「第一次世界大戦の頃」肉弾鬼中隊(1934) 因果さんの映画レビュー(感想・評価)
第一次世界大戦の頃
『駅馬車』などの娯楽大作で知られるジョン・フォードの初期中編作品。
本作は第一次世界大戦というセンシティブな題材に対してきわめて冷たく、厭世的に臨んでいる。とりわけ冒頭シーンは鮮烈だ。馬に乗った米兵が砂漠の真ん中を不安げに彷徨う。するとバン、という音がして、米兵は糸の切れた操り人形のように馬から転げ落ちる。そこには悲劇を彩るようなBGMもなければ、迫真のカット割りもない。死という簡明な事実だけが含みのない望遠ショットによって伝えられる。
砂漠に追い詰められた兵士たちは戦争の大義を見失っていく。ある者は気宇壮大な夢物語に浸り、またある者は狂信に絡めとられる。はじめこそ戦争に対する勇猛果敢な意気込みを語っていた中隊長でさえ、姿の見えないアラブ兵に一人、また一人と部下の命を奪われていくうちに少しずつその精神を蝕まれていく。
彼らを心身ともに追い詰めたアラブ兵たちの姿は最後まで明示されない。それは憎むべき個人などはどこにも存在せず、ただひたすらに戦争という実体のない現象だけが悪なのだ、という達観の表れのように思われる。
ただまあこれはアメリカが第一次世界大戦という状況に置かれていたからというほかない。現に第二次世界大戦下のハリウッドでは『カサブランカ』やフランク・キャプラ作品といった具合に戦争を肯定するような国策映画が巷にごった返すことになる。そしてジョン・フォード自身もまた徐々にそうした時流に迎合していった。
ここまで露骨な反戦映画を撮っておいてそんな転向はないでしょうよ、と言いたくはなるが、良くも悪くも彼はそれほどまでに「柔軟」な作家なのだ。事実、たとえば50年代に彼が撮り上げた『捜索者』などは、30~40年代においてもっぱら彼が喧伝していたステレオタイプ的なインディアン像を自ら否定し、そのうえで白人の他民族嫌悪が行き着く病的な妄想世界までもを暗示するものだった。彼はおそらく「反抗」と「自己批判」に彩られた政治の季節(=アメリカン・ニューシネマ)がもうすぐやってくることをいち早く察知していたのだ。
そう考えるとやはり、本作の極端に冷たく厭世的なトーンもまた第一次世界大戦時のアメリカ世相のフラットな反映なのではないかと思う。技法以外にはまったくといっていいほど透明な彼の作家性ゆえに、むしろありありと当時のアメリカ国民たちの鬱勃たるムードが現出していた良作といえる。