「新車を自分で運転し目的地へ運ぶことを仕事としているコワルスキー(バ...」バニシング・ポイント りゃんひささんの映画レビュー(感想・評価)
新車を自分で運転し目的地へ運ぶことを仕事としているコワルスキー(バ...
新車を自分で運転し目的地へ運ぶことを仕事としているコワルスキー(バリー・ニューマン)。
今回の「白のダッジ・チャレンジャーの陸送、コロラド州デンバーからサンフランシスコまでの2000キロを15時間で」という賭けを行きつけのバーの店主と行う。
出発早々、スピード違反で追いかけてきた警官を振り切ったコワルスキーだったが、警察無線を傍受していた地方ラジオ局KOWの盲目の黒人DJ・スーパー・ソウル(クリーヴォン・リトル)は、それを痛快に電波に乗せて応援する。
白のチャレンジャーで疾走するコワルスキーの脳裏に、過去の出来事がフラッシュバックのように過っていくが・・・
といった物語で、巻頭はエンディングの少し前からはじまる。2台のブルドーザーが道路をふさぎ、警官が立ち並ぶ中、やじ馬たちが三々五々やって来る。
ここが「バニシング・ポイント」、雲散霧消、すべてが消えてしまう場所というわけだ。
子どもの頃にテレビで観た記憶があるが、ここから始まっていたのね。
ラストは憶えている。
が、疾走するコワルスキーの脳裏を過る過去のエピソードは、すっかり忘れていました。
映画に登場する順ではなく、時系列順に整理すると、
1. ベトナム戦争からの帰還兵だったこと(戦闘シーンなどはない)
2. 警察官だったこと
3. 同僚警官が逮捕した少女に乱暴を働くのを阻止して失職したこと
4. カーレーサーで事故に遭ったこと
5. 恋人がいたが、死んでしまったこと
となり、現在は、ヤク中といってもいいほど荒れている。
初期のベトナム帰還兵物語だったわけですね。
翌1972年に同じく二十世紀FOXで製作された『ソルジャー・ボーイ』(リチャード・コンプトン監督、ジョー・ドン・ベイカー主演)に雰囲気は似ています。
さて、コワルスキーは、自己の存在証明を賭けてチャレンジャーで疾走しているわけにすぎないが、いつしかスーパー・ソウルの放送によって民衆から英雄視されてくる。
しかし・・・
自分は英雄でもなんでもない。
英雄だというのなら、ベトナムから帰還した際に、そういって讃えてほしかった。
讃えてくれたかもしれないが、あれは見せかけだった。
その上、国に殉じようと警官に転じ、正義を貫こうとしたが石持って追われてしまった・・・
俺はただのくたばり損ないだ。
こんなことならベトナムで死んだ方がましだった。
事故で死んだほうがましだった。
警察に盾突いてんじゃないんだよ、権力に盾突いてるわけじゃないんだよ。
そうだよ。
みんなは何が見たいんだ。
ほんとに見たいのは何なんだ。
権力に盾突く姿じゃないだろ。
戦争で戦う姿か?
レースで突っ走る姿か?
違うだろ。違うだろ。
見たいのは、英雄が戦って死ぬところだろ。
レースで爆走する車がクラッシュするところだろ。
見せてやろうじゃないか、見たいものを・・・
それが、バニシング・ポイントへ突っ込むコワルスキーの胸の内だったのではありますまいか。
だから、最後にニヤリと笑うのでしょう。
監督はリチャード・C・サラフィアン。
原案のマルコム・ハート、脚本のギレルモ・ケインともに、本作ぐらいしか作品がありません。
<追記>
「疾走だけが存在証明」というのは、後に『激走! 5000キロ』などのカーアクション映画に能天気な形で引き継がれます。