ドアをノックするのは誰?のレビュー・感想・評価
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最新作とも繋がる一貫したスコセッシの視点。
現在80歳のスコセッシが24歳のときに発表した長編デビュー作。ハーヴェイ・カイテルが演じている主人公はスコセッシの自画像とも言われていて、スコセッシが育ったリトルイタリー界隈のチンピラまがいの若者なのだが、気になる女性に声をかけながらジョン・フォード監督の『捜索者』についてのウンチクを語りまくってしまったり、自分を自嘲的に描いて面白がっているようにも見える。
自主映画のデビュー作なので作りは粗いのだが、地味になりがちな平凡な若者たちの青春物語に、いろんなスタイルを取り入れようとする貪欲さはさすがスコセッシで、才気があふれているのが伝わってくる。
そして映画の終盤で、主人公が恋人に対してどうしようもない失言をしてしまう。旧来のマチズモにとらわれた男が愚かさをさらけ出すような場面であり、考えたらコレ、最新作『キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン』の主人公の最後のしでかしと非常によく似ている。相手のことを思っているというポーズだが、結局は自分を善人だと思いたいがための去勢を捨てられず、相手も自分も裏切ってしまう。
最近になって見直したのだが、半世紀以上を経てもなおスコセッシは人間の弱さを同じ目線で描いているのだなあと、デビュー作と最新作が一気に繋がる貴重な体験でした。
"君を許すよ"
全編を通してオールディーズが流れる印象の中、J.R.の妄想か、蔑む女性たちを弄ぶような場面でThe Doorsの「The End」が唐突にサイケな世界観へ突入する違和感が斬新で、トリップした『イージー・ライダー』の場面が思い浮かぶ感覚ヲ、本作の兄弟みたいな作品でもある『ミーン・ストリート』より音楽の使い方が巧い、と個人的に。
仲間と過ごす時間やガールフレンドとの時間が交差するような映像描写、基本的には駄話の連続が男連中と繰り返される場面、ゴダールの特に『勝手にしやがれ』からの影響は?ジャームッシュの初期作品は本作に影響されている気も、全体的な映像のLookがブルース・ウェーバーの写真集みたいな雰囲気で、スコセッシのセンスがダダ漏れ。
男としてJ.R.に全く共感ができない終盤、女性に対する偏見はカトリック教徒やらキリスト云々は関係ないように、嫉妬で支配される心の狭い偏屈な男だったのかスコセッシは、あの時代や今現在でも古臭い男性像でしかない単なる自己中心的なJ.R.を許さなかったガールフレンドの選択は正しい。
スコセッシらしさが一杯です
スコセッシ監督の初監督作です
もともとはニューヨーク大学映画学部の卒業製作の作品
それを卒業後も少しずつ追加撮影して、タイトルも3度変わって、このタイトルで1967年に公開されたそうです
当時のヒット曲を劇中に積極的に取り入れたり、なんのことのない会話シーンも多方向からのショットで飽きさせないものにしてあるなど、スコセッシらしさは濃厚にすでにもうあります
主演のハーヴェイ・カイテルも本作がデビュー
俳優募集の新聞広告で応募してきたそうです
なのに凄い演技!
彼のもともとの演技力なのか、スコセッシ監督の演出力なのか、その両方なのか
とにかく目を見張るものです
内容はともかく、期待の新星現る!となるのが納得の作品です
劇中、ドアースのThe Endの曲に挟まれて流れるshotgunという曲
英語でできちゃった結婚のことを、Shotgun weddingというそうです
彼女の親父がショットガンを突きつけて結婚を強要するということがその由来です
つまり、あの曲の流れはそんなことになったら大変だという意味のシーンなわけです
もちろんエロシーンは妄想です
ドアをノックするのは誰?
誰のドア?
彼女の部屋のドア?、教会の告戒室のドア?
それとも自らのカトリックの教えにこり固まった考え方をこじ開けようとする欲望?
それって何者?
「最後の誘惑」に直線的につながっていくテーマです
スコセッシらしさが一杯です
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