友だちのうちはどこ?のレビュー・感想・評価
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自分の中の「映画」の概念が覆される
1987年製作のイラン映画で、日本で初公開されたのは1993年。当時、全盛の都内ミニシアターで初めて見た時の衝撃が甦る。それまでハリウッドや香港などの娯楽作やアクション作品を数多く見てきて映画好きを自負していたが、「友だちのうちはどこ?」には、自分の中の「映画」というものの概念が覆された。
フィクションの物語映画でありながら、その作品世界は真実のようで、それまでの映画で味わったことのない映画表現の領域に入り込んだような感覚に陥り、特にラストシーンの感動でしばらく立ち上がれなかったのを覚えている。アッバス・キアロスタミ監督は、職業俳優を使わず、撮影地の村の住人や子どもたち、実際の家や学校を使用して撮影し、フィクションとドキュメンタリーの間の絶妙なバランスを保つスタイルを確立した作家だが、「友だちのうちはどこ?」はそんなスタイルを象徴する傑作である。
この映画は、あなたのその後の人生観や映画の見方を変えてしまうかもしれないほど、映画的な力を持っている。そして、世界には異なる文化や習慣を持った民族がいて、映画表現も国によって異なるという、未知の領域を教示してくれるに違いない。しかし、この映画で描かれているのは普遍的なもの。国や人種、文化が異なっても共感できるテーマであることが、今なお世界中で愛されている所以なのだろう。
絶体絶命のアハマッド
〽 目覚まし時計は母親みたいで心が通わず
(東へ西へ 井上陽水)
どうしてこんなに母親って非情なのだろうね。溜め息。
あなたは宿題をさせたいのか、育児や洗濯の手伝いをさせたいのか。
大人って、こんなにも子供の声を聞かない。
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先日、友人と、
ふとむかしの事を思い出して語り合ったのだ。
僕がクリスマスの「アドベント・チョコ・カレンダー」をプレゼントしたら、それに対する礼だけでなく、その友人がふと呟いたのだ
「わたし○○の子供に生まれたかったなぁ・・」と。
僕からの返信には こう書いた
「わたし○○の子供に生まれたかったなぁ」。
さらっと流して呟いた、
気(ケ)取られないように触れた何気ない言葉だけれど、
これは子供の時の「痛いコトバ」だ。
幾度、僕たちは枕を涙で濡らしたことだろう。
・なんでこんな家に生まれたんだろう、
・どうして自分はこの父親や母親のもとに自分は生まれてしまったんだろう、
・よその家に生まれたかった・・
○○ちゃんの家みたいな幸せな家の子になりたかった。
お布団をかぶって泣いた。
あのね、
むかし貧しい市営住宅に住んでいたとき、
保育園に通ううちの子の友達の「よしお君」が、中庭を通ってうちに来たんだよ。
よしお君の部屋は、玄関の土は湿っていて苔が生えている。お向かいの日陰の、すごい寒い部屋。
日の当たる掃き出し窓のところに座って、僕は よしお君を膝に抱き上げ、ギュッと抱きしめて
「かわいい かわいい」と言いながら頭をグリグリ撫でていたら
彼は言ったんだ
「オレ、おじちゃんちの子に生まれたかったな」って。
「あっ」と思って、たまらなくなって、もう一度ギュッと抱きしめた。
小さな子どもの頭は お日さまの匂いがした。
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アッバス・キアロスタミ。
プロフィール写真を見ると強面なんだが、アップの写真だとサングラスの向こうにすけて見えるその目の、なんと純粋なこと。
イランの映画は、いい。
あの頃の、子供心の焦りや嘆きの世界を、こんなにも優しくすくい上げてくれる。
子供の涙にそっと寄り添ってくれる。
子供のがんばりを認めてくれる。
その声に耳を澄ませてくれる。
この映画は、その友人が勧めてくれたので、今回僕は初めての鑑賞となったのでした。
良かった。
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友だちのうちはどこ?
