劇場公開日 1979年9月15日

「無音のエンドロールの意味」チャイナ・シンドローム あき240さんの映画レビュー(感想・評価)

5.0無音のエンドロールの意味

2021年4月22日
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鑑賞方法:DVD/BD

スリーマイル島原発事故の3ヵ月前の公開、事故を予言したと有名
原子力発電所の事故隠しの内幕を描いています

利益と安全のバランス
100%の安全なんてものは世の中に存在しないことは少し考えれば当たり前のこと
経済的な合理性の範囲内で十分な安全を図ることで文明社会は成り立っています
鉄道だって飛行機だってガスコンロだって同じです
しかし原発事故は一旦起こった時の被害の甚大さと後世にまで数十年以上もしかしたら数万年に及ぶ取り返しのつかない事態を起こすところが違うのです
そこが普通の利益と安全のバランスと違うところ
そんなことは百も承知のこと
しかし事故はスリーマイル島で起き、チェルノブイリで起き、福島で起きました
大事には至らなかった小さな事故ならそれこそ無数に世界中の原発で起こってきたはず
かといって原子力を無くしてしまえというのは、もはや私たちは後戻り出来ないところに来てしまっているのも現実なのです
電気なしには暮らせませんし、いまさら二酸化炭素を盛大に排出する火力発電所に頼れません
再生可能エネルギーは所詮付け足しに過ぎないことも現実をみればあきらかなこと

私たちは知恵の実を食べてしまったアダムとイブなのです
楽園を追放されてしまったのです
イチヂクの葉で陰部を隠すように、原子力事故発生の恐怖を意識の下に押し込んで隠してしまうしかないのです

本作は同時にテレビ局の内幕を描いてもいました
マスメディアは正義の味方?
そうではない
ジャーナリストは正義の味方?
そうではない
個人が正義を貫いたかどうかなのです
フリーのカメラマン、ステップアップを目指す女性レポーターがそうであったからです

福島の悲劇
マスメディアは電力会社や政府を批判はすれど、自らの責任には自己批判をしていたのでしょうか?
マスメディアの責任の有無を検証したのでしょうか?
電力会社からの大量の広告収入に麻痺させられてきたことはなかったのでしょうか?

マスメディア自身も電力会社と同じく、利益と公衆の安全のバランスの上に成り立っていたのです
マスメディアが正義だとか、ジャーナリストが正義だなんて嘘です
あの二人が居なければマスメディア自身が事故報道を封印して、本当の原子力災害が起こっていたはずなのです

個人が正義を貫けるか?
個人の利害、所属する組織の利害を超えて、正義を貫ける信念を持っているかどうかです

それだけなのです
まるで本作で描かれたことがこの日本でも起こっていたとは言えなくはないのでしょうか?

その正義を貫くべき時が、自分にもあなたにも訪れることがあるかも知れません
その勇気を持てるかどうかなのです
家庭、将来、安定
そんなものを全て脳裏から振り捨てて、正義を貫けることができるのか?
それが本作が私たちに問われていたことなのです

でも個人が正義を貫いたとしても、果たして電力会社やマスメディアという巨大組織に通じるものなのか?

劇中の公聴会のシーンでいくら意見をしても聞く耳を持たない電力会社に反対派の人々は口を縛って無言のパフォーマンスをしていました

本作のエンドロールもまた無音でした
無言の抗議だったのです
個人の行動は無意味なのではない
やれることはあるのだ
そういうメッセージだったのです

初老の原子炉管制室の主任を演じたジャック・レモン
流石の名演技でした
コメディ風味は封印してシリアスに徹しています
しかし目の色、表情にはシリアス一辺倒だけでない様々な感情の動きが伝わる物凄いものでした
アカデミー賞初め多くの映画賞を獲得したのは当然です

あき240