「キリスト教の信仰についてのギリシャ演劇の真面目さとストレートなメッセージが感動を生む」宿命(1956) Gustavさんの映画レビュー(感想・評価)
キリスト教の信仰についてのギリシャ演劇の真面目さとストレートなメッセージが感動を生む
第一次世界大戦後のギリシャがトルコ軍によって支配された政治情勢を踏まえて、略奪されて故郷を去り新天地を求めるキリスト教信者を描いた宗教劇である。ただ主人公は、それら放浪の貧しい人々を受け入れることで村の長老たちと対立する羊飼いのマノリオスという若者であり、同じキリスト教徒同士の争いが中心テーマだった。このコヴリッシの村は、トルコ軍と仲良く暮らしている。プロローグは、その彷徨うキリスト教徒と村の復活祭で催される受難劇のキリスト役や使徒役に選出されるのを描いている。そして人間の信仰と欲望の葛藤がドラマティックに表現されて行く。ジュールス・ダッシン監督は、リアリズムタッチの骨太な演出で荒れたギリシャの大地を舞台にした演劇を再現し、キリスト役が乗り移ったようなマノリオスの受難を通して、理性的な社会批評を大胆に行っていた。この作意と意図に見え透いた不自然さがない訳ではないが、このようなキリスト教の精神世界=ヨーロッパの道徳観を率直にして正直に語りかけることに、演劇と観客の結びつきを感じる。キリスト教やギリシャ演劇について参考になる、ダッシン監督の感動的な力作であると思う。
キリスト役を与えられたマノリオスは、村の司祭グリゴリスが流浪の信者をコレラを運ぶ邪悪どもと決めつけ追い出そうとするのに対して、そんなことは無い、彼らは食物に飢えているだけだと村民に救助を求める。地位も富も無い、これら神の子と神の使いに命ぜられた人たちは、その使命を果たすように、暗闇に光を見出した人間の美しい姿と行動を生む。また、メリナ・メルクーリ演じるマリア役のカテリナが、マノリオスに次第に愛情を抱く流れも自然である。マノリオスの友人役で父の土地を遺産相続するミケリスの協力もある。これをフランスの俳優モーリス・ロネが演じていて意外だった。
いくら同じ宗教の同胞でも、難民を全員受け入れたら村全体の生活が脅かされてしまうというグリゴリス司祭の考えは、既存の富や安定を手放したくない人間の本性であるが、キリスト教徒の指導者としては失格であろう。しかし、現実にはそのような人間が存在し、最後は血みどろの争いを招く悲劇が繰り返されている。マノリオスの遺言が正しい道を生きようとする信者に語り伝えられ、映画は見事に、信仰の意味とその尊さを問うてやまない。良心と信仰を貫く若者マノリオスを主人公に真摯な宗教劇をギリシャの大地の上で濃密に表現した、ダッシン監督の力量を証明する映画であった。
1979年 4月14日 フィルムセンター
代表作の「裸の町」で有名なジュールス・ダッシン監督は大好きな監督の一人。「真昼の暴動」「宿命」「死んでもいい」「トプカピ」「夜明けの約束」「女の叫び」しか観ていないが、シリアスとユーモアの明確な使い分けが出来る映画監督であった。シリアスな題材の真面目さが好き。