「少女―――、この不可思議で美しいもの。」ピクニック at ハンギング・ロック Chemyさんの映画レビュー(感想・評価)
少女―――、この不可思議で美しいもの。
少女―――、この不可思議で美しいもの。長い人生のうちで子供から女になるほんの一瞬の間だけに現れる特殊な生物。それは神が作り上げた奇蹟。
19世紀末、オーストラリアの寄宿女学校で本当に起きた失踪事件。岩山にピクニックに出かけた生徒の内の数人と女教師が忽然と姿を消し、現在も謎が解明されていない。本作を最初に見たとき、私は真相が知りたくて躍起になった。しかし再見してみて、この謎は永遠に謎のままにしておきたいと思い直した。本作で重要なのは事件の真相はなく、少女という特異な生き物の神話性なのだから。
冒頭から画面はヴィクトリア時代の優雅さに満ちうっとりとさせられる。何気ない少女たちの朝の風景。クスクス笑い、ささやき声、レースにフリルにリボン。ベッドサイドや机の上は、カードやコサージュ、鏡や櫛、本物のアンティークの小物が散乱している。花びらを浮かべた洗面器で顔を洗い、並んでコルセットの紐を締めあう。優雅だが抑圧されたこの時代で少女達は少女達の間にだけ通じ合う感受性を育ててゆく。同姓の美しい同級生や先輩に憧れるのはこの年代の特徴。本作でも、1人の少女が美しい少女に愛の詩を捧げる。
少女というのはいったいいつの間に、本人も気づかないうちに“女”としての感性を身に付けるのか。あどけない表情の中や丸みを帯びてきた肉体に、内面から滲み出る未完成なエロティシズム。それは人間には手を出すことの出来ない肉欲ではない精神的なエロス。「ボッティッチェリの天使」と例えられる美少女ミランダの神々しい色香に、人間の青年は遠くから垣間見る快楽を許されるだけ。彼女と数人の少女たちは、まさしく岩山に住む神の御手に連れ去れたのだろう。大人の女となってその美が失われる前に・・・。
少女達が行方不明になるまでの前半はこのように夢のように過ぎてゆく。しかし事件が発覚した後半は、否応ながら現実の世界へ引き戻される。平和だった小さな町で起こったこの大きな事件は、瞬く間に噂の対象となり、残された人々を不安と混沌の渦中へ引きずり込むのだ。ひとつの事件が起こると、被害者や加害者だけでなく、周囲の人たちの生活へも大きな影響を与える。事件前の平穏な生活にはもう2度と戻れないのだ。人々の心には様々な猜疑心が生まれ、一人だけ発見された少女に対して哀れむ心さえ奪ってゆく(発見してくれた青年との間に芽生えかけた恋すらも)。少女は生徒達全員に敵意をいだかれ、学校を後にする。そして厳格な教育を目指していた校長も、酒におぼれ、最後は悲しく死んでゆく。厳格すぎて時として意地悪になるこの校長を、私はとても哀れだと思う。美しく生まれなかった女性の悲劇。華やかな人生を送れない代わりに、自分や他人に厳しくすることを信念として来た彼女の人生は、たったひとつの事件によって脆くも崩れ去ったのだ。信頼していた教師を失い、生徒達も次々と辞めていく。生徒たちに人気のある、美しくて優しい教師に対するねたみやひけめに気づく。学費が未納になっている生徒に退学処分を言い渡した結果(学校を経営する上ではやむをえない措置にもかかわらず)、その生徒は自殺してしまう。今回の事件で一番の被害者は、失踪した当事者ではなく、この校長だったと思う。失踪した少女達はきっと、美しい世界で神々に愛されているのだから・・・。