日の名残りのレビュー・感想・評価
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忠節・滅私奉公
政治への関心が高く、伝統を重んじ騎士道精神を具現化したような英国貴族ダーリントン卿(ジェームズ・フォックス)に仕えた典型的な執事スティーブンス(アンソニー・ホプキンス)の物語。
35歳のカズオ・イシグロは3作目にして、これぞ英国という自身のアイデンティを示すような作品を書き上げた。舞台は英国なのだが忠節・滅私奉公を美徳とするような使用人像、自己抑圧的な恋愛観はどこかで古い日本人気質と通じる気もする。フランスの意趣返しともいえるベルサイユ体制はアンフェアすぎるという英国貴族の気質がヒットラーに政治利用されたというダーリントン卿の話はフィクションとしてもウォルドーフ・アスター子爵というモデルは実在したらしい。
派手なアクションも事件もないのだが見入ってしまうのは名優たちの好演によるのだろう。
満足、飽きずに見られる
映画を見たのは半年以上前、原作を読んだのはさらに前になるので、正確なレビューは出来ないためざっくりと…
設定や内容、大なり小なり原作と異なる点はいろいろあるけど、映画は映画で考えられて作られていると感じられて満足だった。
とくには、ダーリントンホールの雰囲気、旅中のイギリスの風景はイメージそのもので素敵だった。
カズオイシグロの作風を知る!!
言葉遣いは丁寧ですが、会話内容が知的という訳ではなく、ほんのりユダヤ風味で味付けしたという雰囲気映画だと思います。村上春樹はカズオイシグロの真似をして、歴史問題の記述を取り入れたのだなと気づいた事だけが収穫でした。
悔いのない人生なんて・・・。
「日の名残り」もっと理解したかったので今日で2度目です。
私が若い頃観たり読んだりした素晴らしい本、映画を彷彿させる作品で感激しました。
長編小説を、読み終わった後の満足感も味わえました。カズオ・イシグロさん凄い!
主人公のスティーヴンは絵に書いた様な執事でダーリントンホールでは
きわめて重要な人物ですよね。”忠義”という言葉がぴったりです。
(アンソニーホプキンスは適役で、最初に出てきた瞬間からスティーヴンでした。)
でも何か欠落していると感じたのはミス・ケントンが屋敷に来てからです。
それからのストーリー、頑なな彼が所々で乱れていく様がなんか可笑しかった。
彼女もそんな彼に惹かれていく気持ち解るわー。
(恋愛小説をスティーヴンが読んでいる所にミス・ケントンが来ての会話、もう―もどかしい!)
応じてくれないのは・・・プライド、年齢、執事としてしか生きて来なかったから?
さて、ダーリントンホールとても素敵なお屋敷で、魅せられてしまいましたよ。
この館の中で、不穏な時代の秘密会議、何を根拠にして自身の是非を語るのか、そんな事も考えました。
間違った戦争に加担してしまった城主のもとで働きながらスティーヴンは
それを諌める事もせず、従順であるそれは罪か?
