青春群像のレビュー・感想・評価
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時代によって違う「青春」の意味。
◯作品全体
「青春」と名の付く邦題や原題の「子牛」という意味から、なんとなく庇護下にある若者たちの物語ということは理解していたけれど、戦後イタリア社会という舞台を考えると、その「青春」の意味は今の「青春」とは異なるような気がした。
時代背景とかはとりあえず横に置いて物語を追っていこうとすると、ファウストの存在が少しノイズに感じた。好き勝手やっていたプレイボーイが急に所帯を持ったらそうなるっていう展開だけど自由な世界が急に束縛される窮屈さを描くには、少し、いや、かなり身勝手に見える。友人の妹を娶っておきながら簡単に裏切ってしまうのは、なかなかにすごい。
こうした身勝手さと無責任さが「青春」なのかもしれないが、今とは少しそのレベルが違う気がする。ファウストの振る舞いは当時の人から見てもフィクションなのかもしれないけれど、スコセッシ監督やキューブリック監督が、この作品に青春を重ねているのを知ってしまうと、本当にそうなのかな、なんて思ったりもした。
そんなファウストでも家族という結束に落ち着いていくラストは、すこし強引なようにも見えたが、イタリア社会での家族の結束の重たさを垣間見た。一方で所帯を持たないモラルドの旅立ちのラストや宴が終わったカーニバルで踊りつづけるアルベルトの孤独の描き方は強烈なコントラストとなっていて印象的だった。
若者が置かれた社会環境や人間関係は時代によって異なり、「青春」の意味も異なる。しかし、いつまでも踊っていたいと思う気持ちと、独立しなければと焦る気持ちだけは、どの時代でも同じものなのかもしれない、と心に残った。
◯カメラワークとか
・カメラワークや演出が素晴らしかった。街の広場は何度も作中で登場するが、ほとんどの場面で閑散としている。冒頭の夜の街を歩く4人組のカットや、カーニバルの朝、浮気をしたファウストを待つモラルド。街の潮流には乗らず、浮いた存在の4人を映していた。
・5人の間のやり取りは会話も軽快で、カット割りや人物の配置も面白かった。喫茶店の外でくつろぐ5人を手前から奥に据えて、それぞれ左右交互の椅子に座らせていたり。
・ラストのモラルドが汽車に乗って街を離れるカットは素晴らしいカメラワークのアイデアだった。部屋で眠る他の3人を映すときに、車窓から通り過ぎるようにカメラが動く。直接的に別れを告げたわけではないが、駅のプラットホームで別れを告げる構図のように、去っていてく。こんなにも遠くにいながら近くにいるような「別れの風景」を作り出していた。
◯その他
・ファウストと結婚するサンドラはもちろん被害者だし、ファウストのアホな行動にムカつくんだけど、サンドラも事前にファウストの根っこを知ってたはずだろって思ったりもした。
・結局はファウスト以外、みんな逃げて終わってしまうのがすごいなあと思う。モラルドは友人や家族から逃れ、レオポルドは憧れの俳優から逃れ、アルベルトは酒に逃れる。そんな上手くは行かないよな、とするラストは寂しさもあって良いラストだと思うんだけど、やっぱファウストだけなんとなく反省して家庭に戻っていくのは腹立つなあって感じ。
ファウストみたいな奴いるわ〜
フェリーニのモデルのキャラは
誰なんだろうか?と想像しながら
観てたけど、ファウストのややこしさ
が悪目立ちし過ぎて閉口。
奴のせいで、友達でもあり、かつ
義理の弟が町を出ていくって、
悲しすぎるだろうよ、おい。
アメリカの煙草は強い!
2021年1月23日
映画 #青春群像 (1953年)鑑賞
#フェデリコ・フェリーニ が故郷のリミニを舞台にした青春群像劇
歌がうまかった男、#リカルド・フェリーニ は監督の弟だそうです。コネ出演かな?
どこの国にも働かずにブラブラする若者はいるわけで、そして、だいたいは男です
何でだろう?
退廃おっさんというか、ニートのダラダラ感
のらりくらりしてるズッコケおっさん5人組。
ずっとたらたら続くのかなと思ったら、ファウストとサンドラ夫婦、そしてサンドラの兄モラレスの抜き差しならない、なんとも言えない関係性が炙り出されてくる。
クズ同然のファウストと、と彼を赦す?モラレスもまた、何者でもない自分に嫌気をさしているようで、少しずつ感情移入してしまう。これは作者かな?
