名な映画賞を受賞しているはずだ。分かる人には、分かる映画か。
圧巻のラスト
監督は次回作の構想に頭を悩ませていた。
ツタヤでずいぶん前に借りて鑑賞し、あまりに感動したためその後、リバイバル上映された際、遠くの劇場まで足を伸ばして観る。
生涯ベスト10に入る名作。
自分を売り込みに来る厚かましくも貪欲な役者たち、
小難しい足かせを説く宗教検閲、
こまごまと、しかし一番厄介な個人的な事情のあれこれ、
なにより巨匠は次に何を撮影するのか、
大衆の大いなる期待。
俗っぽさの極みに翻弄され、無邪気なプレッシャーに襲われて、
それでも名監督として堂々振る舞わねばならず、
しかし迫る製作発表の日。
期待に満ちた目が、監督を追い詰めるあの残酷さは痛々しく、
そこから一気にファンタジーへ飛んだ時の開放感たるや。
何があろうとあなたの味方、といわんばかりのあの混然一体とした幸福感とパワフルさに
涙腺崩壊だった。
そしてこれを言葉でうまく表現しろ、と言われてもとても難しい。
ただ人前で何かを表現したことがある人なら、
その舞台袖で、公開前に、震えながら本番を待つ、
あの酷くみじめで恐怖に満ちた、けれど本当は愛に包まれた瞬間が
同様に本作に流れている事を理解してもらえるんじゃないかと思う。
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