「善悪という概念では測れない男の友情を思い知らされた」さらば友よ アンディ・ロビンソンさんの映画レビュー(感想・評価)
善悪という概念では測れない男の友情を思い知らされた
‘70年代の我が国に於けるブロンソン・ブームの真っ盛りの時期の1972年11 月リヴァイバル・ロードショー公開された、渋谷パンテオン劇場での鑑賞。
事前の先入観(知識)全く無しの状況での初鑑賞にて、精神を揺るがすような衝撃を受けた。
それまで自分が知っていた世界(概念)を超えた、自分の日常とはかけ離れた別世界を知りそこに存在する、男の友情というか絆を知っってしまった(?)ことで、それ以前とは何かが変わったようにすら思えた。
また、この作品のテーマ曲にもまたすっかりハマってしまい、頭の中をグルグル状態となってしまった。
当時はシングル盤しか国内発売されていなかったオリジナル・サウンドトラック盤を直ちに探して入手し、それは再三聴いてました。
正に自分の映画愛を更に昇華させ、人生を変えた作品の一本と言って間違い無いでしょう…..
当時的な表現で言うなら、まさにこの「男の世界」にシビレさせられたという事だ。
時代的には、TVマンガ(アニメとは呼ばれてない時代)「ルパン三世」の最初のが放映されたものの、あまりの不人気(低視聴率)ぶりに、あっという間に打ち切りの憂き目にあい、親たちの(アダルト描写への)ダメだしを尻目に自分らの小学校では大人気だったのに、とガッカリしていた時期から間もなくの頃になります。
現在とは全く違い、そのような「犯罪者が主人公」のようなインモラルと受け取られるタイプの作品は、一般人(普通の世間から)は大っぴらに容認、理解はされ難い時代だったと言えます。
要するに、ホントの「映画好き」、「漫画好き」の人たちの間だけの事で、今ほど映画って万人の物じゃなかったし、そもそも私のような「漫画と映画と両刀」という筋金入りみたいな好き者もそういなかったですから(何しろ小学生だったしね…..)。
蛇足ながらそのような事もあり、初代ルパンで「黄金の七人」とか「ミニミニ大作戦」などといったヨーロッパ映画のパクリネタやテイストみたいのが後年指摘されるようになりますが、その当時は私みたいな名画座のハシゴしてるレベルの好き者以外には気付かれ無かった時代柄でありました。
本題に戻りますが、上記のような出会い方だったという事が本当に大きかった。
その後の、現在に至るまでの情報過多な世に於いて、こうした脳天直撃のような”出会い“の仕方はもはや相当困難と思える。
ムシロ、現在はその真逆に「概ね確認済み(人気度も)の鑑賞」が基本となってしまった。
その昔、映画好きは一本でも多くを鑑賞したいために、順番を配分して鑑賞のタイミングを考え、ロードショー以下の二番館以降の名画座での鑑賞でコストを抑えることにも余念がなく、二本立て三本立ての抱き合わせ上映が当たり前だったことから、「お目当て作品は一本で、もう一本(二本)は未知の作品」と言う事も珍しく無かった。
それが逆に「そっちの方が面白かった!」と言う『運命の出会い』的な事が起こったりすることが楽しかった時代でした。
まあ、昔は「先入観なしに自分の純な感性で受け入れて」と言う場面はそれ程珍しい事でも無かったとも言える。
そう言う意味では、現在のシネコン全盛時代になってからの映画世代がなんだか不憫に感じられたりします。
最初の出会いの仕方って、つくづく大事だと思います。
因みに、これも原作本あります。
そのままのタイトルで早川ポケットミステリのシリーズで。
こちらのラストにちょっと継ぎ足しのように、「その後、今度はちゃんと中身が入った金庫を2人で….」などという楽しいオチが付いており、なんだかあの映画の後の二人の姿で想像をしちゃいました。
追加
それと当時、この映画の3人目のオトコと言えるベルナール・フレッソンが結構お気に入りになって、ブロンソンとの丁々はっしの駆け引きが魅せました。
この人が久しぶりに「フレンチ・コネクション2」に登場した時には「アアッ!」って感じで(笑)。
こっちではジーン・ハックマン相手にまたヤってて、健在ぶりに物凄く嬉しく思ったモンです。