ジャグラー ニューヨーク25時のレビュー・感想・評価
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序盤のカーチェイスが圧巻!80年代アクションの幕開け的佳作
《シネマート新宿、4K対応のSCREEN1》にて鑑賞。
【イントロダクション】
70年代の終わり、猥雑としたニューヨークの街中で娘の奪還に奔走する元警官の父親の姿を描いたアクション。アメリカのベストセラー作家、ウィリアム・P・マッギヴァーンの同名小説を『乱気流/タービュランス』(1997)のロバート・バトラー監督(製作当初は『国際諜報局』(1964)のシドニー・J・フューリーが担当していたが、主演のジェームズ・ブローリンの怪我による撮影中断中に降板、クレジットなし)が映画化。
主演は『カプリコン1』(1977)のジェームズ・ブローリン。脚本にビル・ノートン・Sr、リック・ナトキン。
日本では80年に劇場公開されて以降、カルト的な人気を誇りつつも、権利問題によって VHSが一度発売されたのみで長らく鑑賞困難となっていた幻の一作。45年の時を経て 、4K修復を施され、装いも新たにスクリーンに甦る。
【ストーリー】
アメリカ、ニューヨーク。ダイナーで朝食メニューが運ばれてくるのを、片耳イヤホン姿でラジオの音楽番組を聴いて過ごす1人の男の姿があった。ガス・ソルティック(クリフ・ゴーマン)という名の男は、料理を運んで来たウェイトレスのコーヒーサービスにも素っ気なく対応し、運ばれて来たトースト、目玉焼き&ウインナーの皿で人間の顔と思しき形を作り、ケチャップをぶち撒けると食事もせずに勘定だけを置いて去って行った。
一方、トラック運転手として働く元警官のショーン・ボイド(ジェームズ・ブローリン)は、シングルファーザーとして一人娘のキャシー(アビー・ブルーストーン)を育てていた。キャシーは15歳の誕生日を迎え、ボイドはホットドッグとバレエのチケットでお祝いし、学校に向かう彼女をセントラルパークまで送る。しかし、父親と別れた直後、キャシーはソルティックによって白昼堂々と誘拐され車に引き摺り込まれてしまう。
娘を誘拐されたボイドは、逃走する車をタクシー運転手の協力を経て追う。カーチェイスの末、ソルティックはキャシーを連れて地下鉄に逃げ込み、ニューヨークの街中を走って逃亡する。必死に追うボイドだったが、自身が起こした車の衝突事故で負傷して意識を失い、病院へ搬送されてしまう。
病院にて治療を受けたボイドは、再びソルティックを追おうとするが、プエルトリコ系過激派の連続爆破事件を追うトネリ警部補(リチャード・S・カステラーノ)率いる捜査チームがやって来て、ボイドの無茶な追跡の事情聴取を求める。署に着くと、かつてボイドの内部告発によって収賄疑惑を暴露されて左遷された元同僚のバーンズ巡査部長(ダン・ヘダヤ)が、彼に恨みを晴らすべく食って掛かってくる。警察を抜け出して娘を救いに向かうボイド。そして、それを追うバーンズ。ボイドは追う側であると同時に、追われる側となったのだった。
その頃、ソルティックはサウスブロンクスで廃墟化した自宅にキャシーを連れ帰ってきた。彼は、キャシーを不動産王クレイトンの娘と勘違いして誘拐しており、土地の再開発を推し進める彼を恨み、身代金を要求して困窮した生活から抜け出そうとしていたのだ。
ニューヨークの街を奔走するボイドは、ソルティックに関する手掛かりを求めて、彼が落とした荷物を拾ったローブ姿の女を探して42丁目の「のぞき部屋」を訪れる。そして、その背後には彼を執拗に追うバーンズが迫っていた。
【感想】
尊敬するライムスターの宇多丸さんも絶賛する本作。パンフレットに解説コラムを寄稿した映画評論家・町山智浩さんをはじめ、コメントを寄せた各界の著名人達の熱量からも、「そんな幻の一作を劇場で観ないわけにはいかない!」と公開を心待ちにしていた。
