ブエノスアイレスのレビュー・感想・評価
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地球の裏側で繰り返される男同士の愛と憎しみ
映画にはそれぞれ、その人にとって観るべき時があるようで、そのような時分に幸運にも巡り合い、観た映画は一生の宝物になる。だが、そうでない時に観た映画は、どんな名作であっても心の琴線に触れずに、忘れ去ってしまったりする。
十年以上も前に観た『ブエノスアイレス』は、記憶が非常に曖昧だった。それはきっと、まだ子供だった当時の私にとっては、期が熟していなかったせいだろうと思う。
しかし、本年度アカデミー賞作品賞を受賞した『ムーンライト』のバリー・ジェンキンス監督が多大な影響を受け、『ムーンライト』でもオマージュを捧げている事を知ったのをきっかけに、ウォン・カーウァイ監督の『ブエノスアイレス』が再び気になり、鑑賞するに至った。
関係をやり直す為に、アルゼンチンのイグアスの滝へとボロ車で旅に出た、恋人同士のファイ(トニー・レオン)とウィン(レスリー・チャン)。だが行く途中で道に迷ったせいで喧嘩となり、二人は別れてしまう。
旅費が尽き、香港に帰れなくなったファイは、タンゴのバーでドアマンの仕事を見つけるが、その店に愛人の男と一緒のウィンが偶然現れる。嫉妬に駆られるファイを横目に、何事も無かったかのように、姿を現しては消えるウィン。
だがある日、愛人に殴られて両手が使えなくなったウィンが、ファイのアパートへ逃げ込んでくる。そして「やり直そう」とファイに言う。何度も裏切られているファイは、ウィンと体の関係を拒むが、自分のアパートで甲斐甲斐しく傷ついたウィンの世話をしてやる。本心では、蝶のようにフラフラしているウィンが、傷ついて自分の元から離れられないのが、ファイ嬉しくて仕方がない。
だんだんウィンが回復してくると、ファイの居らぬ間に勝手にウィンが出歩くようになる。自分からまた離れて行くのではないかと怖れたファイは、ウィンのパスポートを隠してしまう……。
そして、そんな不安定なファイの心情を、職場の同僚のチャン(チャン・チェン)は見抜き、ファイと親しくなっていく。
と、上記にあらすじを書いたが、脚本が殆ど無く、即興的に撮られたこの映画には、大きな物語がない。
カメラは、ファイとウィンの二人の感情のぶつかり合いと、すれ違いをひたすら追う。台詞は少なく、その代わりに、クリストファー・ドイルの鮮やかで影の濃いドラマティックな影像と、アストル・ピアソラの情緒的なメロディが、雄弁に二人の心情を語ってくれる。
これまで、ファイはウィンから「やり直そう」と言う言葉をかけられ、何度も関係の修復を試みて、そして失敗してきた。だからファイはウィンに「やり直そう」と言われることを、どこか期待しながらも、激しく怖れている。
それは、「うん」と言いたくないのに、ファイはウィンを結局拒めず、受け入れてしまうから。自分の中のウィンへの執着を、思い出すことになるから。そして、再び付合い出しても、二人の間に決定的な断絶があることを、思い知ることになるからだ。
帰る場所があり、前へ進もうとするファイと、(おそらく)帰る場所が無く刹那的に生きるウィンは、噛み合わない。求めあっても、求めあうが故に、互いを傷付けてしまう。
求めあうが故に泥沼にはまっていく二人の関係は、男同士の関係に限らず、普遍的な愛のテーマのように思える。
だが、この映画は男同士の関係でなければ描けない、愛の葛藤がある。ウォン・カーウァイ監督が(トニー・レオンを騙してまで)、ゲイカップルにこだわったのは、まさにそこにある。
たとえば、ファイとウィンがぎこちなく踊る男同士のタンゴや、タクシーの後部座席でウィンがファイの肩にもたれかけるシーンなどは、まさにその例だろう。(そしてこれらのシーンは『ムーンライト』でオマージュされている)
ファイは傷つきやすく繊細な面があるのに、ウィンの前では弱さを見せず常に男の虚勢を張り続ける。
地球の真裏で繰り返される、愛と憎しみ。遠く離れた異国の地でなければ描けなかった、交錯する男同士の人生の一部分を、この映画を通して垣間見れた気がする。
切ない
ファイのダメ男からの再生物語として
最後まで見てました。
が、ラストのウィンが泣き崩れてるところで
ハッとしました。
ウィン目線でもう一度観たいですが