後半ミス・ケントンに会いに行った際、ある人にガソリンを貰い
城主の過ちに対し否定もできなかった事を「あなた自身の気持ちは?」問われ
「私自身も私なりに過ちを犯したのです。その過ちを正しにこのたびに出た」と答えるでしょ。
彼の転機の時でした、それは報われなかったけれどね。
ケントンとの別れのシーン良かったわね。
あの握手した手が離れ、日が落ちた雨の中で濡れていました。
これから日の名残りの人生で彼はどんな生き方をするのでしょうね。
あとからじわじわと来るお話。
アンソニー・ホプキンスとエマ・トンプソンが窓からお父さんを眺めるシーン(涙)
衣装、いい。
執事のスタイル、カッコいい。
ヒュー・グラント、クリストファー・リーブのそれぞれの役柄らしいスーツの着こなしに見惚れた。
原作から考えて眠くなりそうで、眠くならない。午前10時の映画祭に名作を教えてもらえたと感謝。
非常に好みの作品でした
適切な光に適切なレンズ。
美術に衣装に建築と、素晴らしいです。
職業意識からなのか、不器用さからなのか。
ブレずに踏みとどまろうとする執事の姿を見ていると、こちらの気持ちが揺さぶられます。
アイボリー監督作品、全部観てみたくなりました。
仕事一筋の人にこそ響く映画
ノーベル賞作家カズオ・イシグロの
おそらく1番有名な原作の映画化。
もう随分以前の作品で、名前は良く知ってましたが、
午前十時の映画祭で初めてじっくり観ました。
初老の執事に旧知の女性から届いた手紙がきっかけで
その女性と一緒に働いていた日々の回想へと入って行く、
と言う感じで、ある程度の年齢の人の方が
心に響きそうな内容です。
自分の使える主人の思想や振る舞いに、
人としては納得出来ないモノを感じながらも、
執事の仕事に誇りを持つ主人公は
自分の葛藤を隠して黙々と仕事に殉じて行く。
あまりにその思いに忠実であるため、
自分の恋心さえ、悟られまいと押し隠す。
舞台はイギリスの貴族社会ではあるけど、
主人公の振る舞いは、何となく、
企業の不正を知りつつも、仕事への誇りのあまり
企業の闇に飲み込まれてゆく現在のサラリーマンにも
通じるような理不尽さが結構切ない。
で、月に8回程映画館に通う中途半端な映画好きとしては
主人公を演じるアンソニー・ホプキンスの
ストイックな演技が、流石に見ものです。
無表情の表情。
そんな合間に僅かに見せる動揺シーンが印象的。
密かに心を寄せている女性エマ・トンプソンが、
ホプキンスの読んでいた小説を
その手から奪い取ろうとした時、
絶対に見られたくなかったホプキンスの表情が、
見ようによっては恐ろしげで、
もしやドクター・レクターに豹変しやしないか(笑)
なんだ別の意味でドキドキしてしまった。
冒頭の見もの、
華やかなりし大英帝国貴族の贅沢な遊び「狐狩り」の
勇壮なシーンは、今の時代ではもしかしたら
もう撮影出来ないかも??
それから、
第二次世界大戦で一人勝ちしたアメリカの
富豪の役を故クリストファー・リーブが演じてます。
あのスーパーマンのクリストファー・リーブ!
いかにもイギリスとは
違う新興勢力の勝ち誇った王者感がよく出てました(笑)
@もう一度観るなら?
「中年以上の方には心にしみるかも〜〜」
後悔は少なめのMy Life
抑制したい大人の恋物語かと思いましたが、どちらかと言うと後悔の物語かなぁ、との印象です。
時代は1930年代、英国貴族ダーリントン卿に使える執事(バトラーと言うらしい)スティーヴンスは、完璧に仕事をこなそうとする人です。思想など個人的な感情は一切抑えて忠実に主人に尽くすのが執事の本懐であると信じて疑いません。父の死に目においてもクールに振る舞い、仕事を優先するタイプです。アナログ版AIみたいな人です、ヘンな表現ですが。
スティーヴンスのご主人・ダーリントン卿はいい人なのですが、なぜかナチスの思想に染まり始めます。ユダヤ人の使用人をクビにするなど結構ヤバくなっていきますが、AI男スティーヴンスはご主人に忠告などしません。なので、ダーリントン卿の周囲はだんだんときな臭い雰囲気になっていきます。
