「パーフェクトワールドはどこにあるのでしょう?」パーフェクト ワールド あき240さんの映画レビュー(感想・評価)
パーフェクトワールドはどこにあるのでしょう?
パーフェクトワールド
1993年公開
クリント・イーストウッド監督作品
不朽の名作「許されざる者」と「マディソン郡の橋」の間に挟まれた作品です
「ザ・シークレット・サービス」は主演のみで監督作品ではありません
つまり彼が監督として最高潮に乗っていた時期の作品ということです
面白いのは、イーストウッドの本作の次の出演作品が「キャスパー」だということです
フィリップが被っているお面がキャスパーです
カメオ主演程度なんですが、洒落が効いてます
舞台はテキサス州
米国で一番人口の多い州
そこはカウボーイの国
男らしさ、保守的でどちらかというと男尊女卑的な土地柄です
男らしさが何より大事という価値観の土地柄です
独立心、プライドが重要です
そういっても人々はフレンドリーな性格の人が多いそうです
ブッチとフィリップの二人が途中立ち寄るお店の店名は笑顔の店フレンドリーでした
南部なので人種差別も強め
黒人の人口が一番多い州だそうです
Tボーンステーキはテキサスの名物
このようにテキサス州の特徴を丁寧に取り上げていきます
どうして?
テキサス州がアメリカそのものだということいいたいのだと思います
そして男女平等、性の多様性には、保守的な土地であることを強調するためでしょう
時代は1963年
劇中、話にでるケネディ大統領のダラスパレードは同年11月22日のこと
そこでケネディ大統領が暗殺されたのは余りにも有名
面白いのはイーストウッドの一つ前の出演作品は「ザ・シークレット・サービス」だということ
その作品でイーストウッドは大統領を守れなかったシークレットサービスの護衛官を演じていたのです
同年8月28日には首都ワシントンで黒人公民権運動のワシントン大行進がありました
20万人以上が参加した全米を揺るがす一大デモ行進でした
本作は10月末のハロウィンの日から始まります
つまりその二つの大事件の間に挟まれた時期を選んでいます
どうして?
リベラルの大統領の時代
米国が人種差別の撤廃に動き始めた時代と言う意味だと思います
イーストウッドが演じる署長に知事から寄越されるサリーは女性ですから、署長は相手にしてくれませんし、警官のなかにはセクハラしてくる始末
そんな中、彼女は有能さを示すことで署長の信頼を得て、逆境の職場環境に負けずに地歩を固めるのです
フィリップの母はエホバの証人の信徒のようです
ハロウィンもしないし、クリスマスも誕生日も祝いません
なぜそういう設定なのでしょう?
もちろんブッチはフィリップに自分がしたければやればいいと独立心を育てるシーンが引き立つからでしょう
フィリップは女ばかりの家で男性のロールモデルが無かったので、それが一層際立つ設定になるからです
そして、行き過ぎた多様性をそれで表現しようしているようにも思いました
メリークリスマス!なんて近頃の米国では言えないそうです
ハッピーホリデイ!と言い換えしないと、宗教の多様性に無理解だと非難されるそうです
子供でなくても、キリスト教徒でなくても、クリスマスを祝えないなんておかしいです
そんな行き過ぎた多様性はおかしいとイーストウッド監督は言いたいのだと思いました
そして監督はフィリップをなぜズボンを穿かせないで人質にさせるのでしょう?
それは、テリーとブッチにフィリップの男性器について台詞を言わせる為だったと思います
男の子に取っては男性器の大小は自尊心と直結していることです
ブッチに小さいとバカにされ、女ばかり家でオカマになるぞと言われ、フィリップは傷ついています
しかし、ブッチに年のわりに立派なもんだと言われ自信を取り戻します
男は男らしくあれというシーンだったと思います
最近の風潮だとこのシーンは性の固定的な見方で多様性を否定したシーンだと非難されるのかも知れません
しかし、イーストウッド監督は必要だと考えてフィリップにズボンを穿かせなかったのだと思いました
ブッチは署長によって虐待する父親から引き離す為に少年院に入れてられました
彼には男性のロールモデルとなる父親がそんな男であったから子供を虐待する大人を激しく憎みます
とはいえ、父親からもらったアラスカの絵葉書は大切に肌身離さずもっています
ある方のレビューにあの絵葉書は、署長がだしたものかも知れないとあり、あっ!と膝を打ちました
フィリップを人質にしているうちに父親気分になって自分がそうであって欲しかった父親を演じでいます
それがフィリップには初めて見る大人の男性のロールモデルでしたから、優しくされたならなつくのも当然です
でも、この展開は最近の風潮から言うと非難されるべき展開なのでしょう
フィリップはブッチを撃ちました
マックとその妻、フィリップと友達になった小さな孫の3人を殺しそうに彼には見えたからです
ブッチを父親のように慕っていても、彼にはそれが正しい事だと判断して引き金をひいたのです
それがどんなに結果になるのかもわかっていて
父親を越えていく独立心がブッチといる内に育っていたのです
ブッチはその事が良くわかっています
撃たれたことは不覚で、残念でも、フィリップがそうした行動を自らとれたことはとても嬉しかったに違いありません
フィリップが立派な息子になったと誇らしく思ったかも知れません
パーフェクトワールドとは?
子供は虐待されず、大切にされる世界
男は男らしくある世界
性や信教の多様性は認めながら、行き過ぎることはない世界
男女も人種も平等で、差別されることは無い世界
そういう世界を作って行きたいと言う願いのこもった映画だったと思います
公開された1993年は、その年ビル・クリントン大統領が就任した年でした
彼はテキサス州出身の保守的な大統領ジョージ・ブッシュ大統領でしたから米国が大きくリベラルへ向かう年でした
それから世界は息子のブッシュ大統領になり、オバマ大統領になり、左右に何度も揺れ動きました
今は?
トランプ大統領になってご存知の通り
30年後の現在なら本作はトランプ大統領には気に入ってもらっても、多くのリベラルな人々には評価されないテーマであるかも知れません
しかし、自分はこう思うのです
行き過ぎた多様性は行き過ぎた保守性を生むと
振り子のように左に行き過ぎれば、揺り戻しもまた大きく右に揺れるのです
それがトランプ大統領を生んだのだと思います
パーフェクトワールドはその中間にこそあると思うのですが、それでは今の世の中、右からも左からも攻撃されてしまうのかも知れません
そんな理屈なんかさておき、
終盤はもう涙がとまらず、泣きはらしました
さすがイーストウッド監督です、傑作でした