うーん、ウィンをあまり好きになれないので
また年取ってから観ます笑
触れる愛と離れる愛
イグアスの滝を上空から撮った画が、BGMと相まってとても幻想的なオープニング。いつまでも観ていたい快楽を覚える。
人を愛する中で、幸福を感じることができるのは、愛する相手が自分の手元に留まり、自分が唯一絶対に必要な存在なのだと思えるとき。だから手に怪我をしてシャツすら自分では着ることが出来ないくせに、食事についての文句など、我儘を言いたい放題の相手の世話を甲斐甲斐しく行うのだ。
しかし、そうした幸福なひと時を除いては、愛することは苦しみばかりをもたらす。相手の不在を嘆き、相手を失うこと、または去られることへの恐怖、嫉妬、疑念、自分への無理解に対する怒り。これらの感情すべてが映画に描かれている。
物語の最後に知ることになるのは、触れることのできるものへの愛は、苦しくて時に裏切られる。でも、この手で触れることのできない愛は、いつでも自分の中で温かく呼び起こすことができるということ。愛は、相手に触れることで喜びをもたらすが、同時に苦しみももたらすのだ。
鏡や窓といった枠の中に被写体を入れることで、その表情、心情へと観客を集中させる。また、ブエノスアイレスの街の表情は、水平方向へと広がっていく画になっていて、世界の果てしなさを映し出している。広大さを感じさせる映像により、主人公の二人がいずれ、離れ離れになって、この街の外へと去っていくことが予想される。そして、観客はブエノスアイレスの夕暮れを観るにつけ、ここに取り残されることへの不安を、または、ここから出ていくことへの不安を登場人物と共有する。
もう、お互いがどこにいるのかも分からないほど、遠く離れたとき、この不安からは解放される。誰にも触れることのできないところまで自分がたどり着いたときに、誰のことを一番に思うのだろう。その思いを愛と呼ばずして、何というのか。
大好きなトニー・レオンとレスリー・チャンの共演作だ。この上何の不満があろうか。この作品を、ウォン・カーウァイの最高傑作とする人が多いのも大いに頷ける。
ゲイの切ないお話は幻想的な映像とともにイグアスの滝に流れる
16年前?に劇場でみて、そのインパクトを忘れられなくて、思わずDVDを買ってしまいました。
いや、やっぱり今見てもすごいです…。その映像美に圧倒。
当時大学生だった自分は、「こんな部屋に住もう!」って本気で思ったり、アルゼンチンに行こうと思ってしまっていました…
さて、お話はというと、真面目なゲイとちゃらいゲイが別れと再開を繰り返しながら自分の人生を見つめ直して行くというもの。僕はゲイではないので、ベットシーンとか本当にやめて欲しかったですけどね…。
ウィンとファイは喧嘩しながらもお互いに依存をして、最後はここに戻る…的な感じがあったんでしょうね。ウィンはファイに甘えに甘え、ファイはおそらくそれをよしとはしなくとも、自分の存在の確認にはなっていた…って男女の恋愛でも良くある話ですよね。
ウィンとファイは本当に愛し合っていたかはわかりませんが、2人でイグアスの滝を見ようと。2人でみようと約束します。そして、その旅の途中で道に迷ったことがきっかけで、ストーリーはうごきだす…と。
ファイが働く厨房の後輩のチャンと仲良くなり、ファイはチャンに思いを寄せて行くものの、チャン自体はノーマルな旅人。世界の果てを目指して旅をしていたため、別れに。そこで、チャンはファイの悲しみをテープに記録しそれを世界の果てにすててくる…と。
そして、チャンは南米最南端の灯台に。ファイは香港に帰るお金をためてイグアスの滝に。
このラストを飾るべく2つの場所の映像と、その後の香港に戻ってからの、喧騒と近代的な鉄道のシーンの美しさがとてもよかったです。
ファイはイグアスの滝を一人で見てから、香港に戻るわけですが、チャンの実家の飲食店によって、チャンが南米最南端の灯台にいった写真をくすねてくる、そして、「いつでも会える」ということを実感します。
お互いの存在そのものに固執し依存をしていたファイは、ウィンと喧嘩をしてチャンと出会い、イグアスの滝を見ることで、物質的なつながりではなく心のつながりということに気づくのでしょう。
といいながら、男だけでこのストーリーってはっと気付くとかなり異質ではありますが、ブエノスアイレスの感じと男だけの異質な感じはとてもマッチしていたと思いますし、なにより映像がすごい!!