スティーヴンスはかなりオジサンですが、部下のできのいい美女・ケントンにどうやら好かれている様子。一方でスティーヴンスも好意を持っているようですが、AI男なのでつれない態度に終始してます。
で、この作品、現代から過去を振り返る構成なのです。本作における現代とは1950年代。ダーリントン卿はどうやら没落し、卿の館はアメリカ人のルイスさんが引き取り、スティーヴンスはルイスに仕えてます。
この現代パートが本作のキモだと思いました。
このパートで、スティーヴンスの後悔がはしばしに見えるのです。
車がガス欠になり、パブで一夜を明かすスティーヴンス。マスターの息子がダンケルクで戦死した、と聞かされて、スティーヴンスは何かを実感します。
送ってもらった男から、ダーリントン卿の最期を尋ねられると、「晩年は後悔していた」と語っていますが、その後ケントンと再会したシーンで語られる最期とは異なります。どうやらもっと悲惨な最期だったっぽい。
ケントンとの再会の理由は、ケントンをルイスの館にスカウトするためでした。しかさ、孫と過ごす、と言われ断られた挙句、「夫を愛している」と告白され(まぁ当たり前だと思いますが)、なんかショックな表情のスティーヴンス。
結局、執事だなんだと言いながら自分を抑えて、つまり自分を偽って生きたことへの後悔が現代パートには通底していると感じました。もし、主人に忠告していれば…もし、ケントンに素直な気持ちを伝えていれば…
決してスティーヴンスは後悔を表現しません。しかし、そのような切ない気持ちが伝わってきました。
最後は明るい兆しで終わっていくため、鑑賞後の後味は清々しいです。高尚で気品ある雰囲気の良作でした。
必要とされる幸せ。必要とするものを手に入れる幸せ。
午前十時の映画祭で。初見です。
アンソニー・ホプキンス主演。「羊たちの沈黙」が'91。翌'92はコッポラの「ドラキュラ」。これが'93。陳腐な表現だが「乗りに乗った時期」に撮られた佳作。この映画には関係ないけど、コッポラの歴史的駄作「ドラキュラ」はゲイリー・オールドマン、ウィノア・ライダーとの共演だったんですね。今思えば豪華。
ストリー的には、当時の英国の政治状況が、ある程度わかっていた方が理解が進むと思う。ヒトラー内閣の成立が1933、ヴェルサイユ条約の軍事条項が、事実上無効化されたのが1935の英独海軍協定と考えると、この物語が展開された1937時点で、ドイツの再軍備容認や水面下での接触は明らかに間違っているし、ドイツからやって来たというメイド(ホロコースト前だがユダヤ人の迫害は始まっていた頃)二人を追い出すってのは人道的にも許し難い。ダーリントン卿は、ほぼ「脳内お花畑」な貴族議員として描かれているが、日本の首相にも、こんな人居たよな、って思ってしまった。ルイスの指摘通り、政治に関わってはいけないアマチュアです。
スティーブンスは屋敷の中から出ない。当時の英国内は、国政的にはごった返しの争乱の時期なのだろうが、そんな世相は映画の中では表現されておらず。執事としての日々は淡々と進みます。ミス・ケントンが密かに寄せる恋心も、知ってか知らずか。人間としての、一人の男としての幸せを求めることなど、毛頭考えずに主人に仕える人生。
仕える主人が変わり、新たな人手が必要になったスティーブンの脳裏にミス・ケントンの名前が浮かび、迎えに行くわけですが、「日の名残り」の中で、彼は「一人の男としての幸せ」を掴み損ねます。ミス・ケントンの口から出て来た、旦那とやり直すことを決めた一言が、スティーブンの心に鉛の様に沈んで行く。「私を一番必要としているのが彼だから」。執事としての喜びもまた、仕える主人に「必要とされること」。彼と彼女の違いは、一人の人間としての幸せを求めたか否かであり、行動したか否か。最後の別れの場面、哀しかった。
現在の映画は、デジタルによる画像処理が施されていないものは無いと言っても過言じゃない。'93当時は、そんなもん無いでしょうね。逆に、だからこそ、画へのこだわりが伝わって来ます。とにかく美しい。どんなカットも、どんな場面も、なんでこんなに惹かれてしまうのかというくらいに好き。
