「ジャンヌ・ダルクの火刑をモンタージュした、生身の人間の苦悶の表現力とその迫真性」裁かるゝジャンヌ Gustavさんの映画レビュー(感想・評価)
ジャンヌ・ダルクの火刑をモンタージュした、生身の人間の苦悶の表現力とその迫真性
デンマークの巨匠カール・Th・ドライヤーは、「あるじ」(1925年)がフランスで高く評価され、またヒットしたことからフランス映画界に招かれて、この歴史的な作品が生まれた。また、企画の時点では、悲劇のヒロインを主人公にした歴史映画の題材では同じだが、このジャンヌ・ダルクの他に、イタリアのメディチ家のカテリーヌと、フランス革命のマリー・アントワネットが提案されたという。この偶然と言える段階を経て、ドライヤー監督は”ジャンヌ・ダルクの受難”(原題)を史実から風俗までの徹底した時代考証の上で創作を行った。
この作品の構成は、二つに分けることが出来る。一つは、イングランド軍に捕らえられたジャンヌが宗教裁判に掛けられる法廷場面で、拷問の末一生獄中生活を強いられる終身刑の判決に署名するところまで。ここまでは、クローズアップ手法の大胆な表現主義で貫かれており、人物の大写しの顔の表情のみに集中されている。この場面の集中力と字幕のコントラストに音楽的な効果が生まれている。後半は、広場で火刑に処せられるジャンヌ・ダルクの悲痛さと、周りを取り囲むイングランド軍人と見守る群衆の対比でモンタージュされた緊迫の場面。ここが凄い。燃え盛る炎のショット、狂乱の観衆、メーキャップなしの髪の毛を刈られたジャンヌの苦悶の表情。ショットの積み重ねや対比によって生まれる映画の迫力に満ちて、正しくモンタージュの表現力に圧倒されてしまう。エイゼンシュタインの「戦艦ポチョムキン」の”オデッサの階段”に比肩する、それは驚嘆の映像体験であった。
僅かではあるが史上の名作を観てきて、1920年代の映画芸術がそれ以前から飛躍的に進化したことを痛切に感じる。1925年制作の「黄金狂時代」と「戦艦ポチョムキン」の大傑作に代表されるだけのものはあると実感した。トーキー映画出現までの過渡期ではなく、サイレント映画の完成の片鱗を追体験することが出来た。
1979年 6月4日 フィルムセンター
この時の上映時間は、1時間14分の版でした。初公開の時から宗教絡みで上映が困難を極め、またオリジナルネガも火災で焼失する災難もあり、厳密には鑑賞したとは言えません。ただドライヤー監督が再編集したものであると思われるので、感想を記します。(純粋なオリジナルが1984年にノルウェーで発見された)
カール・テオドア・ドライヤー監督作品は、他に晩年の「奇跡」と「ゲアトルーズ」しか鑑賞していませんが、三作品とも感銘を受けたことは青春時代の大切な記憶です。そして、撮影のルドルフ・マテの初期の代表作でもあります。「邂逅」「海外特派員」「生きるべきか死ぬべきか」「打撃王」と大好きな作品が並びます。