「「神は死んだ」のではなかったか?」異邦人 talismanさんの映画レビュー(感想・評価)
「神は死んだ」のではなかったか?
原作邦題の「異邦人」は素敵な訳だと思う。でもかなり違うと思う。他者、自分たちと異なる人、変わった人、訳わからない人、理解不能な人、考えも価値観も異なる人。そんな感じだと思う。
神はとっくに死んでいるのに、まして法廷の場面なのに、中立で冷静に判断すべき司法の人間が、陪審員の情に訴えるような芝居がかった話し方で、殺人のことに集中せずに、神のことや、母の死にあたってどうだったのかと、関係ないことばかりを言う。全く理性的でない。そして司祭(この役者さん、ベルモンドの映画に出てた!ブルーノ・クレメル!)もしつこい。
要するに、とりあえずマジョリティーである自分たちの思考の枠内でしか、物事を考えることも、想像力を働かせることもできない人達が、ムルソーを「他者」としている。が、ムルソーからしたら、ムルソーを弾劾する人々がまさに、他者で、理解不能な人々だ。
母とあまりいい関係ではなかったのかもしれない、でも養老院に行った母は親友もできて、自分と居たよりも幸せな晩年を過ごすことができたのではないか。母は死んだ。でも泣くことがそれへの一番の対応とは限らない。
ガールフレンドも男友達も犬のおじちゃんも、みんなムルソーのことを理解している。社会の上層には属していない人、マイノリティだけれど人数的には圧倒的多数にとって、ムルソーは他者ではない。まさに自分たちのことだ。今の世界とまるで同じだ。
大昔、文庫本で読んだけど全然わからなかった。原作と映画は異なると思うが、この映画をみることができて良かった。マストロヤンニ、素晴らしい。
talismanさん
再コメありがとうございます。
東京オリンピック、知らないうちに開催は決定してるんですね。
陪審員をそそのかすのに似たところがあるかもしれません。
本質とは外れたところを議論の中心に持ってくるところは似てますねー。
talismanさん
コメントありがとうございます。
観賞後、ここのレビューでカミュに詳しい方とかいらっしゃって、キリスト教が関係してるような解説もあり勉強になりました。フランスの裁判制度も陪審員の裁判ってこんなのか、と観れば良いのか、おかしな裁判と観るべきなのか、難しかったです。原作を読んだらまた違った感想を持つかもしれませんので、覚えておこうと思います。
マストロヤンニの顔の表情、良かったです。
カミュ夫人、そうなんですよ。ですのでヴィスコンティ自身が
「『異邦人』は現実の解釈という意味でも、ほかの私の作品のように本当に私が参加した作品ではなかった。したがって出来損ないの息子、というより制約を伴って生まれた息子だった」
と述べています。
昨夜、新潮社の文庫本読みました。そうしたら解説者、白井浩司氏が「ムルソーの回想の如き体裁を取っているが、この小説は法廷でムルソーが視線を交わしたひとりの新聞記者による聞き書きではないだろうか」とご自身の仮説を述べていました。
もし、本当にそうならば、その記者こそが「作者カミュ」ではないか?と思うのですけど如何でしょう(笑)
映画では、その記者は印象に残っていないのですよね。(セレストの店で食事していた風変わりな女性は印象深かったですが)
記者を注意深く確認してみたいですが、シアター行くなら他の映画を観たいので、VODで扱われる日を気長に待ちたいと思いますw
いつもコメントありがとうございます〜。
「異邦人」素敵な訳ですよね〜。
しかし、この素敵な響きが「エトランジェ」というありふれた言葉であるはずのものに小難しい印象を与えてしまっているのも確かなところ。
東浦先生は、フランス政府の給費留学生として渡仏。国際カミュ学会会長のヴァランシ教授に師事なさったそうです。
読みやすくわかりやすい文体を書く方なので、機会があればお手に取ってみて下さいませ^ ^