米独仏英の政治家を集めた会議の最後の晩餐会。ドイツからのゲストがオペラを披露しますが、あの構図の中に、誰がどこに立ち、どちらを向き、どんな姿勢を取っているのか。絶対に、緻密に指示してる。絵画を見てる様な気分。スティーブンの興味を引けず、絶望しながら自室に姿を消すミス・ケントンの顔が、少しづつ少しづつ暗がりに消える。なんなの、この芸術品の様な心象表現!スティーブンとミス・ケントンが再会したレストランで移動するカメラと移り込む客と風景。戦後、華やかさを取り戻しつつある英国の情勢の中で、「あか抜けたケントンと年を重ねたスティーブン」を画だけで浮彫にしてしまう表現力。埠頭で「日の名残り」を眺める二人の横顔と背景の奥行の陰影のすばらしさ。なんといっても、バスに乗って去って行くケントンとの別れと、ダイムラーの運転席に戻り、男としての幸せを諦め執事に戻る気持ちの切り替えを表現するヘッドライト点灯までの流れ。昔のイタリア映画みたい、いや黒澤や小津みたい。映画って、こうであって欲しい。と、思いつつ。今の日本映画、画にこだわりなく、雑に撮られた作品が多すぎるよなぁ、ってのも強く感じてしまいました。
ストーリー的には「普通の文芸作品もの」ですが、画像表現と言う点では、これほど素晴らしい映画は無いと思います。
切なく美しく尊厳を揺さぶる
明らかに間違っている瞬間を目にしても、異を唱えることも、自らの主義主張を明示することも控えなければならない、サーヴァント、スティーブンス。その抑圧は、恋愛にさえも当てはまるのか?恋愛の自由さえ、享受することができないのか?そうではないはずである。
ミス・ケントンは彼から自己を消失させた生き方を学ぶが、ベンによって人間らしく生きることの重要性を再認識し、スティーブンスから人間らしさを引き出そうとする。
ケントンとスティーブンスの別れは、あまりにも切ないが、スティーブンスにとって人生の悦びとは、誰かに仕えて真っ当な仕事を完遂することだった。彼には仕えるべき新たな主人がいる。故に恋心でさえも、隠してしまった。だがそれこそ彼自身の選択なのであり、名残惜しい別れは、互いが互いに確固たる意志をもった決断だったといえよう。
原作の良さ
イギリスの古めかしくて気品のある屋敷とその中で立ち回る使用人達。小説に登場する情景の再現度はみごとでした。が、最も印象的なラストシーンを改変してはダメでしょう…。それと映画ではスティーブンスのモノローグが一切ないので、厳しい顔をしていながらクスリと笑えるチャーミングな内面を持っていることが伝わりにくかったの残念でした。
極上のスープのようなアンソニー・ホプキンスの演技に脱帽
個人評価:4.0
カズオ・イシグロの原作を映画化。
アンソニー・ホプキンスの正確無比な執事っぷりにうっとりする。まるで極上のスープを飲むような感覚。それだけでも見応えは十二分ある。
またノーベル文学賞を取った作家の作品らしい気品が漂うストーリーも心地良い。
主人公であるスティーブンスのぶれない性格や人生観が見る者に彼への愛情を感じさせる。
アンソニー・ホプキンス以外、この主人公は考えられない見事な配役だと感じる。
執事たちの沈黙
上流階級ものは数多くあるイギリス映画だが、下で働く者たちをメインにした映画も珍しい。
各国のVIP(アメリカ代表がクリストファー・リーヴ氏)が会合に参加するほどの屋敷ダーリントン邸。執事長のスティーヴンスは父が倒れても働きつくす。会合は敗戦国ドイツの扱いを平和的に解決するなどといった内容だったが、その最中に彼の父は息をひきとってしまう。
ナチス・ドイツが力をつけてきた折、主人からはユダヤ人のメイド二人を解雇するように命ぜられる。しかし執事には主人の主義・主張など関係がない。終戦後に尋問されても沈黙を押し通すホプキンスの渋さ。こりゃ『羊たちの沈黙』ならぬ「執事たちの沈黙」だ。女中頭となったケンテンとも恋愛感情がわいてきそうなのに、自分を押し殺して読書に耽る。放っておくから結婚しちまった。
時代は3つくらいに分かれているけど、繋ぎ目がないので、台詞の字幕をじっくり見ていないとわからなくなってくる。しかも実務的な会話ばかりなので非常につまらない。せめて戦争の映像が少しでもあれば・・・
執事の威厳、忠誠に感動!
