太陽が知っているのレビュー・感想・評価
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"ある事件" が起こるまでが映画の前半。 それまでの、のんびりした...
"ある事件" が起こるまでが映画の前半。
それまでの、のんびりした前半をのんびりと楽しむ映画。「初見かなぁ」と思いながら観たが、植物で背中をペシペシするシーンで「かなり昔に観た」と思い出した。男女4人の微妙な関係を、暑く美しい別荘で淡々と見せる。
映画の後半は、決して "派手" で無い方向へ、、、、
原作小説がそうなのだろう。
【ムッチャ地味な”太陽がいっぱい”カスタマイズバージョン。ラスト別荘の窓から犯罪者二人が、沈んだ顔を寄せ合って外を見るシーンもその後の暗澹たる未来を暗示するかの如き作品である。】
■南フランスの別荘でバカンスを楽しんでいたジャン・ポール(アラン・ドロン)とマリアンヌ(ロミー・シュナイダー)。
だが、マリアンヌが招待したハリー(モーリス・ロネ)と娘のペネロープ(ジェーン・バーキン)が超高級スポーツカーで現れ、男女4人の雰囲気は表面上は和気藹々だが、妖しい雰囲気に包まれる。
ハリーはマリアンヌの元恋人で、ジャン・ポールは富豪のハリーに劣等感を抱いており、その美しい娘を複雑な表情で観ている。
ペネロープも娘と紹介されるが、何故か笑顔を見せない。
◆感想<Caution!内容に触れています。>
・パトリシア・ハイスミスの「The Talented Mr.Ripley」を「太陽がいっぱい」と邦題を付けた人達のセンスが際立っており、且つ映画自体も若きアラン・ドロンの魅力に溢れており、彼が演じたリプリーが目的を果たし、”太陽が一杯だ・・。”と陽光降り注ぐ中、呟くシーンとニーノ・ロータの名劇伴により、「太陽がいっぱい」は大ヒットしたそうである。
・今作は、上記作品の地味バージョンに見えた作品である。アラン・ドロンは上記作品から8年が過ぎ、ややくたびれているし、設定も似ている。
途中までは冗長感もあるが、ジャン・ポールが酔ったハリーに対し、鬱屈した想いをプールに叩き落とすシーンから、ドロドロ感が出て来て良いのである。
プールから這い上がろうとするハリーを何度も執拗にプールに落とし、果ては頭を掴んで水中に沈め溺死させるシーンは、ナカナカである。
・ペネロープを演じた若きジェーン・バーキンのアンニュイな雰囲気も良く、彼女は父が”事故死”したのに、涙も見せない。本当に娘なのだろうか・・。
<そして、レヴェック刑事(ポール・クローシェ)が事故死を怪しむ中、マリアンヌはジャン・ポールの犯罪と見抜き、彼も否定しないが、マリアンヌはその事を警察には告げずに巴里に帰る準備をするのである。
但し、ジャン・ポールと一緒にではなく、自分は列車で帰ると言って・・。
ラスト、二人が別荘の窓から沈んだ顔を寄せ合って外を見るシーンも、二人のその後の暗澹たる未来を暗示するかの如き作品である。>
二番煎じ 初めて見た作品かな、覚えて無い
内容は殆どなし。ドロンととロミーシュナイダー、若き頃のジェーンバーキン出演。
太陽がいっぱいを似合わす脚本も一部あり、内容ないながらドロンはいつも輝いている。
確か二人は付き合ってたんだよね。それと娘役バーキンでなくても誰でもよかった役。
男っぷりが際立ってるアランドロン
『胸騒ぎのシチリア』観てから…
この二人の男女のすれ違いを太陽は最初のシーンから知っていたのだと考えると良くできた邦題だと感心してしまうのです
1969年公開
アラン・ドロンは34歳
ロミー・シュナイダーは31歳
舞台は南仏コートダジュールのサントロペ
カンヌから西に車で1時間強のところ
昔から芸術家や芸能人、大金持ちに人気のある保養地です
地中海を望む街外れの高台にある豪勢な別荘
そこにある太陽の降り注ぐ美しいプールが大きな意味を持っています
とても仲の良い男女
夫婦のように見えますが、どうも違うようです
若くしてどうしてこんな豪華な別荘に住めるのか?
