白い馬(1953)のレビュー・感想・評価
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川谷拓三のように引きずり回される美少年に釣りキチ三平の影を見る。意想外のラストに仰天!
ちょっと待って!
フランスで、萩尾望都先生の漫画から抜け出してきたみたいな美少年に、『仁義なき戦い 広島死闘編』の川谷拓三みたいなことやらせてるんですけど???
馬の引綱を握ったまま、沼沢地をものすごい勢いで引きずり回される少年。
すごいな、これ!!
だって、海で同じアクション(モーターボートで引きずり回される)やらされて、川谷拓三って心臓止まってガチで死にかけたんだよ(笑)。
さすがに馬に引かせてるショットはダブルっぽいけど、葦原でも水辺でも、主演の少年本人がちゃんと引きずられてる。
こんなムゴいアクション、よく生身でやらせるぜ……。
おそるべし、アルベール・ラモリス!
おそらく、西部劇や史劇に昔からよく出てくるような伝統的なアクションではあるのだろうが、その姿は、日本人の誰しもに『釣りキチ三平』を想起させることだろう(笑)。
てか、この「出来る子役」の恐ろしさが見出せるのは、引き回しのシーンだけではない。
当たり前みたいに鞍のついていない裸馬を乗りこなしてるし、枝伝いに馬上に攀じ登ったりてるし、、マジでめちゃくちゃ運動神経とスペックが高いんんだよね。
『ビリー・エリオット』あたりでびっくりしてる場合じゃない、本物の天才アクション子役がここにいる、というしかない。
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この映画にはびっくりさせられることばかりだ。
驚異的にスペックの高い子役(超美少年)。
観たこともないようなフランスの湿地帯。
そこで生きる野生馬の群れの圧倒的美観。
荒ぶり、戦う、野生馬の崇高な荒々しさ。
スピード感&臨場感抜群のホースチェイス。
そして、ちょっと想定外のエンディング。
もっとメルヘンチックでひたすら抒情的な「映像詩」を予期していたので、息をのむようなアクションの連続と終盤のヘヴィーな展開にけっこう衝撃を受けた。
この題材でこんな話にしちゃうラモリスって、ほんとうに一筋縄ではいかない監督だ。
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冒頭は、なんだか『シートン動物記』のようなナレーションと、遠浅の海岸線に立つ美しい馬の群れの映像で始まる。
いわくローヌ川の河口地帯に「カマルグ」と呼ばれる大湿地帯があり、そこでは今でも野生馬が繁殖しているらしい。
そのリーダーである白馬を、牧童たちが捕まえて馴化しようとする。
いったんは柵に追い込まれた白馬だったが、木棒をへし折って逃亡。
一部始終を観ていた漁師の少年は、誇り高い白馬に激しい憧憬をいだく。
白馬とともに居る様子を昼寝中の夢で見た少年は(ウユニ塩湖みたいに馬と人が反射してる!)、湿原の奥で草を食む白馬にそっと近づこうとすが、そのときはすいっと逃げられる。
その後、牧童たちは何度も白馬を追い詰めるが、人間嫌いで荒々しい気性の白馬はなかなか捕まらない。やがて少年と白馬は、運命の出会いの日を迎える……。
全体のつくりとして、『白い馬』は『赤い風船』のストーリーラインをなぞるように展開しているといっていい。
少年と●●の出会い。
少年と●●の交情。
少年と●●のしばしの別れ。
少年と●●を襲う恐ろしい敵。
少年と●●の自由への逃避。
少年と●●に漂う昏い死の予感。
●●には、「風船」を入れても「白馬」を入れてもよい。
ね、似てるでしょう?
