「フィルムノワールの中でも単純な物語ではない、複雑な構造と味わいのある傑作だ」上海から来た女 あき240さんの映画レビュー(感想・評価)
フィルムノワールの中でも単純な物語ではない、複雑な構造と味わいのある傑作だ
何故、「上海から来た女」というタイトルなのか
リタ・ヘイワースの演じるヒロインは確かにマカオや上海で昔働いていた
しかし、それだけの意味では決してない
彼女は弁護士の夫とともに警察署の廊下のベンチでタバコを吸う
それも署長の名前で禁煙と壁に大書きされている真下で平然と何の躊躇いもなく吸うのだ
主人公以外は誰も彼も性根が腐っているのだ
主要な登場人物だけでなく、裁判所ですらそうだ
判事は陪審員の評決を待つあいだ一人チェスで遊ぶ
死刑になるかならないかなぞ、彼にとりただのこなし仕事でしかない
それこそゲームにしか過ぎない
陪審員の一人は退屈そうに鼻を大きな音をたててかんだりするし、傍聴人達は面白い見せ物として笑い声をてている
つまり上海とは、不道徳で悪徳の町、人間の良心を腐敗させるところという代名詞として、その名前を使われているのだ
前半の気味の悪い登場人物達は、その意味の上海から来た人間達なのだ
それ故に、それを表現した異様な演技と演出をしているのだ
チャイナタウンという映画がある
その作品ではチャイナタウンは一切登場しないのにも関わらず、そのタイトルが付けられている
本作の上海と同様の意味合いでチャイナタウンの題名がつけられているのだ
おそらく本作に範をとったものだろう
ヒロインは男を破滅させる運命の女、ファムファタルだろうか?
確かに主人公はヒロインを一目見て引き寄せられ犯罪の罠に絡み取られてしまう
しかし彼女はそうではないと思う
ファムファタルとは本人は何も悪くはないものだ
ただそこにいるだけで勝手にその魅力に男が狂ってしまうのだ
だから彼女は単なる悪女なのだ
上海から来たとして表現される人間の性根が腐った女なのだ
それが本作のタイトルの意味でありテーマだ
不道徳と悪徳に染まり人間が腐ってしまっているヒロインと登場人物達
主人公が逃げ回るサンフランシスコのチャイナタウンの街
彼の背後には皮肉にもSanghai Lowというネオンサインが光るのだ
LowはLawとかけてある
つまりLowは婁で日本語の楼に当たるレストランの意味だが、綴りと発音の似たLaw法律とかけているのだ
彼が逃げ込むのは京劇を上演している中国人だらけの劇場だ
ヒロインが中国語で助けを求め、主人公を拉致するのも中国人マフィアなのだ
主人公がアイルランド系という設定はその対比であるわけだ
アイルランド人は確かに白人の中では下層で、ギャングになる若者も多くいる
時間にルーズだし、血の気が多い事でも有名だ
でも嘘つきや底意地の悪い人逹ではない
だから反対に、警官や消防士になるアイルランド系も多い
アジア的な規律の腐敗や不道徳、というものから一番遠い民族だからだ
確かに彼は殺人を犯して刑務所にもいた
しかしそれは妻を守る為のことであった
清廉潔白な人物でもない船乗りだが、冒頭の暴漢達からヒロインを救う行動で彼が不道徳な性根の腐った、上海から来た男ではないと最初に宣言しているのだ
うかうかしているとアメリカそのものがチャイナタウンに飲み込まれてしまう
都市の喧騒と金の力の誘惑の前には、白人であっても、キリスト教徒であっても、上海から来たような人間に変えていってしまうのだ
これがテーマなのだ
オーソン・ウェルズの演出が冴える素晴らしいシーンも多い
殺人を依頼されるアカプルコの海を望む高台のシーンはカメラを被写体の真上の高い位置に置いて、主人公の顔を大写しにすると同時に奈落の底にある海面も写してその意味を暗示する
水族館の暗い水槽の中で蠢くのは大ダコの不気味な姿だ
これもその後に続くシーンの真の意味を示している
もちろんクライマックスである休園中の遊園地のクレージーハウスのシーンは忘れられない名シーンだ
主人公の精神状態を見事にセットとカメラに語らせている素晴らしい演出だ
そして鏡の間での互いの虚像を撃ち合うシーンは本作のテーマそのものを象徴する見事な演出であった
本作の撮影は1946年というから、リタ・ヘイワースの姿は28歳だ
しかし画面に映る姿は30代半ばにも見える
美貌は全く衰えを感じないが、どこか疲れた風情がある
容姿ではなく心の中に衰えがあるように見えるのだ
それがこのヒロインの表現に大変にマッチしているのだ
それは彼女の主婦役としての役作りを超えている程のものだ
もしかしたら夫であるオーソン・ウェルズとの離婚に至る不仲の精神状態をフィルムが写し取ったものかも知れない
フィルムノワールの中でも単純な物語ではない、複雑な構造と味わいのある傑作だ