「「シンシナティ・キッド」と錯綜してしまい…」ハスラー KENZO一級建築士事務所さんの映画レビュー(感想・評価)
「シンシナティ・キッド」と錯綜してしまい…
何十年ぶりかの鑑賞で、
ノーマン・ジュイソン監督の
「シンシナティ・キッド」と錯綜してしまい、
エドワード・G・ロビンソンが
なかなか出てこないなぁと思うなど、
大勘違いしていた。
従って、
優れたビリヤード能力に自惚れながら
廃退的な生き方の若者の自滅が
描かれるのだろうと観始めてしまい、
ラストの希望的展開の忘却から
終盤まで何とも重苦しい展開と感じながらの
鑑賞になってしまった。
しかし、その中でも、
序盤の二人のハスラーによる
勝負のシーンは緊迫感に溢れ、
この作品一番の名場面ではないだろうか。
中盤、これまでの父親役のような
ギャンブラー仲間と決別して、
新たなギャンブラー組織に組み入れられる
という展開は、
勝負師というよりは
金銭的に個人がより歯車化することを
意味しているのだろうか。
終盤、
登場するハスラーやギャンブラーが
組織的にお金に支配されている中で、
恋人の死を切っ掛けに
お金には換えられない想いや人生が
あることを知り、
新しく人間らしさの備わった主人公の
個人への回帰的再生の将来が
示唆されたかに見えた。
また、組織世界に染まっているはずの
太った対戦相手のハスラーの
意味深な表情や仕草には
彼の想いが伝播しているようにも感じる。
ただ、苦しい時に支えてくれた恋人との
生活と死が、
主人公の進歩した人生観の獲得との
リンク性が、演出の上で
少し弱い点が気になる結末には感じた。
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