ドイツ零年のレビュー・感想・評価
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しわ寄せの行き先Where the burden falls
終戦直後の瓦礫の山のベルリン。
セットじゃなく本物の廃墟。
ドキュメンタリーではなく
脚本のあるドラマなんだけど
見ていて、
その境目が分からなくなる。
日本の焼け野原とは違い、
壊れているけれど建物は残っている。
大人たちの余裕のなさは
あまりにもリアルで、
日常に信仰の入る余地がない。
大人たちは自分のことで手一杯で、
主人公である少年エドモンドは
子供として振る舞う事を許されない。
その事に大人も気がつかないし、
ましてやエドモンド本人も自覚が持てない。
実はエドモンドが一番皆のことを考えている
思っている皮肉。
そのしわ寄せが
少年エドモンドに押し寄せ、
引き返せなくなった時、
唐突に物語が終わる。
この事は、
この時の戦禍のベルリンの話だけではなく
戦争の惨禍の下で、
大規模災害の下で、
パンデミックの元で、
家庭の不和の下で、
大人たちが自分を見失った時に
容易に起こり得る。
観賞後、
鉛を飲み込んだような感覚に襲われた。
この映画をドイツ人ではなく、
イタリア人のロッセリーニ監督が撮ったことは
描いたものは違うけど、
ドイツ人のヴィム・ヴェンダース監督が
誰よりも【日本】を撮り切った
「PERFECT DAYS」を思い出して、
この「ドイツ零年」は
【ドイツ】に迫ったものであると
改めて思った。
Berlin, immediately after the end of the war—
a city reduced to mountains of rubble.
Not a set, but real ruins.
It isn’t a documentary;
it’s a scripted drama.
And yet, as you watch,
the boundary between the two becomes unclear.
Unlike Japan’s burned-out wastelands,
the buildings here are damaged,
but still standing.
The lack of emotional room among the adults
feels painfully real;
there is no space left in daily life
for faith to enter.
The adults are consumed by their own survival,
and the boy Edmond, the protagonist,
is never allowed to behave like a child.
The adults don’t notice this,
and Edmond himself cannot fully grasp it either.
In fact, the irony is that Edmond is the one
who thinks about everyone else the most.
That burden presses down on him,
and when he reaches a point of no return,
the story ends abruptly.
This is not only a story
about war-torn Berlin at that moment in history.
Under the devastation of war,
under large-scale disasters,
under a pandemic,
under domestic discord—
when adults lose sight of themselves,
this is something that can all too easily happen.
After the screening,
I was left with a sensation
as if I had swallowed lead.
That this film was made not by a German,
but by the Italian director Rossellini,
made me think—though what they depict is different—
of how the German director Wim Wenders
captured Japan more completely than anyone else
in Perfect Days.
And it made me realize once again
that Germany Year Zero truly confronts
Germany itself.
歴史的悲劇
救いなさ横綱
ベルリンを舞台に少年の悲劇を描いたネオレアリズモの厳しさ
イタリアン・ネオレアリズモの先駆作「無防備都市」と「戦火のかなた」に続くロベルト・ロッセリーニ監督の第二次世界大戦後の荒廃した社会を激写した衝撃作。公開された1948年には、デ・シーカ監督の「自転車泥棒」とヴィスコンティ監督の「揺れる大地」があります。しかし、この作品の一番の特徴は、イタリア本国を離れて、同じ敗戦国でもレジスタンス運動が無かったドイツのベルリンを舞台にした、ある少年の悲劇を冷徹に記録していることです。敗戦のショックと困窮を極める一般の人々の生活描写には、敗戦7年後の本邦公開でも、切実な共感を得たのではないかと想像できます。
まず戦後世代から観て興味深いのは、1947年に撮影された廃墟化したベルリンの街の様子です。市電の交通機関は機能しているようでも、爆撃や市街戦で破壊された建物の損傷は酷いままで、尚且つその中で生活していることに驚きました。戦後2年のこの実状は、ベルリン陥落の悲惨さを伝えると共に、12歳の主人公エドムント・ケーラーが学校に通わず就労許可証なしでお金を稼がなくてはならない境遇にいることに居た堪れなく、観ていてとても辛い鑑賞でした。エドムント少年には、家にも外にも居場所がありません。病弱の父は病床に伏したままで、僅かな年金とエドムントのアルバイトが家族の収入源。ナチ党員だった兄は最後まで戦った誇りはあるものの、収容所送りを怖がり家に隠れて職に就かず、姉は夜に出掛けたキャバレーでアメリカ人相手の接待でタバコを貰う程度。配給があるとはいえ、家族4人がお腹を満たすことは出来ません。
物語は、元担任だった小学校教師エニングと再会して展開します。同時に偽石鹸で詐欺行為をはたらく不良少年らのグループと接触するも、仲間には加われない。家族が住むアパートの家主は冷淡で思いやりが無く、優しく接してくれる人がエニングひとりの状況がエドムント少年を追い詰めていきます。アメリカとソビエトに二分割された占領下、教職者追放の思想統制や闇取引の社会を背景に、まだ価値観の生育が成されない少年の行動の顛末を描いて、ロッセリーニ監督はイデオロギーの偏向を問題視しています。作者の想いがストレートに伝わる悲劇でした。映画の冒頭で、道徳とキリスト教の慈愛が人間生活で最も大切であると述べています。
演出で印象に残るのは、ナチ党員の元教師エニングの気持ち悪さです。偏向した思想に凝り固まった人物像には、どこかペドフィリアの嗜好が隠れている様に描かれていました。優しそうに見えて、冷たさもある謎めいた人物です。もう一つは、ラストのひとり彷徨うエドムント少年を追うカメラワークが凄いですね。ロッセリーニ監督の弟レンツォ・ロッセリーニの音楽とこの虚無感に包まれた映像が、徐々に追い込まれていくエドムント少年の心理を切実に表現しています。空き地でサッカーに興じる子供たちの輪に入ろうとして入れないシーン。ここで仲間に加えてもらえて、子供たち同士笑いながら楽しめたなら、エドムント少年のその後は変わったかも知れません。
ベルリンの暗く虚しい街並みを厳しく捉えた撮影監督ロベール・ジュイヤール(ロバート・ジュリアード)は、他にルネ・クレマン監督の「禁じられた遊び」と「居酒屋」、クルーゾー監督の「恐怖の報酬」、そしてルネ・クレールやロベール・ブレッソンの作品でも活躍しています。
ロッセリーニ監督の演出とジュイヤールの撮影が心に遺る、あまりにも悲しい少年の映画でした。
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