ここだよ、
レザ・マツァハデ。
·
映画というより、彼らの生活を覗いてるのかと錯覚するぐらい自然で取り...
大人は随分自分勝手だね
これくらいシンプルに
日本映画もこれくらいシンプルでいいんじゃないかな、
友達の宿題を間違えて持って帰ってきちゃって、渡さないとその子が退学させられてしまう、どうしようという話し。
子供目線で一生懸命に描かれていて、国は違うし表情や細かなしぐさとかも日本にはもちろんないところばかりなのに気づくと男の子を応援している。
がんばれ〜!!
周りの大人たちからお遣いや家事、育児とか頼まれても曲げずに友達の家を探す姿が印象的。
誰しも子供の頃って"こうしなきゃ!こうなったら怒られちゃう、ダメだ"っていう強迫観念があったと思う。
それを貫き通していく友達想いの作品でした。
ちなみにもう1つ、同じ日に見たのは日本映画のウェディングハイ。
かなり真逆の作品だったなぁ
鉄のドアの先へ…
大人は分かってくれないよね~。先生の言い付け守るのも、楽じゃない。でも、だからこそ、忘れられない。
家からの大脱出
祖父のしつけタイム
職人気質なお爺さんとの出会い
食べたくない晩ごはん
何も言わない父さん
そっと、ご飯を置く母さん
風の強い夜
そして迎える朝
総て、忘れられない大切な出来事。
子供の頃の思い出って、些細なものほど、強く印象に残ったりするものです。何だかひとり「スタンド・バイ・ミー」状態ですが、アハマッド坊やも、この日の大冒険を、きっと忘れない。そして、やがて訪れる鉄のドアを開ける…。
イランって聞くと、政治的、思想的に凄く遠い国って感じがします。実際、相容れない戒律もあるかな。ただ、この映画を観る限り、信じる神様は違えど、人として大切にしているものは、それほど変わらないのかなぁと…。
それと、私が気になるのは、町で出会った職人気質なお爺さん。おそらく、監督さんの分身ですが、誰もが慌ただしく暮らす中、未来を生きるアハマッドに、何を託そうとしたと思います?。
このクニが、土地バブルで狂騒状態の頃に創られた映画です。邦画なら「就職戦線、異状なし」の時代かな。皆様はどうお過ごしでしたか?。
アハマッド坊やは、その後、何を手に入れたと思いますか?。失われた30年で、皆様は、何を手に入れましたか?。
世界は大きく変動しています。どうせなら、今よりマシに変わってほしい。
あの日の、アハマッド坊やのように…。
大好きな作品です
採点4.3
友達のノートを返しに行く。そんなシンプルでハートフルな物語。
ポシュテという地名だけを頼りに、ほとんど当てのない旅で見ていて不安しかないんですね。
作品で特徴的なのが、全て子どもの視点で描かれています。
また俳優でなく村の住人や子どもたちをそのまま出演。
だからか、すごいリアリティなんですね。
それと子どもたちが皆可愛い。アハマッドの不安げな表情とか抱きしめてあげたくなります。
反対に、先生をはじめ出てくる大人たちが一様に面倒臭い。
全然話は聞いてくれないし、どうでも良い話ばかりダラダラとするし、全然物事が先に進まない。自分の爺さんすらもこれまた面倒臭い。
道案内してくれた親切な爺さんすらも、ドアの話ばかりで中々進まないんですね。
しかも、そんな爺さんを気遣い、そのノートを隠す優しさですよ。
結局友だちの家を見つける事ができず、家で泣きくれるアハマッドはふとある事を思い付きます。
そうして最後に開かれたノート。優しさに溢れた何とも素敵なカットでした。
爺さんもですが、帰ってきた時のお母さんもそう。優しさは優しさで繋がっているんですよね。
久しぶりに観ましたがやっぱり良い、大好きな作品です。
ジグザグ道‼️
素直さと頑固さと。
