「ランボーの魅力の虜が理解できる」太陽と月に背いて Socialjusticeさんの映画レビュー(感想・評価)
ランボーの魅力の虜が理解できる
エディ&ザ・クルーザーズ(1983年製作の映画)EDDIE AND THE CRUISERSの映画で主人公のフランキーがランボーの『地獄の季節』を読んでいた。それが、気になって、ランボーの伝記をYoutubeで何本か見た。日本語では中原中也の一部訳を読んだが、難しいせいか、かえって混乱した。散文詩である、『地獄の季節』はランボーの譲らない性格がよく出ていて、『爆発』という言葉で形容できる作品だ。芸術である詩歌の解釈は難解なので、自分の好きに解釈している。 19世紀の現状を少
し頭に入れないと、言葉遣いに抵抗があったりするだろう。それに、伝記や映画を見たあと、『地獄の季節a Seasoon in Hell』 のランボーの使う言葉の関係が理解しやすくなる。情景が目に浮かぶようになるが、多感で感受性に富んでいて、自分の限界を知らないような暴力的な外れた描写ができることに羨ましいいと感じる。
中原中也や小林秀雄はフランス語から日本語訳にしたとは思うが、ここが重要だと思った。翻訳は難しいのでフランス語で書かれた意味を失っては困るから。
この映画は1871年、17歳のランボーから Rimbaud (Leonardo DiCaprio)詩が認めてある手紙を貰う詩人ポールヴェルレーヌの家に、ランボーが招待されるシーンから始まる。 ポールはランボーの革命的な天才で、屈託がなく、気に障るような不快な態度に、不思議な魅力を感じて、虜になる。この態度がポールの作家活動に新鮮な息吹を与える。ポールヴェルレーヌVerlaineはランボーの才能の中に自分の持っていないものをみいだしているようで、ランボーの話す一言一言が詩になっているような感覚で耽美にふける。ポールヴェルレーヌはランボーの操る言葉を自慢そうであり、羨ましい目つきでいつも見つめているように見える。そのシーンが、美しく感じられる。しかし、ポールの詩の才能や名声にもかかわらず、ランボーの魅力に取り憑かれ、自分を失い始めていく。妻や子供より、ランボーの自分の持っていない才能に惹かれる。ランボーの奇行にもかかわらず。 ランボー曰く、この二人はお互いを必要としていると。 恐ろしい魅力の虜になったポール。 それはポールをアル中にもしていく。
シノニムズ(2019年製作の映画)Synonymes/Synonymsという映画で似たようなシーンがあった。セーヌ川の欄干に寄り添いながら主役、 Yoav(Tom Mercier)が辞書で学んだ言葉、形容詞を吐き新天地パリを修飾し表現するとき、作家で行き詰まっているエミールはYoavの表現力に羨望を感じている。その上、憧れも。この二人の関係はヴェルレーヌとランボーの関係と同じように見える。
ランボーは実家 Charlevilleに戻り、Une Saison en Enfer ("A Season in Hell"地獄の季節)を書き終える。
この映画では最後のシーンで、ランボーの妹がポールの元を訪れる。妹に、『お兄さんは天才だ』と。
アブサンAbsintheを二人分注文して、ポールはランボーを懐かしんでいるところで終わる。
余禄:Absintheというコバルトの綺麗に見えるアルコールは中毒になりやすいそうだ。これをランボーとポールはよく飲んでいた。