本当によい映画があったな…とあらためておもいました。
ウェイ
ゲイのカップルが流れ流れて三千里。
流れ付いたはブエノスアイレス。
まず、ブエノスアイレスって舞台立てが非常に良い。
最果ての地感まんまん。やる気も満々。
もうね、やってます。
やる気!元気!いわき!
だがしかし、一番セクシーに見えるのは地元のダンサーが踊る
アルゼンチンタンゴに見えなくもない。
いやいや、一番グッと来るのは、電話に出る時のトニーレオンの
「ウェイ、、、、」
だ。
ハングルならヨボセヨ。日本語なら、もしもしだ。
この広東語の響きがグッと来るのは俺だけか?
まぁ、公開当時ノリにノッテタ、ウォン カーゥアイ監督の
一番美味しい部分が堪能出来る作品です。
退廃的なトーンの落とした画の中、イグアスの滝に向かって収束する物語は
これまたドン詰まり感満々でいいのだが、
レスリーチャンが太川陽介に見えてきて萎えたりもするが、
良作である事はまちがいなーい。
ブルーレイが出るが、これまたフィルムで、
出来れば場末の名画座辺りで一人で見たい。
が、アマゾン、予約ぽちってしまった。
関係無いが、好きな映画を並べてるみると
どうもゲイをあつかった作品が多いが、
私は男性よりも間違いなく女性が好きだ。
ようするに、ノンケです。はい。
おっぱいダイスキ!!
涙の意味。
せつなくてせつなくて胸がはりさけそうになる・・・。
故郷香港の裏側、ブエノスアイレスで出会ったウィンとフェイ。情熱的で喧噪あふれる異国でさすらう1組のゲイ・カップル。傷つけ合うのは、互いに愛しすぎているそれ・・・。些細なことでケンカになり、その都度別れる2人。しかし磁石が引き寄せるようにまた元に戻る2人。「くされ縁」と呼ぶには激しすぎる2人の愛は、あまりにも破壊的だ。
2人の夢は、ウィンが買ったランプシェードに描かれている“イグアスの滝”に行くこと。しかし旅の途中、道に迷って口論になり、ついに2人は別れる。帰国の旅費を稼ぐため真面目に働くフェイの元へ、ケンカでケガをしたウィンが転がり込んでくる。言葉では迷惑がるフェイだが、両手の使えないウィンをかいがいしく介抱する。2人の蜜月・・・。手ずから食べさせたり、体を密着させてアルゼンチン・タンゴを踊る甘い時間・・・。かと思うとすぐに口論になりまたもや互いを傷つけ合う。断片的なシーンのモザイク。一見、一貫性のないストーリーだが、ちょっとしたショットによって、2人が深く愛し合っていることを実感できる。フェイは、ウィンが傍に居てくれるだけで幸福だった・・・はずだ・・・。だからこそ彼のどんな傍若無人な行為も許してしまえる。だが彼は解っている、このまま2人でいたら、先に進めないことを・・・。
そんな彼の背中を押してくれたのは、仕事先で知り合った旅行者、チャン。南米の最南端の灯台を目指す彼は、そこで「悲しみを捨てる」ことができるとフェイに語る。レコーダーを差し出し、フェイの悲しみを録音すれば、変わりに捨てることを約束してくれる。
即興演出で知られるカーウァイ監督作品には、明確な台本はない。このシーンもファイ役のレオンが監督から要求されたのはアドリブによるセリフ。レオンがここで表現したのは「涙」だった。彼は自然にあがる声を必死で押し殺して泣いた・・・。チャンが最南端の灯台で聞いたのはフェイの泣き声。彼の泣き声が冷たい空と海に溶けて行く・・・。せつなくてせつなくて胸がはりさけそうになる・・・。
この涙のシーンを後にレオンはインタビューで、自然と涙が出てきたと語っている。もともと彼は監督から違う役柄でオファーを受け、ゲイの役とは知らず、半分だまされる形(!)でブエノスアイレスにやって来たのだ、それなのに・・・。優れた俳優の感受性の高さに軽い嫉妬を覚えた。
チャンに悲しみを捨ててもらったおかげか、フェイは1人で香港に帰る決意をする。必死で働き金を貯め、1人でイグアスの滝へ・・・。渦巻く巨大な滝を見ながら彼は何を思うのか?そして残されたウィンは?刹那的に生きることしかできないウィンは、男娼に身を落とし、ついには路上でのたれ死ぬ。そんな未来が私には見える気がした。
そうして故郷に戻ったフェイは新しい恋を始める。そんな未来が私には見える気がした・・・。
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