にしてもファウスト、映画館で隣の席にいた貴婦人をつけて家に押し入り接吻とか、犯罪だよ!あと終盤、今度は貴婦人があとからナンパするのも可笑しい。良くも悪くも、この映画の筋道、つまり人生の起伏を(悪い方向だが)作っているのはファウストなんですよね。クズなんですけどね。大団円でサンドラとより戻ったけど、お前絶対また浮気するダロ!
上手いこといえませんが、甘い生活といい、フェリー二の享楽主義は快楽主義ではなく、ニートのダラダラ感というか、モラトリアムをしゃぶる退廃的な匂いがします。
で、この映画はなんで面白いのかよくわからない、でもずるずるみてしまう不思議な映画でした。
暖かみのある映画
映画史のなかでの意味があるようだけれど、そこはよくわからず。
ここに出てくる男はへんな人たちばかり。けれど、いいトシとはいえ、たまたま「一人前にならなければ」という動機がきちんと持てないままでいれば、ホントは皆こんなものなのでしょうね…と、(わたしは女だけれど)納得はできる。
ドタバタ劇という形だけれど、人間の弱さや不安定さに焦点をあてた眼差しが暖かくてよいわ。
モラトリアムから目覚め大人になるその過程
青春時代は誰しも時間が濃密だ
人は一面だけの存在でなくたくさんのカラーを持っている
フェリーニは映画というプリズムに青春時代を通すことで、5つの青春群像に光を分光して観せてくれた
5人の行動は青春時代に誰しも心当たりが有ることばかりだろう
ファウストの行動など映画的な誇張はあったとしても男なら誰もが何かしらの経験者のはず
30歳にもなって実家住まいで職もなく、働いてもろくに続かない、今で言うところのニートそのものだろう
大人になりきれない大人
早朝3時に駅に仕事に向かう10歳位の少年が一番大人だ
そんな彼らもようやく大人になろろうとしている
早朝列車に乗るモラルドに5つのスペクトラムは大人の顔になったモラルドに再び集まり汽車に乗って大人の世界に走りさるのだ
長すぎた青春時代は終わった
いやしがみついていただけだ
赤ちゃんを抱いたサンドラを連れ帰るファウストはお父さんの顔になっている
ナレーションのとおり他の3人も大人になるのだ
モラトリアムから目覚め大人になるその過程
フェリーニはこの変化の過程を見事にフィルムに焼き付けてみせたのだ
さすがの手腕という他ない
共感できない登場人物たち
総合50点 ( ストーリー:40点|キャスト:60点|演出:65点|ビジュアル:60点|音楽:65点 )
怠惰な生活が普通になっている昔のイタリアの若者、といっても実はいい歳だが、要はただの無気力な遊び人たちの話。30歳にもなる大人なのにまるで中学生のように自分にも他人にも責任感や義務感を持つ事もなくぐうたらに生きる。当時のイタリアは失業率も高くて失業者も珍しくないのだろうが、仕事もせずくだらないことで時間を潰し人生を無駄にしている姿をとりとめもなく描いているだけ。しかも一番よく登場するファウストはかなりのクズであり、その他の人物もろくなやつらがいない。ファウストは父親に折檻までされていて、中学生というよりも小学生並みだった。
登場人物たちにさっぱり共感できないし、彼らの行動にはかなり最初のほうから飽き飽きしていた。そりゃこんなやつらとこんなところにいつまでもいたらろくなもんじゃないから、さっさと縁をきったほうがいいさ。その意味では最後はすっきりした。
青春映画の名作らしい、評価も高い、受賞歴もすごい。 そうか? 青春...
青春映画の名作らしい、評価も高い、受賞歴もすごい。
そうか?
青春ってわりにはみんなおっさん、不良青年、いやもうじき中年。はよ大人になれよ!全然共感できません。
白黒映像のせいか、誰が誰か暫くわからない、それほどみんな似たもののお子ちゃま。やっとわかったファウストやらは、まるでさかりのついた…。そんなとこだけ大人、美人の奥さんかわいそう。この映画、原題は「雄牛」、ぴったり。
まだまだこの時代の名作を理解するには、私自身がお子ちゃまなのだろう。
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