「スーパーマンvsスーパーマン ジャスティスの誕生。 賛否両論あるだろうが、脱構築を目指したチャレンジ精神は評価したい。」スーパーマンIII 電子の要塞 たなかなかなかさんの映画レビュー(感想・評価)
スーパーマンvsスーパーマン ジャスティスの誕生。 賛否両論あるだろうが、脱構築を目指したチャレンジ精神は評価したい。
鋼の肉体を持つ男“スーパーマン“の活躍を描くスーパーヒーロー映画『スーパーマン』シリーズの第3作。
高校の同窓会を取材する為、久しぶりにスモールビルへと帰郷したクラーク・ケントは、高校時代のマドンナであるラナ・ラングと再開し旧交を温める。
同じ頃、複合企業ウェブスコーのコンピュータプログラマーであるガス・ゴーマンは、悪知恵を働かせて会社の給与を横領するのだが、その事を社長であるロス・ウェブスターに知られてしまう。弱みを握られたガスはウェブスターの指示に従い、悪事に加担する様になるのだが…。
途中降板したリチャード・ドナーに代わり『スーパーマンⅡ/冒険篇』(1981)の監督に就任したリチャード・レスターが今回も続投。
メインヴィジュアルを見て貰えばわかるが、今作はスーパーマンとガス・ゴーマン、この2人のキャラクターが中心となって物語を動かす。
ズルズルと悪の道に嵌りこむダメなおっさんであるガスをユーモラスに演じているのはリチャード・プライヤー。日本での知名度はさほど高くないが、アメリカでは「史上最高のコメディアン」と称される程の大人物である(余談だが、『ワイルド・スピード』シリーズのテズを演じている事でお馴染みのラッパー、リュダクリスは彼の親戚だったりする )。
TVのトークショーで「スーパーマンの大ファンなんす!」と発言しているのを観たプロデューサーがすぐさま彼にオファー。ガスというキャラクターを当て書きし、彼が中心となる様に脚本を作り上げた。実は本作はプライヤーありきの映画だったのだ。
驚いたのはここに来てのヒロイン交代。ロイス・レーンは顔見せ程度しか登場せず、その代わりに『Ⅰ』(1978)で描かれたクラークの青春時代にチラッとだけ登場していたラナ・ラングがヒロインの座を継いだ。
このロイスの出番激減は、彼女を演じるマーゴット・キダーがドナー監督の降板劇に対し、プロデューサー陣へ批判的な言動を繰り返した事への報復措置だという噂があり、もしそれが真実なら製作陣の対応はクソという他ない。
ただ、それを別にして考えると、確かにクラークとロイスのロマンスは『Ⅱ』で一区切り着いた訳だし、ここで別のヒロインを擁立すると言うのは悪くない考えのように思う。
花の都を夢見る中西部の女性、というどこか「オズの魔法使い」のドロシーを連想させるラナと、久しぶりの帰郷に羽を伸ばすクラークとの相性もぴったりで、ロイス推しの自分でも「これはこれでありだな…」と思えるナイスカップリングである。ちなみに、ラナを演じたアネット・オトゥールはその後、テレビドラマ『ヤング・スーパーマン』(2001-2011)でクラークの育ての母マーサ・ケントを演じる事となる。このドラマはクリストファー・リーヴもゲスト出演するなど、何ともファンへのサービス精神に溢れた作品である。昔NHKで放送していたものをぽちぽち見ていたが、もう一度ちゃんと見返してみたい。
本作最大の見どころは、スーパーマンの闇堕ちと、光のクラーク・ケントvs闇のスーパーマンによる一騎打ち。絶対的な「善」である筈の彼が、自らの欲に負けたり、悪心に唆されたりするというのは中々に衝撃的な展開である。
これまで超人的、あるいは神的な存在として描かれてきたスーパーマンだが、本作は彼をより卑近なものとして描き直す。偽クリプトナイトによりスランプに陥り、せこい嫌がらせを繰り返したり酒に溺れたりするスーパーマンはミドルクライシスに陥ったオッさんそのものである。
…今作のやさぐれスーパーマンは、スーパーマンというパブリック・イメージに苦しむクリストファー・リーヴ本人と重なって見えたのだが、流石にそれは牽強付会かな?
本作が目指したのは「スーパーマン」の脱構築だろう。スーパーマン=「神」というこれまでのパターンを捨て、彼もまた1人の「人間」(正確にはクリプトン人だけど…)にすぎないのだという新たな着眼点で物語を構築し直す事により、マンネリズムから脱却せんとする意思が感じられる。
かなりの変化球であり、1作目や2作目でこの内容を描くのは流石に無理だっただろう。既に世界観やキャラクターが定着している『Ⅲ』だからこそ成立する作品であり、この映画に対して色々と意見はあるだろうが『Ⅱ』の路線を拡大延長するような平凡な映画に堕していないという点で、この映画は十分に評価に値するものだと思う。
「神」レベルの強敵と戦った『Ⅱ』。その次の敵に、実態のないコンピュータを持ってきたというのは中々気が利いている。今やAI、そしてそれを操るIT長者たちは神様以上にヤバい存在になってしまっている訳だから、この作品には先見の明がある。
ただ、本作のヴィランであるテック企業の社長ウェブスターは完全にレックス・ルーサーの二番煎じ。しかもルーサーほど弾けたキャラクターでない為、見ていて全然面白くないというのは致命的な欠点である。
また、リチャード・プライヤーを目立たせようとするあまり、肝心のスーパーマンの活躍シーンが薄めになってしまい、その結果もの凄く地味な映画になってしまっている点も大きな問題だと思う。
世間での評判は散々な本作だが、光る所は間違いなくある。個人的には『Ⅱ』より全然好き。
ファンの観たい作品とは違ったのかも知れないが、今までとまるで違う映画を作ろうというチャレンジ精神は、その後のスーパーヒーロー映画も見習うべきである。
※本作公開の後、リチャード・プライヤーは多発性硬化症を発病。20年にも渡る闘病の末2005年に逝去。
リチャード・レスターは『新・三銃士/華麗なる勇者の冒険』(1989)という作品を監督するが、その撮影中に友人でもある俳優ロイ・キニアが事故死。そのショックにより映画監督を引退した。
あの有名な「スーパーマンの呪い」は、演じた役者以外も蝕むものなのだろうか…。