「薔薇は神の名付けたる名前なり、汝の薔薇は名もなき薔薇」薔薇の名前 ワンコさんの映画レビュー(感想・評価)
薔薇は神の名付けたる名前なり、汝の薔薇は名もなき薔薇
「薔薇の名前」は、世界的な記号論の巨人、ウンベルト・エーコ原作の同名歴史ミステリーを映画化したものだ。
そして、掲題は、当時の映画のエンドロールの直前に流れるラテン語の詩の邦訳だった……はずだが、これがVHS化された時に、この邦訳は変更されていた。
それは、小説の「過ぎにし薔薇はただ名前のみ、虚しきその名が今に残れり」とほぼ同じだったと思う。
何故だろうか。
薔薇の名前は、ショーン・コネリーの重厚感や、若き日のクリスチャン・スレーターも印象的だったが、そのストーリーが単なる謎解きミステリーを大きく超えて、中世カトリックや、その強大化した権力、農奴に対する苛烈な支配・差別、宗教的な普遍的価値とは何かを問う大作だった。
その物語は、次々に修道院で起こる殺人事件と、異端が関係しているのか、実は修道院の何処かに隠されているとされるローマ・カトリックの禁書に関係しているのではないのか、そして、その禁書に何が記されているのか、様々な謎を孕み、映画ならではの迷路のようなセッティング、スペクタクルな場面を経て進行していく。
中世、ローマ・カトリックは、ローマ帝国崩壊後のローマに拠点を置き、荒廃したローマに活気を取り戻しただけに止まらず、当時の欧州各国の政治や王位継承に大きな影響を与える強大な権力を手にしていた。
ヒエラルキーの頂点に君臨していたのだ。
そして、その支配は苛烈でもあった。
異端を徹底的に排除し、死罪なども当たり前だった。
こうしたことを窺わせる場面も映画には散りばめられている。
農奴の置かれた劣悪な環境も差別が如何に酷かったのかを伝えている。
そして、禁書の示すものは…。
以下ネタバレを含みます。
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禁書とされたのは、アリストテレスの「笑い(喜劇)の章」だ。
何故これが禁書なのか。
その意味するのは、ローマ・カトリックの宗教支配が恐怖によるものだったということだ。
信仰に従わない者には苛烈な罰が与えられ、異端は往々にして死罪となり、普通の人間にも地獄に落ちるとか、神罰がくだるといった暗示的な恐怖で信仰を強制し、皆で笑うとか、楽しむなどというのは信仰に不必要なことだったのだ。
これは、ダンテが中世ヨーロッパにあって、この地獄や煉獄を含んだローマ・カトリックの世界観を「神曲」で示していることからも窺える。
ただ、当のダンテも、庶民にも読めるようにとイタリアの方言であるトスカーナ語で書いたため、ラテン語以外で書物を書いた罪で協会から追放されてしまう。
それほど、ローマ・カトリックは、戒律や規律で雁字搦めだったのだ。
これは、現代にも通じる話ではないか。
25年近く前にテロ事件を起こした新興宗教のマインド・コントロールもそうだし、少し視点を変えたら、自由主義や民主主義に依らず、特定の一党独裁やそれに近い政治支配、或いは、特定の宗教支配を行う共同体や国家の支配も類似していないか。
戦前の官憲が見廻る日本も大差なかったはずだ。
ハラスメントや劣悪な労働環境を改善せず、従業員を恐怖で縛り付ける企業だって大差ない。
そして、この作品は、禁書というヒントを通して考える機会を僕達に与えているのだ。
アリストテレスは、実際、喜劇について何か書き残したのではないかという説もあるようだし、当時の権力や支配者を笑い飛ばすなんてことが御法度の世界を、これと対比させることで、感情を自由に表現できるということの重要性も考えさせられる。
そして、最初に提示した謎。
何故、ラテン語の詩の邦訳は変更されたのか。
その詩の意味することは一体何なのか。
僕は20年近く、この謎が常に頭の片隅にあった。
しかし、ついに2000年を過ぎたころ、ウンベルト・エーコが、アメリカのアンカーのこの詩の意味は何なのかという質問に対して答えた記事をネットで発見する。
このラテン語の詩の原文はこれだ。
「Stat rosa pristina nomine, nomina nuda tenemus」
エーコはこの質問に、これはちょっとした悪戯だった答える。
Rosa(薔薇)をRoma(ローマ)に変えてみなさい。
この詩は、12世紀、ある詩人がローマについて書いたものがオリジナルで、当時のローマの状況を憂えたものだ。
「過ぎにしローマはただ名前のみ、虚しきその名が今に残れり」
ローマは共和制から、ローマ・カトリックの強権的な支配になって再び栄えているように見えるが、中身は全く異なるものになってしまった…と。
そして、何故、薔薇の名前だったのか。
この小説や映画のファンの間でも論争は続いていた。
中世では薔薇論争が宗教学者の間であったからだ。
いや、アドソの惹かれた農奴の少女の美しさをモチーフにしたのだ。
こうした、議論がずっと続いていたのだ。
しかし、事実は意外なものだった。
今、日本版のWikipediaは、薔薇論争のことが記載されているが、エーコのインタビューについてはアップデートされないままだ。
エーコは、この短いラテン語の詩で、彼の遊び心にも似た思いつきで、ずっと皆を惑わせ続けたのだ。
そして、僕は、邦訳の変更を20年もの間、その理由を知らず悩み続けたのだ。
あの邦訳は、そもそも意訳どころか、とんでもなく間違った訳だったのだ。
エーコは、僕達を惑わせて、自らは笑って見せたのだ。
「笑いの章」だ。
16年に亡くなったエーコは、真の智の巨人だったのだと改めて思う。