その理由は次第に明らかになります
この別荘は海外赴任中の友人から借りているだけなのです
いつまでいる?そのあてもないのです
大変に仲睦まじいように見える男女でも、どこかにすれ違いがあるのが冒頭のシーンからどんどん強まっていくのが感じられるのです
それでも愛しあっている
それだからこそ互いの心を読み合い疲れてしまうのです
疑心は疑心を生んで、遂には破局を迎えてしまうのです
こんな辛い思いをした経験者も多いはず
たまたま近くに来たと、ロミー・シュナイダーが演じるマリアンヌに、米国人の有名ジャズマンのハリーが電話を掛けて来てから物語が展開していきます
ハリーは二人の共通の若い時からの親友です
終盤の刑事の捜査は付け足しに過ぎません
ミステリーが目的の映画ではありません
ラストシーンでマリアンヌは殺されることを受け入れていたのです
それが彼女の愛の証だったのです
愛している、結婚しましょう
そう素直に口にだしていれば、殺人事件も起こらなかったし、疲れ果てることも愛が壊れてしまうこともなかったはずなのに
男も女も30歳代にもなると、大人になってしまい昔のように無邪気に愛や結婚に突っ走れなくなってしまう
それがこんな悲惨な結末になってしまうのです
原題は「プール」
邦題は「太陽が知っている」
もちろん「太陽がいっぱい」に右に習えの邦題です
でも真夜中の殺人なのですから、太陽が知っている筈はないのです
それでもこの二人の男女のすれ違いを太陽は最初のシーンから知っていたのだと考えると良くできた邦題だと感心してしまうのです
天知る、地知る、太陽が知る
出世作『太陽がいっぱい』にちなんで、その後の作品の邦題にやたらと太陽がつく羽目になったアラン・ドロンのサスペンスですが、出来映えは最後に雲間から太陽が顔を覗かせる程度でした。ドロンと彼女のロミー・シュナイダー、ドロンの旧友のモーリス・ロネとその娘ジェーン・バーキンの四人の四角関係が徐々に破綻していくのを1時間半かけて展開する鈍重ぶりには参ります。それでも何とか、ロミー・シュナイダーの魅力で場をつなぎながら、最後の30分でストーリーが急展開して面白くなってきます。役者では、ドロンの深刻な演技が重く感じるけど、この鬱屈したダークな所が持ち味なんでしょうね。ロミーは、知的さと艶やかさのバランスが取れた演技でした。モーリス・ロネは、中年のイヤーな感じがうまかったです。
永すぎたヴァカンス
独特なゆっくりと静かに変わっていく空気感
総合:70点
ストーリー: 70
キャスト: 75
演出: 70
ビジュアル: 70
音楽: 65
夏の休暇を邪魔も無く楽しむ二人に、さらに二人が加わる。夏の乾いた地中海沿いのプールのついた豪邸で、物語は静かにゆっくりと進行していく。登場人物は実質四人で、場所はこの家から殆ど動くこともない。その四人の関係がゆっくりとした時間の経過とともに微妙に動いていくので、それを機敏に察していかなければならない。はっきりとしたことを科白で言うわけでもなく、はっきりとした行動に出るわけでもなく、動きが少ないためにこれには少しの忍耐が必要なのだが、退屈と言い切るほど暇を持て余しはしない。最初はのんびりとした夏の休暇だったはずなのに、四人になってから変わっていく人々の感情と緊張感と愛憎があって、そのような空気を読んで感じとることが常に見ていて要求される。普通の犯罪物でもなく人間模様を描く作品ではなく、そんなちょっと一味違う独特な作品だった。
妬みがあって劣等感があって愛憎があって、それだから犯罪に走るという意味では「太陽がいっぱい」と似ているところもある。しかも殺されるのは「太陽がいっぱい」でもアラン・ドロンに殺されたのモーリス・ロネで、「太陽がいっぱい」を意識している部分はあるのだろうが、もっとゆっくりとしてこじんまりとしている。全てが終わった後、それは脆く崩れる儚い白昼夢のよう。 人によっては退屈に感じたり感性に合わない作品かもしれない。
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