途方に暮れる三人の夜のレビュー・感想・評価
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カップルとの狭間
グレッグ・アラキの初期衝動は「マラノーチェ」を撮ったガス・ヴァン・サントに近く感じながら、白黒の映像から映し出される町並みやネオン看板など全体的なLookがピーター・エマニュエル・ゴールドマンの「沈黙のこだま」を想起させられる雰囲気を醸し出しているようにも。
ムーディーなヒット曲が流れる中、部屋に張られたポスターがLAパンクのXだったりで何となくPunkを感じる、唐突に場面が変わるカット割で劇中の過ぎていく時間が流れ、登場人物三人の何ら変わり映えの無い生活を淡々と描きながら微妙な関係性が奇妙な三角関係へと。
親友でもある女友達のアリーシャ、その彼氏クレイグに恋をするゲイのデイヴィッドは気持ちを隠しながらも二人に思いを告げる、アリーシャとデイヴィッドの気持ちは立場が違えど似たような感情にも、バイセクシャルの狭間で混乱するクレイグが結果的に場を収める展開、複雑な男女の関係性を感情を含めた劇的な物語として描くより、シンプルで淡白な話運びと演出描写が清々しくラストに繋がっていく。
INTERNETARCHIVEにて鑑賞。
アンニュイでありながら端的な、タイトルがとても好き。
本編を観る前に、タイトルだけで「あ、好きだな」と思う映画がある。アレクサンドル・ソクーロク監督の『日陽はしづかに醗酵し・・・』と、本作『途方に暮れる三人の夜』。原題をそのままカタカナ表記するだけの作品が増えつつある中、この2タイトルの詩的なけだるさに心を持っていかれた。哲学的な物憂さが漂い、芳醇な香りすら感じさせる『日陽は・・・』のシュールさに比べて、『途方に・・・』は、アンニュイでありながら端的な、タイトルどおりの作品だ。
グレッグ・アラキ監督は、ジョン・カサヴェテス監督やジム・ジャームッシュ監督などのアメリカン・インディーズ系統の監督だが、私は予備知識が全くなかった。まさにタイトルに惹かれた「ジャケ買い」状態(レンタルだけど)で本作を手にした。内容は1組のカップルと、その友人であるゲイの青年による、「途方に暮れる三人の夜」の描写のみだ。外的な事件は何も起こらない。3人の若者の心情が、セリフやちょっとした仕草や行動で構成されている。苦悩する若者の破壊的な行動による悲劇まっしぐらというありがちな青春映画ではない。若者の倦怠が、粒子の粗いモノクロ映像で、まるでプライベートビデオで盗み撮りしたように、静かに静かに展開していく。
「何もやる気が起きないんだ・・・」と語る3人の若者は、思いやりがあり、優しい。相手のことを考えて、自分が傷つく繊細な若者たちだ。行動する前に頭で考えてウジウジしてしまう。バイセクシャルな三角関係は、相手のことを思えば思うほど、何も出来ない切なさに満ちている。好きな音楽の入ったカセットテープに添えたスナップ写真、そのお返しに一輪のバラ。どちらも直接手渡さない控えめな愛の表現に胸がキュンとなる。
ここに登場する若者は、暴力とは無縁だし、ドラッグもやらない。眠れない夜を、タバコとコーヒーで過ごす。たまに酒を飲むと悪酔いしてしまう、比較的おとなしい若者だ。世の中は、ドラマにならない気の弱い若者がほとんどだ。しかし、彼らは悩んでいる。1人で夜を過ごせないほどに・・・。真夜中だろうと、どんなに疲れていようと、相手から電話が入ると飛んで行く思いやり。相手の辛い気持ちが痛いほど解るのに、直接的な行動を起こせないもどかしさ。3人の気持ちの一方通行が本当に切なくて切なくて、途方に暮れる。
ビデオアーティストであるアリーシャと、写真を趣味とする彼女の恋人クレイグ。そして2人の友人のアーティスト、ゲイのデイヴィッド。仕事をがんばりたいアリーシャ。自分の心に素直でいたい無邪気なクレイグ。その2人を温かく見守るデイヴィッド。三人三様の心模様。特に、クレイグに惚れてしまい、とまどうデイヴィッドに好感がもてる。大切な友人であるアリーシャを傷つけたくなくて、まんざらその気が無いわけではないクレイグに手を出せずにいるデイヴィッドのもどかしさ。面白いのが、いい雰囲気になりそうな男性2人に対して、アリーシャがやや自己中心的に描写されているのが興味深い。デイヴィッドにクレイグへの気持ちを告白された時(完全プラトニックだが)、「裏切られた!」と泣く彼女が、「でも2人とも失いたくない!」と言う姿が印象的だ。第三者から観れば、2人がどれほど彼女を大切に思っているかが判るので、彼女の対応がいささかワガママと思ってしまうのだが、行動する前に理屈をこねる男性と違って、女性特有の、ストレートな感情をぶつける様子が、愛らしいといえば愛らしい。
奇妙な三角関係に、一つの答えを見出した3人の、幸福そうに微笑みあう「朝」のラストシーンが清々しい。
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