全編ニューヨークロケによるCGなしの迫真のアクション大作。序盤の街中での激しいカーチェイスと追跡シーンは、その始終にかなりの時間が割かれており、見応え十分だった。また、この時代にこれだけ迫力のあるカーチェイスを組み立ててしまう、更には主演のジェームズ・ブローリンは殆どスタンドなしで骨折までする体当たり演技を披露しており、その熱量と手腕は拍手喝采の見事なものだった。
ただし、本作の白眉とも言えるこの序盤のシークエンスは、町山智浩さんの解説によると、シドニー・J・フューリー監督によるものだそう。個人的には、このシークエンスに本作の魅力の殆どが詰め込まれていたと感じたくらいなので、降板によりノンクレジットなのは残念(本人の希望によるものである可能性もある)である。
そう、まさしく本作は娘の奪還に奔走するボイドと同じく、この前半のシークエンスで恐ろしい程の疾走ぶりを見せていたのに、その後は息切れしたかの如く失速し始めるのだ。
それでも、ボイドを追うバーンズの街中でのショットガン発砲シーンは、ゲリラ撮影による市民のリアルな反応も相まってかなりの緊迫したシーンに仕上がっている。
しかし、そんなバーンズの動物管理所でのアッサリとした退場、クライマックスでのセントラルパークのライブイベントの裏と、地下通路で行われる最終決戦のシーンは、凡庸なアクション映画の域に収まってしまっており残念だった。
ところで、このクライマックス直前、動物管理局でボイドに協力し、以降追跡劇に同行する事になるプエルトリコ人女性・マリア(ジュリー・カーメン)の、降って湧いたかの如き急なヒロインっぷり、地下通路でキャシーを連れてボイドと対決するソルティックの姿は、アーノルド・シュワルツェネッガー主演の『コマンドー』(1985)を彷彿とさせる。もしかすると、本作があちらの作品に影響を与えたのかもしれない。それこそ、私のようにクライマックスの盛り上がりに不満を持ち、「もっと良いものを撮ってやる」と。
ボイドが直面する障壁の数々、逆恨みするバーンズ、元妻との口論、「のぞき部屋」でソルティックの犬の鑑札を中々渡そうとしない娼婦、サウスブロンクスでのプエルトリコ系ギャングと、それぞれの人物に関係性が全く無いのも特徴的で、一見すると無駄な要素が多く散漫化している印象を受けた。しかし、パンフレットにある字幕翻訳家・上條葉月さんの解説に目を通すと、誰も彼もが自らの欲望に従って行動するその猥雑さこそが、当時のニューヨークの状況をリアルに映し出しているのだと知る。
思い返せば、ボイドもまた娘の奪還の為に暴走行為や傷害事件と、元警官ながら様々なトラブルを引き起こしており、事情を知らないニューヨーク市民にとっては、殆迷惑な話である。
それでも、娘の誘拐を即座に信じて車を飛ばしてくれる若いタクシー運転手の気風の良さは心地良いし、マリアの献身的な協力っぷりには「人間も捨てたもんじゃない」と感じさせる人情の温かさがある。
本作の原題は“Night of the juggler(詐欺師の夜)”である。“juggler”はジャグリングをする人という意味で「曲芸師」とも訳されるが、本作の字幕では「詐欺師」として訳されている。本編ではソルティックが不動産王のクレイトンを指して表現する。時に火災保険を掛けてプエルトリコ系や黒人に放火までさせ、退廃したニューヨークの土地を二束三文で買い上げて、多額の利益を上げていた当時の不動産業者への痛烈な批判なのだろう。
町山智浩さんの解説では、現アメリカ大統領、ドナルド・トランプ氏のプラザホテルの買収&売却手腕を指摘している。当時の時事ネタを現政権批判に流用してしまう氏の論理には首を傾げるところはあるが、その見事な解説ぶりは流石である。
【猥雑としたニューヨークに住まう、個性豊かなキャラクター達】
主人公ショーン・ボイドの元警官というキャラクター設定は、自力で娘の奪還に向かう父親像に説得力を持たせている。現在はトラック運転手という、やはりタフさの求められる職業を通じて、高いフィジカルを保っている事にも繋がっている。