主人公の少年の動きは、とにかく振り切れている。
馬と一緒にいられるなら、どうなってもいい。
そんな一種の刹那主義までが感じられる。
『赤い風船』でも書いた、少年の無謀さ、思い切りのよさ。
危険に相対したときの警戒心の低さ。
それは、本作でもいやになるほど感じさせられた。
危ない追跡。危ない騎乗。危ない逃亡。
ジブリの主人公顔負けのアクションを、
子の少年は、ガチの生身でやってのけるのだ。
だからこそ、風船も、馬も、少年に心を開く。
それは、たしかにそのとおりだ。
映画のなかで、少年と人でない何かは、互いに心を深く通じさせる。
でも、こんなにも安易に危険に踏み込んでしまう少年に、安寧な未来などあるのだろうか? とも思わざるを得ない。
少年と相棒を脅かすのは、どちらも徒党を組んだ人間だ。
執拗で粘着質で暴力的な追跡劇からは、「狩り」に夢中になる人間の醜性く荒々しい性(さが)がにじみ出ている。パリの悪ガキ連にしても、カマルグの牧童たちにしても、本人たちとしてはそこまでの悪意はないのかもしれない。だが、無知と魯鈍に脳を支配された「モブ」は、自分たちの暴走を止められないし、モノや動物に「マウント」を取ることを諦めない。
あげく、カマルグの牧童たちは、葦原に火まで放つことになる。
結局、彼らはすべてが台無しになるまで、自分たちの暴力性や破壊性にはまるで気が付かない。基本、「いいことをしている」つもりになっている連中が、自らの暴走性に気づけないのは、戦争においても学生運動においても同じだ。総じて人間の本質は変わらない。
敵との闘いの末に、監督は「回答」として「自由への前向きな逃避」を提示する。
それ自体は決して悪い結論でもないとは思うのだが、実際に映画で提示されるラストシーンは、『赤い風船』にしても『白い馬』にしても、いささかぎょっとするものである。
とくに『白い馬』のラストは、明快に少年と馬が●●●に旅立ったことを示唆していて、観ていてけっこうマジでびっくりした。え、そんなことするの?? みたいな。
「WHY???」の疑念を抑えがたいのは、自分が心の汚れた初老のオッサンだからか。
もちろん、この稀有な純粋さと純白のイノセンスを心から尊重したい想いもあるのだ。
だが、やはり僕にとって、このエンディングはえげつなさすぎる。
このノリで、こういう話をやってきて、こんな終わり方をさせるのは、あまりにしんどい。
結論。『赤い風船』以上に、「怖い映画」だったというのが、僕の正直な感想だ。
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●しっかし、カマルグってすごいところだね。
アメリカのサバンナとか南米のジャングルほど有名じゃないのが不思議なくらい。
砂浜と、湿地(沼沢地)と、葦原と、灌木帯がひとつのフィールドで地続きに堪能できる自然とか、本当にこの世に実在するんだな。
かつてデイヴィッド・アッテンボローに憧れ、動物学者になることを夢見た少年だった僕にとっては、こたえられないシーンの連続だった。
とにかく、馬の走る姿が気高い! 尊すぎる!!
●少年の、ジャンプ漫画の主人公みたいな粋な髪型って、考えてみると白馬のたてがみの前髪と呼応してるんだな。
●少年の住んでいるバラック小屋のたたずまいの美しさ。いかにも漁師然とした風格のある老人(両親は死んだのか? それとも都会に出稼ぎにでも?)。亀と遊ぶ幼女。そして、少年は半分飼い鳥と化した「フラミンゴ」に手で餌をやる! 超楽しそう!
●この少年の馬体への上がり方とか、馬の乗り方とか見ると、実際はかなり長く馬と過ごしてきたガチの乗馬経験者っぽい。なんどもいうけど、できないってあんなの、マジで。
●最初にも書いたが、ムツゴロウの棲んでいそうなはてなき泥濘のうえを、もの凄い勢いで引きずり回される少年の姿に激しく興奮した! これはなにかの性癖に目覚めかねない!
●いったん逃走したあと群れに戻った白馬が、現リーダー(いわゆる動物の群れにおける「アルファメール」)と戦うシーンがこれまた凄い。遠目にもわかる馬体に残る激しい噛み跡と、激しい後ろ足蹴りの連打。イヤあ、馬って狂暴な生き物なんだなあ。本当に馬鹿にできないです(笑)。
●オープンマインドで、純粋で、危険を顧みない主人公の少年の気高い姿。それと対比するように描かれる、牧童たちのやり口のえげつなさ、追い掛け回してくる執拗さ、葦原に火まで放つ傲岸さ、平気でうそをつく低俗さ。これって、やはり初期ジブリ作品に出てくる「主役の子ども」と「悪役の大人」の対比に通底するものがある。あと、最後に「戻ってこーい」とか言ってるあたりには、どこか「3バカ」臭も漂う。
たぶん、ラモリスと宮崎の「子ども観」と「大人観」が、根っこのところで似かよっているんだろうね。
●とはいえ、そこから一足飛びに、「子どもが純粋な光の世界に召されていく」ってのは、たとえ象徴的な描き方であったとしても、やはり個人的には居心地が悪い。そのぶん、忘れがたい映画にはなっているのだけれど……。
●馬が疾走するシーンは、西部劇も顔負けの大迫力!! ラモリスって、実はアクション監督としてもすごく優秀だし、迫力の出し方やスピード感の出し方においてもアイディアマン。どういう撮り方をしたらこんなふうに撮れるのか、っていうショットが結構多い。
●この映画が撮られたのが1953年であることを考えると、これって60年代から大流行する「モンド映画」の「前史」にあたる「誰も知らない世界を垣間見せてくれる動物ドキュメンタリー」っぽい要素もあるんだな。
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