劇場公開日 1979年7月21日

「ただの傑作カンフー映画だと思ってはならない」ドランクモンキー 酔拳 あき240さんの映画レビュー(感想・評価)

4.0ただの傑作カンフー映画だと思ってはならない

2021年7月3日
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鑑賞方法:DVD/BD

カンフー映画が世界的に人気なったのは1973年公開の「燃えよドラゴン」からだ
香港で1973年7月26日に初公開された
米国は同年8月、日本は12月の公開だった
主演は伝説の男ブルース・リー32歳
その彼が公開を待たずに死んでしまった
7月20日、公開の僅か6日前のことだ

その映画は世界的な空前の大ヒットになった
しかし折角注目を集めたカンフーの映画を誰が
ブルース・リーのあとを継いで演じられるというのか?
ただの俳優では多少訓練を積んだところで演じられるものではない
カンフーの技が出来たとしても、演技ができるのか?
その上スターとしてのルックスやオーラがなければならないのだ
そんな俳優どこにいるんだ?

だからカンフー映画自体、「燃えよドラゴン」の夢をもう一度と沢山撮られはしたものの、あのような大ヒットはでなくなってしまう

本作の主演ジャッキー・チェンは、1954年生まれだから、ブルース・リーの14歳も下
「燃えよドラゴン」公開時は19歳だった
やられ役として出演していたという
しかしその後は香港を離れて左官職人やコックなどをしていたという
俳優をあきらめたのだろう

その彼が1976年に呼び戻されて、カンフー映画に復帰する
ブルース・リーの後継者をさんざん探しまわっても見つからないその末に、やっと彼の名前を思い出してもらったのだろう
これが22歳

香港に戻って何本ものカンフー映画に出演するが当たらない
どうすれば当たるのか?彼の発案でコメディ路線で撮った1977年の「スネーキーモンキー 蛇拳」が初めてうけた
そこでその路線でさらに続けたのが1978年の本作
これが大ヒットしたのだ
まだ24歳だ

その後のことはご存知の通り
彼がいなければ、カンフー映画は死んでいたのだ

そうなれば、クエンティン・タランティーノ監督がキル・ビルを撮ることもなくなってしまうだろう

「プロジェクトA」も「香港国際警察」のような傑作アクション映画も生まれなかった
ワイヤーアクションが世界中に広まることもない
ジョン・ウー監督の香港ノワールも生まれてなかったろう
そうなれば、もしかしたら北野監督のノワール作品の成立にまで影響したかも知れない

それ程、本作とジャッキー・チェンの存在は世界中のアクション映画に恐るべき巨大な影響を及ぼしたのだ

ただの傑作カンフー映画だと思ってはならない

驚嘆すべき極限の身体アクションの連続は、芸術だ
それをみているだけで感動がある
すなわちアクションだけで感動をさせるということだ
そしてユーモア
どちらもそれは世界共通言語なのだ
東洋も、西洋もないのだ
世界市場が広がっている扉を開いたのだ

それを再発見した映画が本作だったのだ
シンプルだからこそ良いのだ
本作はこうみえて映画の革新であったのかも知れない

あき240