母親の手伝いはする、言いつけは素直に聞く。しかし、ひとたび使命感を持つと、母親の言うことすら聞かず、飛び出していく頑固さを持った健気な少年。セリフ少なめ、効果的なBGMもほとんどないまま進行していく物語で、友だちの家を探してノートを返すだけなのに、目が離せない。観る側としても素直に少年の行く末を見守ってしまう。大きなクライマックスもなく、それぞれの俳優の表情から心境を読み取るため、想像力が働く。
冒頭のドアのアップから始まり、ドアの修理の話がやたら強調され、ドアが何かの象徴になっているこの映画。
効果音や派手なBGMやら説明口調の多い映画に慣れていると退屈極まりない映画かもしれないが、多くを語らず、表情で伝えようとすることが出来る俳優陣をはじめ、幾つもの話題作を提供している監督には尊敬の念を抱いてしまう。
じれったい💙
美しい映画
お友達のノートを届けてあげたい
ただそれだけなのに冒険映画であり、社会的な疑問を投げかけてくる映画
私の中ではクズの分類に入る大人たちしか出てこず、腹が立つ
孫は自分の言うことを聞くべきで、しつけのために何かをやらせる、という祖父、宿題をやれとしか言わない母、小さい子供が話しかけても相手にしない男たち。
イスラエル映画は初めて見たのだが、まさかこれがイスラエルの日常だなんて言わないでくれよ?!と思ってしまう。
ストーリーとしては、大きな事は起こらない。映像美と道行く人の描写だけで、最後まで惹きつけられたことに、自分でも驚いてしまった。
つまらない、と思ってしまう人もいそう。
しかしイスラエルの町並みはとてつもなく美しくて、特にステンドグラスのシーンは脳に焼き付いて離れない。
徹底した子供視点 そして美しい映像
まず、第一に映像がとてつもなく美しい。どのシーンをとってもイランの美しい日常風景がおさめられていて、ため息が出るほど。
そして主演の少年。本当に可愛らしくて、子供のあどけなさ、言いたいことが上手く言えないもどかしさが見事に表現されている。
徹底した子供視点で描かれていて、それが主人公の少年への共感を高めている。
高圧的な態度の先生、言いたいことを理解してくれない親など、誰しも経験したことがある出来事が次々起こって、鑑賞者は子供に戻ったような感覚になる。
映画を見ていくと、登場する大人たちにかなり腹が立ってくる。
お母さんには宿題をしろ、パンを買ってこい、おじいさんにはタバコを買ってこいと命令されたり。
ドアを販売する商人に、主人公のノートを半ば強引に使われたり、主人公の質問を全く聞いていなかったり。
主人公が友達の家を探して色んな人に場所を尋ねるが、みんなに「知らない」と言われたり。
ドア商人を追って、ある家までたどり着く。その時に登場する子供の顔がドアで隠れている演出は粋だなと思った
友達の家を探しているうちに、あたりがどんどん暗くなっていく。そこへ老人と出会う。
老人は親切に案内してくれる。しかし、ノートを返すことができず、老人も疲れたと言って主人公と別れる。この親切な老人には老いの寂しさや、哀愁が漂っていて、主人公の若々しさとの対比のようで感慨深い。
終盤家へ帰ってきて、ノートを返せず落ち込む主人公だったが、ラストにも通ずるあるアイデアを思いつき実行する。
その時、外の方を見ると強い風に吹かれながら洗濯物を取り込む母の姿が。
色々命令はするけれど、家族のために家事に奮闘する母親を温かい眼差しで見つめるショットなのではと感じた。映画を通じて大人の醜さが描かれているが、この終盤のシーンは少し違う。
母親を見つめる主人公の大人の苦労を理解したような顔が感慨深い。
単なる癒やし映画ではなく、痛烈なメッセージを込められている傑作だと思う。
この映画の大人のようにならず、子供を理解しようとする姿勢を持つことの大切さを感じた。
やっと見れた
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