原作を読んで映像も観たくなっので鑑賞。
主人に忠誠を誓う彼の姿が印象的。
こんなにも主人に忠実な人はなかなかいないでしょう…。
父親の代からずっと寄り添い続けることで、主人から信頼され愛されてきた彼。
大事なパーティーがあれば、たとえ父親が亡くなっても、業務を遂行し涙を日なすことなくやり通します。
まさに仕事に対するプライドの塊。
この忠誠は、ご主人様が人として威厳のあり尊敬に値する存在だからこそ。
彼の生き様はまさに執事の鏡。
年月を経てご主人がいなくなっても、屋敷に留まり続ける彼。
この土地に生きると決めた彼の想いが、何年も何年も生きて続けているのかもしれませんね。
愛や恋をもかなぐり捨てて、1人孤独に生きる彼のその決意と覚悟に感動しました。
アイヴォリー監督の 美意識
ジェームス・アイヴォリーは絵画と音楽鑑賞が趣味で、その片鱗がうかがえる美しい映画となった
ダーリントン・ホールの美しいこと!
(「ハワーズ・エンド」にて家に就いての うんちくを述べている)
執事のスティーブンスは主人の生活を完璧にすべく、生きていて ホールの美しさにもミス・ケントンの心情にも 心を動かされない
ダーリントン卿が ナチシンパの烙印を押された後、次の主人の元で ベン夫人(ミス・ケントン)に会いに行く途中の話である
ホールの外に出て 市井の人々に出会いながら、ダーリントン卿への非難の数々、自分の盲従が 卿の助けにならなかったこと、ミス・ケントンを失ったことを、過去の出来事をフラッシュバックさせながら 理解し始めてゆく
プロフェッショナルに徹するあまり ある意味、自失してしまった執事を ホプキンスが、ミス・ケントンを エマ・トンプソンが演じていて 盤石である
脇を J・フォックス、ロンズデール、クリストファー・リーヴなど 演技派が固めていて愉しい
カズオ・イシグロの原作だが 完全にアイヴォリー監督の映画になっており、
私には やはり、一番の主役は ダーリントン・ホールのように思える
最後の放たれた鳩は、スティーブンスの意識の解放の象徴だろう
執事は (職人が大好きな)日本人のようでもあり、人の良い ダーリントン卿もまた、しかり
二人の失敗は、日本人が陥り易いものにも 思える
(真摯にやっているのだが… )
イギリスと日本、同じ 島国で 住民は意外とナイーブなんじゃないだろうか? と、思ったりもした
(支配階級は別)
彼は回想できるだけの記憶を保持している。
ミス・ケントンに心底同情しますよ。仕事に全てを捧げることだけが人生という人に恋してしまった訳ですから…悲しいね。
あれ、スティーブンスの回想なんだから彼は全部覚えてるんだよね?労働者に政治は無理だと馬鹿にされたこととか。怒りも知ってるし、おそらく質問への意見も言えた。でも「仕事」での正解を優先させた。執事として。
ミスケントンが、結婚するって言ってむしゃくしゃしてワインを盗んで飲もうとしたものの割って、シットってゆうてたし。好きやってんよね?きっと。そう思いたい。
ダウントンアビー好きなので楽しく見られます。
若いヒューグランドは美しいですねー。
時代背景は第一次世界大戦後ですね。
ダウントンアビーやらナチスドイツが題材の映画やら、ダンケルクもウインストンチャーチルも見たしで、結構よく分かりました。
20世紀前半のイギリス社会に興味がないと、きついかなー。
京都シネマ名画リレーにて。500円で鑑賞。
二週間前に同じく名画リレーでやってた「ある晴れた日に」は見に行けず落ち込んでましたので、「日の名残り」はがんばった!
多分カズオイシグロ原作だから、お客様さん集まってました。ノーベル賞の広告効果は絶大ですなぁ。ノーベル賞につられたと見られる方々はいびきかいて寝てはりました。
全48件中、21~40件目を表示