父の祈りをのレビュー・感想・評価
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北アイルランドとジャマイカは英連邦♥
『in the Name of the Father』とは『主の名に於いて』だから『神に誓って』に近いんじやないかなぁ?
途中ジャマイカ人の収監者が登場するが、(アイルランド自由国は植民地)北アイルランドとジャマイカには共通点がある。どちらも大英帝国として、英連邦に属している。
しかし、この映画では、アイルランド人のナショナリズムをどうしたいのか?それが理解が出来ない。勿論、現在のIRAとイングランドと北アイルランドの関係が分からなくなっている。
そして、最大の謎が、大英帝国なのに、この映画も、この類の映画も、イングランド国王の事は語られない。
そして、
大英帝国なんだから、皇帝だと思う。つまり、
キングじゃなくてエンペラーだと思う。
そして、正にそれがアイルランドの独立闘争と大きく関わると
“僕“は解釈している。
イギリスをUKと言うがユナイテッド・キングダムつまり、“連合“王国なのだ。連邦内にそれぞれ国王(統治者)がいる形になっている。形の上でイングランド国王にその国の統帥権がない。従って、全ての英連邦の統治者ではない。ゆえにキングなのだ。
(カナダ、オーストリア、ニュージーランドも英連邦。つまり、ある意味に於いて、イギリス。つまり、英国は島国だが、日本とは違う。それを日本人は知らない人が多い)
さて。
では。“天皇陛下“はなんとなんと。
唖然とする。
父と息子
70年代、北アイルランドのIRAとイングランドの抗争の中で実際に起こった冤罪事件を基にした映画。ケネス・ブラナーによる映画「ベルファスト」を思い出す。冤罪で30年の服役を言い渡され結果15年も刑務所に入れられた若者たち、その中の一人ジェリーは自分の父と叔母にまで冤罪が及んだ。検察側は彼らが全くの無実だと知っていてその証拠書類は弁護側に見せてはならないと隠蔽もしていた。
「刑務所の中にいても頭の中は自由」だから、毎日妻と頭の中で散歩しているんだと、歩く道の名を一つ一つ挙げるジェリーの父ジュゼッペ(アイルランド人なのになぜイタリア人の名前?その楽しい理由は映画の中でわかる)。家族を愛し息子を信じ誰も憎まない穏やかな、敬虔なカトリック信者の父親。そんな父を馬鹿にしながら子どもの時の父との思い出をよく覚えていて、でもまともな仕事につかず人生舐めてるようなジェリー。父親のこと好きなのに疎ましく煙たがっている。血の気が多く我慢強くない。誰もが思い当たる若い時の不貞腐れと怒りでいっぱいで、優しい父に素直になれない。その若者ジェリーをダニエル・デイ=ルイスが素晴らしく演じていた。だんだんに弱る父を看護しながら、挫けず再審を求め市民団体への手紙を書き続ける父の手助けをするようになる。父が死んだ。父の死を悼んで刑務所仲間が紙に火をつけて窓から外へ落とす。幾つも何枚も。夜の中のその風景は悲しく強く美しかった。
刑務所での映画鑑賞会、耳に親しんだあの物悲しい追憶のメロディーがしばらく流れる。「ゴッド・ファーザー」だ。ようやく映像が映る。マイケル(パチーノ)と父のコレオーネ(マーロン・ブランド)が庭で話すシーンだ。スーツ姿の息子とリタイアした普段着の父が公私含めた話をする。家族とはうまくいっているか?自分が死んだらバルジーニとお前を会わせる提案をしてくる者が来るだろう、そいつが裏切り者だと息子に伝える。ここでもテーマは「父と息子」、監督のセンスいいと思った。
エマ・トンプソン演じる若き弁護士は誠実で賢く法を信じる真っ当な人間だ。ジュゼッペは息子と違って人を見る目があるから彼女と共に戦うことにした(ところで日本の法曹界はどうなっているのだ?)ジュゼッペを演じたのはピート・ポスルスウェイト、「ユージュアル・サスペクツ」のコバヤシ役。一度見たら忘れられない面構えのいい俳優。そして「ユージュアル・サスペクツ」の重要出演者の一人、ガブリエル・バーンがこの映画「父の祈りを」のプロデューサーだ。バーンがアイルランド人であることを思う。
おまけ
原題 "In the Name of the Father" は自分が知っている「主の祈り」にはない。カトリックのお祈りの言葉なのかな?
タイトル考えた方がよい
イギリスの冤罪事件の実話でした。イギリス人には有名な事件だろうから原題でいいのかもしれないけど、馴染みの薄い日本人向けにこのタイトルは意味をなさない。
ルメット選手が取り上げそうな社会派のリアルガチです。俳優も含めてイギリス映画特有の重厚さにあふれた作品です。ただ、話のテンポが少し緩いかな?
イギリス独特の裁判風景は日本人には少し戸惑います。
隠れた名作
100本ほど映画レビューを投稿し、鑑賞だけであればそれ以上見てきているのだがこの作品ほどレビュー数と評価が比例しないのは初めてかもしれない。
レビューが少なくとも、決して評価が高くなくとも心を打つ作品はあるのである。
たった1%の確率でこの作品に出会えた偶然に感謝する。
ショーシャンクやグリーンマイルが好きな人には是非見ていただきたい。
監房の中の和解
父と息子といえども、親子が同じ監房に収監されることなどあるのだろうか?と疑問に感じながら見ていたのだが、やはりこれはドラマを盛り上げるための脚色だそうだ。
監督と脚本家はこの作品を単に冤罪をはらすために闘った親子の物語としてだけでなく、同時に一組の親子の確執と和解の物語として描きたかったのだろう。
しかし、この作品にはいろいろ考えさせられる。まずは、この時代(ギルフォードのパブ爆破事件が起きたのは1974年)イギリスで制定されたテロ防止法だ。
容疑なく7日間勾留出来るというこの悪法によって勾留された四人は暴力や恫喝紛いの取り調べによってやってもいない爆破事件を自供してしまう。しかし、このテロ防止法、何処かで聞いたことがある。9.11以降アメリカ制定された法律と内容の差こそあれ、どちらもテロリズムによって人々に植え付けられた恐怖が制定させたと言っていい。
しかしこの危険な悪法は彼等四人のような犠牲者を作り出す(しかも彼等は氷山の一角だろう)。テロリズムによる恐怖は新たな恐怖を生んでしまうのだ。
事件によるショックが大きければ大きいほど、犠牲が大きければ大きいほど、大衆による司法当局に対するプレッシャーは大きくなる。そのプレッシャーがまた冤罪を招く元になる。その証拠にイギリスの司法当局はアリバイの証言を握り潰し、更に真犯人の証言さえ無視された。
“Do the right thing.”
言うのは簡単だが、まずは何が正しいことなのか?それをよく考える必要がある。
ひとりひとりが考えること、それが正しい行いへと導くのだと思う。
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