「モダン・タイムスは階級闘争。この映画は金欲、性欲、食欲♥」自由を我等に マサシさんの映画レビュー(感想・評価)
モダン・タイムスは階級闘争。この映画は金欲、性欲、食欲♥
『自由を我等に』では無い。
明らかに
『お金を我等に』
1930年代に対するアイロニーなのだろうか?
『モダン・タイムス』とどこが似ているのだろうか?
似てない所を指摘した所で理解してもらえないだろうから、決定的に違う点を指摘する。
それは、先ずは119番の囚人は最初の壁を越える時に縄を意図的に内側に落とす。『我ら』ではこの時点なくなっている。フランス人らしい個人主義だなぁって見ていた。僕は。
全員が物凄く暴力的である。モダン・タイムスだけでなくチャップリンの映画は主人公自ら攻撃する事は無い。少なくとも僕は見た事は無い。殺人狂や独裁者でも第三者に直接的に暴力を奮う事はないはずだ。
1930年代を鑑みれば、こんな映画を作っていたら、本国フランスから追い出されて然り。価値があるとするなら、そのくらいか?
いずれにしても、日本人はこういうの好きだ。飢餓海峡、砂の器を思い出した。
生産方式を変えただけでは、経済は良くならない。
追記
野原で寝転ぶ姿は小津安二郎監督の『東京の宿』が映像でこの映画をリスペクトしているかもしれないが。
その点だけを評価したい。
モダン・タイムスに似ているって騒いだのはある意味に於いて、フランスらしいコマーシャルと見る。当のチャップリンはどう思ったのか?
蓄音機はドイツの血をひくエジソンの発明品だし、使った工場はフォードの工場と記されている。フォードは有名な反ユダヤ主義者。さて。
マサシさん、コメントありがとうございます。
映画の観方は人それぞれで発見があると思っています。チャップリンもクレールも大好きな私は、社会批評の「モダンタイムス」も人間賛歌の「自由を我等に」にも感服しました。作家としての個性の違いがあっても映画に対する熱量はどちらも素晴らしい。クレール監督は1970年の万博の時来日して講演をして、その時淀川長治さんとお話しています。本当はルネ・クレマンを招聘するつもりが手違いでクレール監督に案内状が行ったようです。クレール監督はとてもモダンでスマートな紳士だったと淀川さんの印象でした。私は同じフランスの芸術家で言うと、作曲家のモーリス・ラベルのような清廉さと小粋さを連想します。同年の「ル・ミリオン」と一緒で音楽の効果的な使い方が粋で、フランス映画らしい美点だと思いました。
モダンと言う点では、日本の巨匠小津安二郎監督は別格ですね。サイレント時代から外国映画を研究して、溝口健二監督の日本的な情緒と比べると(観た作品は少ないですが)遥かに時代の最先端の演出タッチを持っていました。現代でも世界的に高く評価される要因の一つに挙げて良いと思います。この作品から小津監督を連想するマサシさんに納得です。