第三の男のレビュー・感想・評価
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何故彼はウィーンに呼ばれたのか
総合70点 ( ストーリー:60点|キャスト:70点|演出:70点|ビジュアル:65点|音楽:70点 )
何故ホリー・マーチンスは当時としては現在とは比較にならないほど相当に高価であった航空券までわざわざ与えられて、アメリカからウィーンにまでやってきたのだろう。逆にハリー・ライムはホリーに何をさせたかったのだろう。
そこまでして呼んだのならば何かの意思があったはずだが、結局2人が会うのは随分日数がたってからで、しかもそれだけひっぱっておいてその際に言ったのは普通に「仲間にならないか」だけ。その仕事には売れない作家が必要なのか? 呼んだ目的も会わない目的もそれにどんな理由があったのかはわからずすっきりしない。ホリーが到着した直前に呼んだホリー本人が殺される事件があるなんてのも偶然とは思えないが、その背景も謎のまま残される。
そのあたりのことがわからないと、謎解き作品としては出鱈目すぎる。結局手間暇かけて呼びつけたホリーをほったらかしにすることで彼は親友の死んだ謎の捜査に着手、それでハリーは自らの首を絞めることになった。作品の中で犯罪捜査をする役が必要でそれがホリーになるという、脚本上の都合だけで呼ばれただけじゃないのかと疑ってしまう。最初はどんな謎があるのかと盛り上げておいてそれなりに興味をかきたてられたが、観終わってみるとほったらかしにされて納得出来ない。これでは世間で言われているような名作とは自分の中では認められない。
後半はホリーの生存と悪の正体がわかり、それに対してどうするのかという人間模様を描く話になる。こちらの部分のほうが楽しめたが、ホリーがあまり出てこないし彼の人間性をわからせる演出が不足している。アンナを何の躊躇も無く捨てた悪人の割にホリーは何故最後に姿を現したのかも不思議。とりあえずハリーとアンナの行動と関係の描き方に面白みはあった。
ホリーを演じたオーソン・ウェルズはそもそも作品にあまり出てこないこともあってたいした存在感はなく、物語の展開はハリーとアンナの2人に頼る。そんな物語の展開に違和感を感じた初めての視聴をして、それから少なくとも何年も経過してから撮影の裏話を知ったのだが、どこで遊んでいたのかウェルズは撮影開始日になっても撮影現場に長い間さっぱりやってこなかったために、仕方なく彼無しで撮影が進められたらしい。もしかするとそれが影響して脚本が書き換えられて出演場面が大幅に削られたのかと思う。
それから母国に戻る列車に乗るとき、アンナの飼っていた子猫がどうなったのかも気になった。ホリーに捨てられたアンナ同様に、猫もアンナに捨てられたのか。この猫もホリーの生存を知らせるためだけに登場しただけかな。
有名な音楽は、犯罪の行われる戦後の荒廃したオーストリアの首都というより、地中海の保養地が似合うようなのんびりとしたもの。だから恵比寿ビールの広告にだって使っている。嫌いではないが、これが本当にこの作品に合っているのかはわからない。
フィルム・ノワールとの出会い
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まず「フィルム・ノワール」って何?
フィルム・ノワール (film noir) は、虚無的・悲観的・退廃的な指向性を持つ犯罪映画を指した総称である。
狭義には、1940年代前半から1950年代後期にかけて、主にアメリカで製作された犯罪映画を指す。
(Wikipediaより引用)
代表作の中でこれまでに観たことある作品はなかった。日本映画でも、黒澤明監督などの作品でこのジャンルに入るものがあるとか。
虚無的・悲観的・退廃的な指向性か・・・
警察も知り合いも口を揃えて「ハリーは死んだ」と言うが、なんか辻褄が合わない。怪しい。ホリーが独自に調査していくと、予想外の結末が待っていた。というストーリー。
内容はそこまで面白いってわけじゃなかったけど、舞台が終戦直後のウィーンだったり、60年以上前のモノクロ映画だったりで、異世界の雰囲気を楽しめた。いつもと違う世界にいける気がするから、映画とか美術館とかって好き。
あと軽やかでコミカルな音楽も独特で良かった。
ハリーの恋人である踊り子アンナ役のアリダ・ヴァリさん、めちゃくちゃ美人で神々しい。そんなアンナに叶わぬ恋をしてみたり、素人の単独調査なのに警察の協力を仰いでハリーの墓を掘り起こしてみたり、ホリーは一生懸命だけど滑稽なキャラ。
