西部の男のレビュー・感想・評価
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【”西部の男の心意気と情け”人間臭い悪徳判事と正義感溢れる流れ者の男の対立と不思議な友情を描いたヒューマン西部劇。】
ー 今まで、観て来た多くの西部劇は、殆ど善と悪が際立ち、最後は善が勝つと言う物語が多かった。
今作でも、基本的にはその構成を取っているのだが、悪役の判事で牧場主のロイ・ビーンが、どうにも憎めないのである。
1880年代、テキサス。ビーンは憧れの女優、リリー・ラングトリーの熱狂的なファンで、経営するバーには彼女のポスターが多数掲示してある。
そして、彼女が街に来ると知った時、彼はナント街の名をラングトリーと変えてしまうのである。ー
◆感想<Caution!内容に触れています。>
・ロイ・ビーン(ウォルター・ブレナン:ウーム、知らない。だが、魅力あるオジサンである。)は強引なやり口で開拓移民を退けていた。その仕返しにリンチされそうになったロイは、流れ者・コール(ゲイリー・クーパー)の仲裁により助けられる。
・コールが出まかせで、リリー・ラングトリーの髪の毛を持っていると知った時のロイ・ビーンの羨ましそうな顔。このオジサンは、開拓移民に嫌がらせをする独裁者ではあるのだが、基本的には悪童なのである。故に、憎めないのである。
・だが、ロイ・ビーンが開拓移民の農場を焼いたと自白すると、流石のコールも堪忍袋の緒が切れ、隣町に行って郡の保安官代理になって戻って来る。
思いを寄せるジェーン・エレン・マシューズ(ドリス・ダヴェンポート)が、危険に晒された事も一因で有ろう。
・そんな中、町にリリー・ラングトリーの一団がやって来る。喜んだロイ・ビーンは席を買い占め、一人彼女が出てくるのをソワソワして待っている。
だが、そこに現れたコールにより、彼は瀕死の重傷を負う。
<ラストのコールの”西部の男の心意気と情け”が良い。彼は瀕死のコールに”楽屋でリリーが待っていると言い、彼をリリーに会わせるのである。
そして、感激の表情のコールは、霞んで行くリリーの姿を見ながら、息絶えるのである。
今作は、人間臭い悪徳判事と正義感溢れる流れ者の男の対立と不思議な友情を描いたヒューマン西部劇なのである。>
牛は大事
人間と間違って牛を撃ったら絞首刑だ。完全に悪徳判事・牧場主のビーンではあるが、女優リリーにゾッコンなのだ。リリーの友達と言うだけで絞首刑は延期となる。よほどこの女優が気に入ってるんだろうけど、異常なまでのファンだ。
完全に悪役になり切れない判事ビーン。ある意味、主役のゲイリー・クーパーを食っていますね。ウィスキーの瓶をグラスに突っ込んで注ぎ、飲んで勝負をするシーンがいいな。はっきり言って、クーパーのロマンス部分は要らない。
しかし、風変わりな展開の西部劇だ。終盤になって、女優を追い求めて劇場へ・・・結局、舞台に立っていたのは・・・という不思議なプロットなのです。リメイク版も観てみたいかもです。
脚本・構成の問題はあるが、ゴールドウィンとワイラーが組んだ品格のある西部劇にブレナンの名演とトーランドの映像美
南北戦争終結から十数年経ったテキサスのビネガルーンという町を舞台に、強権を振るう自称判事ロイ・ビーンと流れ者コール・ハーデンの奇妙な関係から男の対決に至る葛藤を描いた西部劇。テキサスはメキシコから無理やり奪い取ったような土地で、アメリカ政府は入植を推進していたが、治安に関しては殆んど現地任せであったようだ。牛の放牧を主とする牛追いたちが自分たちの都合のいいように法を解釈し、新しく土地を開墾する農民たちを妨害して争いが絶えなかった。そんな敵対する間に入り、お互いの立場を尊重するよう説得するコールをゲイリー・クーパーが正義感ある個性で演じている。それに対して、南北戦争で共に戦った軍刀を己の分身とするロイ・ビーンが、イギリスの美人女優リリー・ラングトリーに少年のように憧れ夢中になる男の純情を持ちながら、時に残忍で非情な姿を見せるのを、名脇役ウォルター・ブレナンが味わい深い見事な演技で応えている。主人公より相手役の複雑なキャラクター表現が優れた脚本と演技の作品になってしまった。結果論として、これが互角の個性のぶつかり合いがあったら、この作品は名作として後世にもっと語られたと思う。しかし、この不満以外はとても楽しめた作品だった。
