「近さと遠さのなかで」トラベラー 因果さんの映画レビュー(感想・評価)
近さと遠さのなかで
監督の処女長編ということで、後年の代表作と比べるとスタンダードな映像表現が多い。アッバス・キアロスタミもモンタージュとかやるんだ…と妙に感心してしまった。
しかしそんな中でもハッとするような唯一無二のショットがいくつもある。主人公の悪ガキ2人が壊れたカメラで学校や近所の人々を撮っていくところなんかごく普通の人が次から次へと映し出されていくだけなのに、迫り来る生の躍動感に圧倒された。悪ガキの心に後ろめたさを投げかけるものとしてはこの上なく説得力があったように思う。
それから試合の終わってしまったサッカースタジアムを悪ガキが途方に暮れながら歩いていくシーン。そしてそれを俯瞰で捉えるカメラ。しかし完全に突き放すわけでもなく、悪ガキの動きに合わせてほんの少しだけ画角が調整される。この距離感がいい。
アッバス・キアロスタミが撮り上げる子供はちゃんと子供に見える。それは子供に近づきすぎもしなければ遠ざかりすぎもしていないからだと思う。近すぎれば過度に感傷的なホームビデオになるし、遠すぎれば監視カメラの録画映像と見分けがつかない。確かなバランス感覚がないといけない。
思えば小津安二郎の『お早よう』も卓越したバランス感覚があった。しきりにテレビを欲しがる兄弟の姿は、親からしてみれば鬱陶しくて仕方がない。あるいは全くの他人からしてみれば路傍の石ほどどうでもいい。だから小津はその中間を狙い澄ます。テレビを欲しがる兄弟を遠巻きに笑いながら、一方で彼らの切実さに思いを馳せるような、絶妙な地点を探り当てる。
本作も同様だ。悪ガキの反社会的な行動は、親教師からしてみれば不愉快この上ないが、一方で「何としてもサッカーの試合を生で見たい」という彼の心境も理解できる。そういうどっちつかずのシーソーゲームに観客もろとも巻き込んでしまう技量がアッバス・キアロスタミにはある。