「映像は奇妙奇天烈なれど、中身は単純。」地球に落ちて来た男 さぽしゃさんの映画レビュー(感想・評価)
映像は奇妙奇天烈なれど、中身は単純。
2016年1月10日にこの世を去った、デビット・ボウイの一周忌上映で観てまいりました。
私の中でデビット・ボウイと言えば、30代後半のヒット曲"Let's Dance(1983)"とか "China Girl(1983)" Modern Love(1983)"そしてやはり"戦場のメリークリスマス(1983)" の人。
もうちょい付け加えれば、"ラビリンス魔王の迷宮(1986)" の人です。
本作はその前の、美しさ全開のボウイ様の映画です。
ボウイ様、初主演映画ですね。
あらすじですが、多分こうだろうというのを書きます。ホン・サンス監督「自由が丘で」以上に、時系列がバラバラなのです。※あ、多分、ネタバレしてます。
トーマス(デビット・ボウイ)は、干からびつつある自分の星から、地球へ水を求めてやってきた宇宙人です。時々、馬糞でできたみたいな宇宙船と、嫁?子供2人?の回想が差し込まれるので、きっと家族を故郷に置いて来たのだと思われます。
水を求めに来たのはいいけど、宇宙船が壊れた?かなんかで家に帰れない。
でも賢いので、宇宙船を作る技術を教授とか弁護士と特許申請し、巨万の富を得る。
お金は手に入ったけど、孤独。
その隙間に入り込むように、良く言えば朗らかな、悪く言えば愚鈍なメリー・ルー(キャンディ・クラーク)と出逢い、酒とセックスを覚え、いつしか目的すらあやふやに。
でも、たまに脳裏に浮かぶ、あの馬糞船。
予知能力なのか、そう思えば気が楽なのか、生まれた星は既に枯渇して家族は死に絶えている情景が浮かぶ。
ますます自堕落になって、酒におぼれる。
そうこうしてる内に、自分が宇宙人ってのがばれたり、弁護士なんかにだまされたり、監禁されたり、年取ったメリー・ルーと再会したり、逃げ出したり、最終的に普通の地球人になる。
多分、こうだと思います。
これを、現在、過去、激しく行ったり来たりしながら、時折1970年代風のサイケデリックな様相と、男女が飛び跳ねる、絡む、前衛的なシーンが差し込まれ、なんとなく、それ風な難解な映像となっています。
なんじゃこりゃ!と思ってしまいますが、監督がニコラス・ローグなので。
映像はそうであっても、内容は単純に考えて差し支えないと判断します(あ、勝手にすみません)。
ふと頭に浮かぶのは。
スティングの"Englishman In New York"のこのフレーズです。
曲の内容はイギリス人がアメリカに来て感じる違和感、孤独、でしょうか。
I'm An Ailen I'm A Legal Alien
I'm An Englishman In New York
Be yourself no matter what they say
誰がなんと言おうと自分らしくあれ。
このイギリス人=スティングであり、同性愛者であることをカミングアウトしたイギリス人作家:クエンティン・クリスプに向けた曲なんですよね。
本作はアメリカに降り立った宇宙人:ボウイ様が、自分を見失い、酒と女におぼれ、故郷を思いつつも、そこにはもう戻れない自分を実感し、でも、忘れたはずの故郷を思い出し、ふと寂しくなり、空しくなり、大して好きでもない純朴な女と暮らし(おバカな女に癒やされる感じ、なんか分かります)、そんな孤独を誤魔化し、でも自分に嘘を突き通すことができず、別れはやってくる。
受け入れる孤独。
そして、都会の喧噪の中に自分の居場所を見付け、ひっそりと生きていく決心をする。
そんな宇宙人の姿は、田舎から出て来て都会に暮らす多くの人達と重なりはしないか?
なので、奇妙奇天烈な映画ではありますが、ノスタルジックが止まらなくなる瞬間があります。
だって、この宇宙人のように、多くの人が水=故郷に錦てきな夢を抱いて、都会に降り立つわけですよ。でも生きるのに必死で、忘れちゃうんですよねー。
そんな哀愁漂う宇宙人役、ボウイ様にぴったりでした。
下半身露出して踊るボウイ様ですが、こんなに無味無臭な感じの男性は他にいないと思います。
あ、因みに。
デビット・ボウイ
クリストファー・ウォーケン
ティルダ・スウィントン
人間じゃない感ハンパない。ベスト3です。