時代背景からして、ハリーは実はどっかの国のスパイで、終戦と共に祖国に帰るなり姿をくらますなりしたのかなって推測していましたが。違いました。全然推理が当たらない人ですわたし。でもそんなスパイ系の壮大なストーリーを勝手に思い浮かべながら観ていたからか、ハリーの本性や失踪の動機が随分しょぼい気がした。ラストだって、親友とはいえホリーが絶対に裏切らない保証はないのに自分からのこのこ出て行ったりして。脇が甘い!とか思いました。
あと名前ね、けっこう後半までホリーなんだかハリーなんだかで混乱してた。しょーもな。笑
このオーソン・ウェルズという俳優さんは、顔の角度によって全然違う人に見えるという特徴があった。斜め横から見るとそこそこイケメンなのに、正面から見るとほっぺがぷっくりしすぎてて冬眠前のリスですか?って感じだった。全体的にくりぃむしちゅーの有田に似てる。不思議な顔。
光と影を知り尽くした演出
映画冒頭よりその存在が謎だった主人公の友人が姿を現すのが、映画も中盤に入った頃。暗闇に浮かぶ人影。いきなり顔が照らし出され、その人物の容貌がはっきりと闇に浮かぶ。ここでようやくオーソン・ウェルズが登場するのである。
この暗闇と光に照らされたウェルズの顔のコントラストはこの作品の中でも、最も印象に残るシーンであろう。
しかし、このような小憎らしい演出は随所に見られ、例えば、ラスト近くの地下下水道の追跡劇など、光と影のみで状況と緊迫感を観客に伝えている。
夜を舞台にした光と影のサスペンスを挟んでいる前半とラストの昼間の部分は、逆に主人公の戸惑う表情がスクリーンを彷徨う。
そう、この映画には、光と影のコントラストを強調した緊迫の夜の部分と、それに対比される戸惑いの昼の部分とのコントラストという、二重の意味での光と影が存在するのだ。
であればこそ、ほのかな期待を持っている主人公の目の前を、女が黙って通り過ぎていくラストの並木道が、映画史上の名シーンとして語り継がれることになるのだ。
主人公が自分の凡庸さを噛みしめることになるこのシーンは、消えた友人を探しているときの凡庸さへの回帰である。
ひと時のサスペンスを経験したものの、彼はやはり世間知らずなアメリカ人であり、余所者に過ぎなかった。冷戦下のウィーンという、多言語空間、政治的多重都市に彼は似つかわしくなかった。これらのことを映画は饒舌に物語っている。
音楽が・・・
第二次世界大戦直後、オーストリアのウィーンに友人ハリーを伝ってやって来たアメリカ人ホリー。しかしハリーは車にはねられ死亡していた。ホリーは彼の死の真相を調べ始める…。
陰と光の使い方が絶妙。戦後のウィーンの街の閑散とした感じや歴史を感じる彫刻や建物は美しくもあり、爆撃で瓦礫化した様は寂しい。しかし音楽が始終軽々しく、映画のテーマと合っていない感じがしてならない。話は第三の男が誰かというのに焦点があたり、種明かしには驚くが、細かい点で疑問が残る事が多い。女性の描かれ方(フィルムルノワールって確か女が男の邪魔をするって要素が入ってるんだったっけ?)がイラッとするので、私にはあまりすっきりしない映画だった。
音楽がもう少し違えば、印象も違ったのだろう。
因みに、女性キャラでよくあるのが、最初に女が仕事で何かやっている(女優でもダンサーでもなんでもいいけど)というシーンがあって、その後女は仕事をしているシーンはゼロで、ただフラフラしているというのが結構ある。頻繁に出てくるのは、パジャマを着ているか風呂に入っているシーンである。この映画では、唯一の女性キャラアンナが、パジャマを着ていて上からローブを羽織るという全く同じシーンが二回出てくる。
光と影のコントラストが美しい
光と影
『第三の男』~光と影の魔術師キャロル・リード監督
いわずと知れた映画の古典。後の教科書的作品となる、リード監督の最高峰。考え抜かれた緻密な構成。無駄な場面ひとつとしてない高い完成度。数ある名シーンの唖然とする見事さ。冒頭のツィターの爪弾きの大写しからしてわれわれを作品に引き込む。オーソン・ウェルズの職人的演技にはただただため息が出る。またアリタ・ヴァリの芯ある骨太の演技も注目に値する。闇夜の街頭でさっと射す光に浮かび上がるふてぶてしいウェルズの鮮烈なマスクの演出は実に心憎い。ジョゼフ・コットンが講演者としていきなり車に乗せられ会場に着くまで暴走する場面には意表をつくサスペンスがあって面白い。アングル・ショットの多用が不安を募らせる。さらにオーソン・ウェルズが凶悪犯罪の黒幕と知ってもなおも愛しつずけるアリタ・ヴァリの悲しい女のサガ。それを知ったジョゼフ・コットンの失望があの映画史に残るラストシーンへとつなっがる。地下下水道のおとり場面の緊迫感も見所。この傑作なくして映画は語れない。
モノクロでしか表現出来ない巧みな演出
完璧という言葉は、この映画のためにあるのではないか、と思うほどよく出来ている感じありますね。
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