「大人の寓話」スピリッツ・オブ・ジ・エア しずるさんの映画レビュー(感想・評価)
大人の寓話
色褪せて赤茶けた大地、乾いた青空、廃墟のようなオブジェ、立ち並ぶ十字架、ゴシックな装いの女。何処を切り取っても、アート作品のように美しく完成されたビジュアル。
世界背景は詳しく語られない。ディストピアめいた荒野の一軒家に住む、足の不自由な車椅子の兄と、精神的に不安定な妹。兄は飛行の夢に取り付かれ、妹は父に倣って聖書に傾倒している。何者かに追われ北を目指す男がそこに辿り着くが、荒野の北は、壁の如き崖が立ちはだかり、人力で越える事はできない。兄は男に、崖を越えるため飛行機作りへの協力を持ちかけ、妹は、悪魔よ立ち去れと罵声を浴びせる。
稚拙な飛行機。失敗続きの実験、ヒステリックな妹の挙動、兄の盲信、ヒタヒタと近付いてくる追跡者の影。吹き抜ける風、軋む建屋、不安なストリングス、食器の擦れる音、空を埋め尽くす渡り鳥の羽音。
絶えず不安を掻き立てられ、私は、早くこの場所から解放されたいと思いつつ、本当に飛行機は飛ぶのかと疑念に苛まれる。映画の世界に引き込まれながらも、居心地の悪さにいつまでも尻が落ち着かない。
飛行決行前夜、妹は頑なに旅立ちを拒み、男の殺害を主張する。「何故心を開かないんだ。ほんの少し空を見上げてみるだけでいいんだ!」兄は叫び、喧嘩別れで終わったものの、妹を見捨てて旅立てない。残る決意をし、翌朝男を一人で空に送り出す。
飛び出した飛行機は風を捉え、必死に宙へと浮き上がる。閉鎖世界から漸く解き放たれる解放感と同時に、凄まじい喪失感が私の胸を握り潰す。
小屋の扉も、柵も、使える木材はあらかた、飛行機と滑走路に費やしてしまった。再びまともな飛行機を作り直す事は恐らく不可能だろう。成功の歓声を上げながら、遠ざかる飛行機に手を振り、「じゃあな。…じゃあな。」と小さく呟く兄の瞳の切なさ。私も多分、空に飛び立てず、見送る側の人間だから。
いつか生の終わる時、彼の魂は大気に解き放たれ、雲となって自由に漂えるだろうか。
作品の世界観には、何処か宗教的なメタファーも多く感じる。
十字架、聖書、追手の三人の人影は、東方の三博士を連想させる。だとすれば、ナザレの男は、自己犠牲を選んだ兄か、天に飛び立った男か。
乾いて淀むような世界の感触と、瞼に焼き付く赤と青の風景、神経を逆撫でするストリングスを思い返しながら、いつまでもつらつらと思索に耽っていたいと思わせる。
映画を好きな者として、これ以上贅沢な時間はない。