演じたジェームズ・ブローリンは、『ウエストワールド』(1973)、『カプリコン1』での演技が印象に残っているが、本作でのモジャモジャ頭に髭を蓄えたビジュアル、シングルファーザーとして娘を取り戻そうと必死になる姿は、彼の新たな魅力を確認出来る。
誘拐犯ガス・ソルティックは、現代の陰謀論者的思考を持ちつつ、退廃したニューヨークの被害者としての側面も強調されている。オープニングで、無言のままダイナーの朝食で人の顔を模して遊ぶ姿には、その後示される彼の邪悪さと無邪気さが混在しており、「食べ物を粗末に扱う」という点については、悪役としての魅力十分である。キャシーに対して語る身の上話から、女性と縁の無かったマザコンらしさを感じさせ、恐らく友人関係にも恵まれていないだろう。だからこそ、クライマックスで誘拐したキャシーと共に逃亡して、彼女を理想のお嫁さんに仕立て上げようとする狂気が恐ろしい。
演じたクリフ・ゴーマンの仏頂面の演技も良く、純粋な狂気を秘めたソルティックを見事に演じていた。
ボイドの娘キャシーの、“囚われのお姫様”ポジションながら庶民的でヒロイン感の薄い様子は、演じたアビー・ブルーストーンが1,000人以上にも及ぶオーディションで選ばれただけあって、本当の誘拐事件にありそうなリアリティを醸し出している。思春期という多感なお年頃故、自らの体型や男子からアプローチされない事を気にしている様子もリアル。
そんなキャシーとソルティックの奇妙な関係性が構築されていく様子は、ストックホルム症候群的な関係性を想起させつつ、所謂“イケてない者同士”が互いにシンパシーを抱いているようにも感じられ、だからこそ、クライマックスでのアクションでは、キャシーに「優しい父とありのままの自分を肯定してくれた犯人、どちらに味方するのか」まで描いてほしかった。
ボイドの内部告発によって左遷されたバーンズ巡査部長は、その逆恨みっぷりと白昼のニューヨークで市民が居るのもお構いなしにショットガンを発砲する狂気に人間味を感じさせられた。本作において、ある意味ソルティック以上の悪役であるが、内部告発の内容が収賄の他に署内に女性を連れ込んで淫らな行為に耽ったというどうしようもなさも味。
【パンフレットの充実具合】
本作のパンフレットの価格は「800円」と、今や1,000円超えもざらに有るパンフレットの高価格化(それこそ、各劇場毎の一般観客へのサービス鑑賞料金と同価格に迫る勢い)に限界まで抗うかのような良心的な価格設定であり、それに対して、先述した町山智浩さんによる作品解説、上條葉月さんによる批評は勿論、蓮實重彦氏によるワンセンテンスで語る単行本での本作の批評箇所の抜粋をはじめ、各界著名人による絶賛コメントや作中舞台のマップ、場面写真やキャスト紹介に至るまで、その内容の充実ぶりに唸らされると同時に、それだけ本作が映画通の各著名人を魅了してきた事を伺わせる(この文章のみ、蓮實重彦氏のワンセンテンス執筆を真似てみた)。
【総評】
70年代の終わり、世間から見放され、猥雑とした当時のニューヨークで展開される奪還劇は、現在では再現不可能な当時の時事ネタや空気感をふんだんに盛り込んだタイムカプセル的なアクションとして一見の価値ある作品だった。
序盤のカーチェイスシーンの迫力は、映画史に遺されるべき屈指の名シーンであり、これほどの作品が長らく鑑賞困難で埋もれていたのが信じられない。
反面、そこから先が凡庸なアクション映画の域に収まってしまっていったのは残念である。ボイドのように、最後まで疾走し続けて欲しかった。
蓮實重彦氏の言うように、本作は決して傑作などと評する作品ではないはずなのだが、パンフレットを読んで本作が内包する当時のニューヨークの風景や社会情勢について知ると、どうしたものか「もう一度観たい」という思いが拭えない。
序盤の疾走からの失速、一度観ただけでは楽しみ尽くせない、解説を読まなければ現代において本作の持つ歴史的価値の側面を把握出来ないという困った一作なのだが、どうやら私も本作に魅了された1人となってしまったようだ。
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