まず注目すべきは、クレジットタイトルの最後の表記が監督のウイリアム・ワイラーではなく、制作者のサミュエル・ゴールドウィンであること。ゴールドウィンはデヴィット・O・セルズニックやダリル・F・ザナックと並ぶ当時の大プロデューサーで、淀川長治氏が最も敬愛した映画人。1930年代にはウィリアム・ワイラーと組んだ「嵐が丘」など多くの名作と、ジョン・フォードとは大作「ハリケーン」を制作している。このゴールドウィンの品の良い映画作りの一端が垣間見えたことが嬉しかった。と共に西部劇「砂漠の生霊」を出世作として名を成したワイラー監督の数少ない西部劇で今日鑑賞できるのが「大いなる西部」くらいな為、個人的には貴重な鑑賞になった。サイレント時代には約100本の西部劇を早撮りしていたと淀川長治氏の本に紹介されている。「ローマの休日」が別格で映画史に記録される監督だが、元々は西部劇監督で後に舞台劇やスペクタクルもの、そしてサスペンスものまで得意にした多才な名監督であり、その演出の品格の良さが他の監督には求められないものであった。コールが恋心を抱くジェーン・マシューズとの場面を観るとそれが解る。開拓民が住む峠の我が家をイメージする場面の何とも優しさに溢れた演出タッチがいい。また彼女の髪の毛をどうにか手に入れたいコールと、好きな男性から求められて満更でもなく、といって気安く見られたくもない微妙な女性心理を奇麗に描写している。隣の住人ウェイドという青年との恋の三角関係を最後まで描き切れていない不満はあるが、恋愛が絡んだ娯楽西部劇の作りとしては魅力ある作品である。
それは、撮影の名手グレッグ・トーランドが実力を充分に発揮した映像美が素晴らしいからだ。この時のキャリアは「嵐が丘」「怒りの葡萄」があり、この後「果てなき航路」「市民ケーン」「教授と美女」と続く。ロイ・ビーンが二日酔いの朝、前の晩に酒をジョッキで飲み合った記憶を蘇らせてリリーの髪を想い出し、コールを追い掛けるシーン。特にビーンが馬で疾走するショットの美しさとカッコよさは絵画のようで完璧。移動撮影の、雲が薄くたなびく空を背景にした人物と馬を、逆光のシルエットに近いコントラストにした絶妙さ。この場面だけ観ても、コールよりロイ・ビーンが主役の様な扱いなのが興味深い。ジェーンの髪を貰ったコールが馬に乗って別れるショットもいい。夕闇迫る山々を遠くに、去るコールと見送るジェーン。農民たちの豊作を祝う感謝祭のシーンもまた美しい。トウモロコシ畑を前に神に感謝し跪く農民たちを背後から捉え、画面の半分を空でフレーミングしたショットの神聖さ。ワイラーとトーランドの演出・撮影の融合によって、映像の雄弁さが自然に表現されている。そして、農場が焼き討ちにあい激しく燃え盛るシーンの迫力。映像の美しさとスペクタクルの両面が楽しめる。
それでも、この映画の一番の魅力は、ウォルター・ブレナンの名演であることは誰もが認めるものであろう。アカデミー賞の三度目の助演男優賞受賞に納得の演技であり、ともすると主演賞でもおかしくないのではないかとさえ思わせる。「北西の道」「群衆」「ヨーク軍曹」「打撃王」「死刑執行人もまた死す」「荒野の決闘」「赤い河」「リオ・ブラボー」「西部開拓史」「オスカー」と観てきたが、ブレナン最高の演技であろう。冷静に判断すれば、一方的な裁判で極刑を執行する独断専行の悪人で軽蔑すべきロイ・ビーンを、最後は憎み切れない好人物に見せてしまう愛嬌と人間性を表現している。これは役柄自体の良さもあるが、映画としてもこのロイ・ビーンのブレナンを主役にした作りで良かったのではないかと思わせるくらいだ。がしかし、ここにゴールドウィンとワイラーが制作した意味があり、正義感のあるコール・ハーデンを誠実な俳優ゲイリー・クーパーが演じることに価値があるのであって、それを娯楽西部劇映画として提供する映画人の良心に迷いが無いところがいいのである。
次はヒューストン監督の「ロイ・ビーン」を!
巨匠ウィリアム・ワイラー作品だったので
NHKBS放送を録画して初鑑賞。
ジョージ・スティーヴンスの「シェーン」や
マイケル・チミノの「天国の門」
と同じ、西部開拓時代の農耕民と牧畜民の
争いを背景にした作品と知った。
さすがのワイラー監督作品で、
畑や農耕民家屋の炎上シーンは迫力満点
だったが、よりきめ細かい人物描写を
感じさせる西部劇としては
「大いなる西部」まで待たなければ
ならなかったのかも、との印象を受けた。
そして、ここに登場の判事?を描いた
ジョン・ヒューストン監督の
「ロイ・ビーン」に興味が。
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